自分の就職活動について①
就職活動について、「簡単に決まったんでしょう?」と、言われることがある。
「いやいや、とても悩みましたよ」と返しても、大抵なかなか納得してくれない。
私は「東大生」であったから、それは仕方の無いことだ。
「東大に入学すればどこでも就職できる」という世の中の固定観念がある。
いや、それは固定観念ではない。紛れもない事実なのである。
だが、就職活動の間に 一度足りとも苦しい思いをした事がない者も、また事実である。
誰だって、就職活動は始めてのことが多い。それ故に、程度の差はあれ、失敗する事だってある。
しかしながら、大抵の場合において、結果として東大生は自分の望み通りの業界・企業に就職する。
だから、「就職活動で苦しい思いをした」ということが、就職活動の「成功」によって捨象されてしまう。
だから、私は「就活がなんとか上手くいった人」をこの一年間演じてきた。
「色々ありましたけど、最後自分が行きたいと思う会社に内定を貰えました」
これで良かった。何故ならば、就職活動をあまり詮索されたくなかったからだ。
だが、心の中では、いつか自分の就職活動に関することを言語化しなければならないとも思っていた。
就職活動について聞かれることも、言語化したいという気持ちも、時が経つに連れて消えていってしまった。そのまま まっさらに消えてしまえば、どんなに気持ちが楽だったろう。
☆ ☆ ☆
先日、インターンの飲み会に誘われ、色々あって、就活の時の陰惨とした気持ちを思い出した。ここで言語化しなければ、もう細部をありありと思い出すことは出来なくなってしまうだろうと思い、思い立ってnoteに纏めることにした。
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私は、ジャルジャルの『面接でめっちゃふざける奴』というコントを、精神的な苦痛により観ることが出来ない。
「おきんたまでか男」という人物が出てくる、実にくだらないコントだ。
高校生や大学1~2年生の時、とても好きなコントだった。
だが、今は長く直視できない。自分の中のどす黒い塊がぞわぞわとしだすのを感じる。
それは、かつての自分の面接と重なる部分があることに気付くからだ。
はっきり言及しよう。自分は就活に対して、後悔している。
しかし、それは結果に対してではなく、過程に対してである。
これから記述することは、私が 過去の自分と決別するために、今を真っ直ぐに生きるために、これからの自分の人生に目を向けるために、纏めたものである。公開する積極的な理由は特にないが、これから就職活動を迎える方は自戒として、就職活動を終えた方はかつてを思い出して読んでいただければ幸いである。
②へ続く
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