抑うつに片足突っ込んでしまった
最近の話。
初めて心療内科に行った。
理由は、なんだか私じゃないみたいに寂しくて苦しい日が増えたから、だ。
今まで前向きに考えれていたことが、どうしても後ろ向きになってしまったり、
そのせいか、仕事はやってもやっても苦しかったりして、
集中力が無くて、せっかく大好きになった韓国ドラマも中々見終わらない。
韓国語の勉強も前よりやる気がなくなってしまった。
友達に会えば楽しく、会社に行けばシャキシャキ動けるのに、
1人になった瞬間に何もしたくなくなるし、何故か悲しくて堪らなくなる。
せっかくの彼氏との幸せな時間も、バイバイと共に寂しさで水の泡で何の糧にもならない。
出勤途中の電車で理由もなく涙が出て、帰りの電車でもまた泣いて、
楽しくて堪らなかったプチ旅行の帰りのバスでも1人でぼろぼろと泣いた。
謎の苦しさを何かのせいにしてもしっくりこなくて、
理由がないものなんだと自分に言い聞かせても、じゃあどうしたら解決するのか分からなくて余計に苦しくなった。
そういえば、最近毎日早朝に必ず目が覚める。どこでも爆睡かませるタイプだったのに、老人ですか?みたいな時間に目覚めるサイクルができてしまった。
生理前だから、排卵日前だから、って言い聞かせていた症状とは似ているけど、
今までのそれとはつり合わないレベルの情緒不安定さなことだけは分かる。
誰かといないとこの寂しさは紛れなくて、そうやって誰かに依存しないといけない状況に、とてつもない違和感と罪悪感があった。
ひとりでもなんやかんや楽しく生きれて、「まあいいや〜」って切替が早い、前向き思考なことが自分の強みだと思っていたのに、
それらが全て無くなっていくみたいで怖かった。
「こんなの私じゃない、お前誰??」
自分に何度も問いたけど、答えなんてなく、原因もわからず、次の日には元気になったりして、忘れた頃にまた苦しくなって、そんな日々がしばらく続いた。
心療内科に行こうかな。とよぎると共に不安は膨張した。
そんなこんなで何人かの友人に相談したら、やれ漢方がおすすめだの、数年前に同じような症状になっただの、みんな私の知らない所で苦しんでいたんだなあと知った。
それを聞くと尚更、私の苦しみはもしかしたら私が大袈裟なだけで、本当はほとんどの人間がこういう気持ちで日々生きているのかもしれない、と思った。
そうならば私が心療内科に行くなんてことは大袈裟of大袈裟、靴擦れしただけで大学病院に行くようなものなのかも、とか思ったりもした。
だけどそんな時、とあるサイトを見つけた。
「店員さんに渡された宝くじと、自分で引いた宝くじ、どっちが当たる確率が高いと思いますか??」
その時の私はこの質問に対して、
「えー…確率は同じじゃん…」
と思った。確かにそう思ったのだ。
この問いには正しい答えというのは無く、強いていうなら「確率は同じ」は正解ではあるのだが、そういうことではなく、
「確率が同じ、と考えた人はうつ状態の可能性が高いです」
というのがこのサイトの伝えたいことだったらしい。
「自分で引いた方!🙋🏻♀️」とか言ってる方が真っ当で健全なのだ、人間は正解がどうこうよりも少しくらい単純な方が良く、心が明るい。反対に、うつ状態の人の方がIQは高く現実的かつ悲観的。という面白い結果らしい。
よくよく考えれば本来の私は圧倒的に「自分で引いた方!🙋🏻♀️」と真っ先に考えるタイプの人間だ。やっぱり今の私は私では無い。どこかがおかしい。
このサイトを見て私は、「私ってうつかもしれないの…???」と震え上がり、心療内科に向かったのだった。
「抑うつ状態になりかけてますね、軽度ですけど。」
医者の答えはなんとも予想通りだった。
私は知らずのうちに抑うつに片足突っ込んでいたのだ。
「でも先生、私、抑うつになるような心当たりがありません。仕事も好きなことをしてるし、確かに残業が多かったりはするけど土日ちゃんと休んでるし、趣味もあるし、友達とも彼氏とも家族とも関係性は良いんです…。ストレスの原因が無い生活を送ってると思います。」
「そう…。社会人になって何年目?」
「えーと…5年目です」
自分で5年と答えながら、ああ、私はもう当たり前のように、この社会で丸4年も過ごしたのか、と思った。
その後の先生の言葉は、静かに私を納得させた。
自分のエネルギーが100だとして、
月曜から金曜まで働いて、エネルギーを100使い果たすとする。
土日で私は回復するために、友人と思い切り遊んだり趣味を楽しんでリフレッシュする。
そのリフレッシュで、私は満足する。ただ実は、自分では目に見えないから気付いていないのだけど、99までしか回復していないのだ。
そんな日々を、5年続けていたら?
確実に、少しずつ少しずつ、知らないうちに、疲弊していく。
エネルギー0に向かって、3歩進んで2歩下がる、みたいな日々を送っていたのだ。
私は、ゆっくりと、抑うつに向かっていたみたいだ。
抑うつと診断されたら、だいぶ心がスッキリした。
まあ軽度ですけど、と言われているから抑うつというには本当に抑うつの人には失礼なのかもしれないけれど。
それでも、これで全ての寂しさや苦しさを抑うつのせいにできる。
私は抑うつなのだ、ちょっとくらいアレやコレを後回しにしたって許されるんじゃないか、って、自分の背負ってるものとか勝手に課していたものが軽くなった気になった。
こんなあっさり心が軽くなるなんて、やはり抑うつなんかじゃなく、ただの気のせいなんじゃ?って思ったりもしたけれど、
心療内科に行く前に相談したとある友人(うつ経験者)の言葉が、ちゃんと私を救ってくれた。
「人には人の乳酸菌があるように、人には人の悩みがあるんだよ。うつも、その症状も同じで人それぞれ。だからそれが何なのか、ネットの言葉とか人の経験談なんて鵜呑みにしないでまず病院に行ってもいいんじゃない。」
“人には人の症状がある“。
私の症状は、落ち込むとかネガティブになるというよりも、「寂しい、悲しい」の気持ちがとにかく強かった。
こうして手を差し伸べてくれる友人が周りにたくさんいることも、どれだけ恵まれた環境にいるのか分かっていても、なぜだか悲しくて堪らなかった。
だけど、自分の価値が無いと思うことも無かったし、私は人並みの能力があると自信を持って思い続けることは出来た。
病院に行った帰り道、心の中で
「自分のことを大事に出来るからこんなにすぐ心療内科に行って早期発見できたんだな。私って偉〜〜〜い!」と思った。
こんな抑うつ患者もいるのだ。
人には人の乳酸菌、とはまさにこのこと。
世界の時間が止まったみたいな2020年は、私にとってたくさんのスタートがあった。
韓国語を学び始めたり、noteを月5回ペースで更新したり、彼氏と出会ったのも去年のこと。環境や、私を取り巻くものは大きく変わった。
行きたい国をリストにしたり、やりたいことや将来像を整理してみたり、ひたすら前に進むような日々を送っていた。
何もなくても何かできる、パワフルでエネルギー有り余る時間を過ごしていて、何でも頑張れる気がしていた。
そう思い込んでいただけで、私はちゃんと疲れていたのだ。
思っていたよりも私は強くなかったのだと、改めて知る良い機会だったと思う。
本気で助言してくれたり、いろんな知識を分けてくれた友人たち。
「honoの休み方は休んでるとは言えない」と指摘してくれた親友のN。
「元気出してほしくて」と、何でもない日なのにケーキを用意してくれていた彼。
落ち込む私に寄り添ってくれる人がたくさんいること、人に恵まれていることも改めて思い知らされた。
抑うつに片足突っ込まなければ、知らなかったことや忘れていたことがたくさんあった。
まだ完全に復活したとは言えないし、ちゃんとした休み方も未だわかっていないけれど、
頑張ってnote書くぞ!とか、新しいことやったるぞ!とか、仕事ラブ!頑張っちゃお!!!!みたいな従来の私は一旦捨てて、
もう少しマイペースに、体を大事に、思っているよりも少しだけ自分に甘く生きてみようと思っている。
自分じゃないみたいな自分のことも、気が向いたらnoteに書き綴っていきたいとも思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?