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食わせもの

対処療法と根本療法でいえば、私は根本療法をするべきだと考えるタイプなので悪性の腫瘍があって死にそうなのにロキソニンだけ渡してくるヤブ医者を信用できないように、問題があるのに、その問題を無視して、痛み止め(気休めの言葉や薄っぺらい共感)で対応してくる人には基本的に信用を置けないというところがある。

私なら、まず基本が人に相談などしないし、したときはよほど解決策が浮かばないから手を貸してほしいという一存の願いをもって相談しているのでそこで、共感だけされて終わったら、突き放された気さえするだろう。

ああ、この人にとっては私の問題などどうでもよいことで面倒だったのだろうと思って二度と相談することはないし、それはもちろん相手が悪いのではなく、相談する相手を間違えた自分の落ち度なのだ。

代わりに、相談した際に、内容を理解して、
こういう方法はもう試した?それならこういう対策はどう?と(効果があるという証拠付きだと尚いい)すぐさまに返してくれたらば、その人への信頼は厚くなるし、また借りができたわけなので
もしその人が何かで困ったのなら、必ず倍にしてその借りを返そうと思う。

役に立たぬ優しそうな言葉より、役に立つ真実の言葉に耳を傾けたいのだ。
根本的な治療に、手術のような痛みに耐えなければならないのなら、もちろん私は耐えるつもりだ。

だけど、世の中には、まずは共感をしてほしいという人間もいるらしい。
私には理解できない考えであり、まず
生きていて思ったことがないことだったので驚きでもあった。

mbtiというものがあるが、
(これは科学的に証明されたものではなく、性格傾向を表しているものなので、盲信できるものでもなく、また、同じタイプであったとしても個人差のあるものなのだが)

ちなみに科学的にはビッグファイブという性格特性が一番信憑性が高いとされている。順位で言えば、
○ビッグファイブ
△MBTI
×占い 
のような感じだろう。

なので、盲信できるものではなく正確性も確かではなく個人差があるものにせよ、ただ、キャラクターを認識しやすくて文字通り性格“傾向”はわかるので便利だとは思う。

私には今まで、人間に対して不可解だと思うことが多かったけれど、自分とは全く異なる考え方や、大切にしているものの軸がそもそも全然違う人間のこと、そして何より自分のことが少し理解できたような気がしたので面白かった。

例えば、「心の声に従え」とかいう台詞がある。

「自分のハートに従え」でもいいが一見聞こえが良さそうだけど科学的にいうと心とは脳のことで
心でこう思っていても、頭で理解しているからそれを選ぶ、わかっちゃいるけどやめられない
のではなく、わかっちゃいるけどわかった上でそれを自分で選んでいるだけなのだ、というのはすでにアリストテレスが書いていることだ。

これを食べたら太るけど、痩せることより食欲を優先して食べる、など
つまり、自分がそれ以上の何かを優先しているだけなのだ。こうしたわかっちゃいるけど、やめられない、まるで自分の意思ではありませんよ的な逃げを、アリストテレスは真っ向から否定している。

だから、結局は頭で判断してるのだから頭を鍛えなければいけない。
頭を鍛えるというのは、人間は1+1も、あいうえおも、なんの知識もない空っぽの状態で生まれてくるのだから、やはり知識を増やしていくことだし、自分で思考する回数を増やすことしかないと思う。

心に従うというのは、自分の素直な気持ちに従う、という意味での台詞ではないかと思うが
そんなことをしているから、極端なことを言えば
戦争が絶えないわけで一見良さそうな台詞
ではあるものの無責任で残酷な台詞だ。

気持ちの上では腹が立っているが、
ここは争うべきではないのを論理的に考えてわかっているのであれば気持ちに素直になって暴走する、なんてことはするべきではない。

(タモリさんだったかな)
「なぜ、戦争がなくならないんでしょうか?」に
「愛があるからですよ」と返したのは有名です。

一見優しそうな宗教家や、詐欺師というのは、
厳しい現実に立ち向かおうとしている者に、後ろからいかにも優しそうな仏の顔をして、これを飲めばあなたも楽になりますよとロキソニンを渡してくる。もしくは、アヘンや、麻薬かもしれないが。

現実というのは不公平であり、不平等であり、理不尽であるという当たり前と向き合い、それでもやたらと自分や他人を比べたり卑下するのでなく、ただ向き合い、やはり自分で切り拓いていくものだからである。それはもう何のために生きているのか?という答えのない苦しい問いに答えるべく、岩を押すシジフォスにならざるを得ない。

日本では質素倹約が美徳とされる価値観があると思うが、これはカースト制度のある国では通用しない。インドでは質素であれば、カースト下位だと思われて見放されて軽蔑されるだけ。日本で美徳とされているものも、一歩外に出れば簡単に
ひっくり返る。長所は短所に転ずるし、短所が長所に転ずることもある。

価値観というのは食わせものだ。
心に従え、というのも食わせもの。
かといって、頭や理性というのも食わせものだ。
脳は錯覚と誤解の臓器で、だまされやすく常に偏見、バイアスがある。

じゃあどうしたらいいんですか、といえば真理を軸にするしかないけど
その真理を見分ける能力がにどういうわけか、人間についていない。

完全に方向感覚を失っているのが人間なんだということではないだろうか。
それは言い換えれば、自由ということだけど。

私がたまにやるのは価値観でもなく、心でも頭でもなく、それをすることで
「自分の生きるちからがみなぎるかどうか?」という軸での判断がある。そして、それによって「未来が開かれるか?」という軸も。

・生きる力が上がること、そして未来がより開かれていくこと。
これは現実的な可能性と、希望とエネルギーのことだ。そう、これらが怠惰でめんどくさがりな私が重い腰を上げるために必要な材料なのである。

これもMBTIの診断に書いてあって驚いた。

もしこの二つの軸が、いわゆる、一般的な価値観や常識というもので塗りつぶされそうになるなら、全力で抵抗するだろう。


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