恋だの愛だの

いつも書き出しを悩んでしまう。小説でもこういった、エッセイを気取ったものでも書き出しはいつも悩んでしまい、小説を手に取りどう始めているのか、エッセイを見てどう始めているのか確認してしまう。でも、どれも違い自由に書いていいんだと思うと、また更に分からなくなる。だから一度、分からないというところから始めてみようと思った。
結局、唐突に話は始まっていくのだけど。

恋がなんだ愛がなんだと、色々考えたところで答えたなどでないものなのだが、私の人生テーマである、不変の愛をつくづく難しいものだなと思う。
情熱的な恋をした。ほぼ一目惚れな状態で、二人とも燃え上がっていた。それもある程度長く続いたが、徐々に落ち着いてしまった。それが世間一般でいう普通なのだろう。それでも別れず、燃え上がって二人しか見えず走り続けていた頃よりは、喧嘩も減り気を遣わずに話し合えるようなものになった。それでも、喧嘩はするし言葉の一つを間違えれば別れの危機にもなる。そうやって関係性が変わっていく。変わらないものは、その人が隣に居ることくらいだろう。
不変の愛。それを過剰信仰している私でも、私自身の恋や愛の形が変わっていることに気付いている。変わらないと思っていても、どこか変化している。きっと付き合いたての私ではない。
それは、環境が変わったのももちろんある。それ以外の部分もあるだろう。恋人の言う居心地がいいから、ずっと居るんだっていう言葉も理解が出来る。最初ほどの情熱はなくなっていても、この人の隣にいるから安心出来るという魅力。それが全てになっていくのだろう。いつまでも、くだらないことで笑い合える安心、そういったものを提供できる人が最強なのだ。
それでも、想像力と自信のなさというものは、最大の弱点となる。自信がないだけであれば、相応しい人間なのだろうかと悩み続けるだけだ。想像力があるだけなら、色々考えるかもしれないが、それまでだ。だけど、この二つが掛け合わさり、悪い想像ばかりしてしまう。そして、疑うような態度を取り相手に安心を与えられなくなる。ただの人間のゴミと化す。
自信を手にしたと思っていた。それでも、私には自信なんてなかったのかもしれない。悪い想像はいつもしてしまう。それを気にせずにいれる精神力は時々消え去ってしまう。それだけでも、破綻してしまうのが人間関係というものだ。
情熱的だと称される恋、包み込むようなものだとされる愛。私はどちらも欠けてしまっているのではないだろうか。恋だの愛だの言っても、私はそれを失っているのではないだろうか。誰にも答えは出せない問題。自身の中にしかない押し問答。
ただ、変わっていけるのが人間の良さ。そしてそれをしていくことで、私の人生テーマは少しずつ狂っていく。
変わってしまった。あの頃の自分ではいられなくなった。そういった思いを抱えながら大人になっていく。きっとそれが正しい。それが正しいんだと思う。地団駄を踏んでいたあの頃の私は、もういない。包み込むような愛へと向かっていく。
それでも、変わらないことが一つあるのなら、形は変わっていても君を想う気持ちだけは変わっていないということだろう。
君のことばかり考える私は変わらない。変わりたくない。変わらせない。私はずっと恋だの愛だの頭を悩ませて生きていく。

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