懐古と復帰の言葉

 季節は巡る。何度も何度も生きていれば巡ってくる季節達を横目に流されるままに生きてきた。紆余曲折、横道に逸れ続ける人生に飽きてきていたところだった。特別になりたいくせに、平凡に憧れ仕事は続かない社会不適合者的生活を続けていた私も、いつの間にか長く同じ職場で働いていた。
 偶然ネットで知り合った彼女と同じ時間を共有することになるなんて、私は思ってもみなかったが出会ったその瞬間から、この人と長い時を過ごしてみたいと思った。
 私という人間は、人と長く交際した試しのない人間なので、付き合うということへの恐怖というものがあったのだが、身体の関係があったわけでもないのだから、こういう言い方があっているのかはわからないのだが、有耶無耶な関係を続け失うくらいなら付き合いたいと思ったところが、私の分岐点といえるだろう。
 いつの間にか、十ヶ月の時が流れていた。もうすぐ一年。どうやってお祝いをしようかなんて話している時期なのだが、なんとなく私はこのとりとめのない日記のようなものを書こうと思った。本来は、夏の終わりを感じるような台風が過ぎ去った日に書こうと思っていたのだが、文章を書くということから遠ざかりすぎていた私は、その一歩を踏み出さないでいた。私は、この夏を懐古したかったのだ。
 恋人と過ごす夏、それは私にとって初めてといってもいいくらいの時間だった。一年と少し付き合った彼女もいたが彼女の事情で公表できるようなものではなかったし、出かけることもなかった。祭りに行くこともなければ、海を楽しむこともなかった(今年海に行ってはいないのだが)。
 だから、私にとってのこの夏は青春コンプレックスを感じ夏が嫌いだという人生から遠いような、尊い日々であった。夏の終わりプールに行ったり、遠出をしてみたり、様々な思い出に溢れている。実際、いい日々だなと思いながらこの文章を書いているのだが、大体の出来事は夏の終わり9月が始まってからの出来事なので、あの時書こうと思っていたものは多分ただの季節の終わりを思う物語のようなものだったのだろう。ただ、今回は私の思い出の話にさせていただきたい。詳しい話をするわけでも、この時はなんてその想いを紡ぐわけでもなく、ただ抽象的な素晴らしい日々だったということを書くだけの、ただただ遠回しな文章なのだがそれはそれでいいのではないだろうか。ここまで読んでくれた皆様はどう思いますかね。惰性で読んでくれますか。ありがとうございます。
 様々な喧嘩、好きを募らせる日、色々な日々を過ごしながら私達は一つ一つの季節を過ごしていく。また、出会った季節がやってきて、私達の季節は一周する。それでも同じ季節は二度と訪れず、同じ匂いも同じ感覚も全て存在しない。その一瞬一瞬が過去になり未来が訪れる。それを愛している。その普遍的な日々こそが私の求めていた幸せで、憧れていたものなのだ。私は今心地いい場所にいる。この日々がきっと長く続いていくものなのだと、願い生きている。その中に、ひとさじのアクセントとして、私の文章が生きていてくれればいい。私の文章が飛び立っていけばいい。私という存在が大切な貴女の心に住み着いて離れなくなればいい。私の言葉が文章が誰かの心に住み着いてくれればいい。私の人生を彩る言葉達は、幸せな人生でも色褪せず外界へと飛び立っていくものになる。そうしていく。私の幸せなこの世界を、私が願い続けるハッピーエンドを誰かの心に突き刺してやろう。
 大切な思い出となったあの日々の懐古と、私の文章へと覚悟。そんな文章をここに締めようと思う。
 きっとよくわからない文章になっているだろうが、この地に戻ってきた第一歩目として相応しいものだろう。
 これから、また少しずつ文章を書いていこうと思います。季節への懐古も、私の中に生まれた美しいと思った言葉たちもそのうち残していきます。楽しみにしてきてください。
 読んでくださりありがとうございます。またの機会に。


髙木 春楡

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