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「美しい老い」の迎え方

こんにちは。うつ病休職エンジニアの三十郎です。

うちの両親も、80才を超えると性格が変わってきました。年を取ると性格が子供に帰ると言いますが、実際は違うようです。タマネギの皮がむけてゆくように、今まで取り繕っていた理性の皮が順々にはげてゆき、本性が露わになる感じです。でも、その本性と思っていた物も、実は本当の弱い自分を守るための鎧だったりするわけで、厄介なのです。意固地になったり、切れたり、攻撃的になるのは、弱々しい素の姿を晒すのを恐れ、必死になっている感じです。更にぼけが進むと、その鎧もはげて大人しくなります。

トランプ大統領の弁舌は、計算されたもので、頭の老化ではありません。いまだに頭脳明朗で卑怯、かつ、狡猾に演技しているのです。バイデン候補の方は、本当にやばいので、ワイヤレスイヤホンによる腹話術作戦で選挙戦に臨んでいます。第2回討論会が無くなり、陣営はホッとしているでしょう。皆さんも、将来、どちらの老人にもなりたくないでしょう。

1.七十にして矩(のり)をこえず

孔子ほどの人物であっても、最終人格にたどり着くのに70年要しているのですから、凡人の私は、その域に達する前に終わってしまうかも知れません。

人格形成は周りの環境に大きく支配されます。なので気をつけないと周りに流され、理想の姿にたどり着けません。普段からの言動を注意し、自分に厳しく行動を律しなければ、くそジジイ、くそババアになります。

しかし、自分に厳し過ぎ、聖人君主、良い人を演じ続けると心身が疲弊し、心の病を煩います。現代社会において、人格者になるのは、そうとうハードルが高いのです。ありのままで、明るく笑って過ごせると良いのですが...

2.好々爺とくそジジイの違い

好々爺の女性版がないので、男性を例に取ります。

本物の好々爺は、例え痴呆症となっても、大人しいです。老化や痴呆症になると感情のコントロールが効かなくなるので、素の感情が優しいと、好々爺になれます。彼らは、そうなるように、人格を形成してきた人達です。

一方、くそジジイは、老化が始まるまでは逞しく頼りになる存在だったりします。しかし、理性の殻が剥がれてゆくと、人が変わってゆきます。老化や痴呆症で感情のコントロールが効かなくなると、本性がむき出しになり困った人へと変わります。これまで表面を取り繕ってきた人生が、バレてしまいます。

好々爺を目指すには、日常生活から素直さ、謙虚さが求められます。自分の魂を磨き続けなければならないのです。日々の生活に感謝し、強欲を押さえ、純真さを保ち続ける。なかなかの苦行です。それだからこそ、人格者として称えられるのです。

くそジジイは、己が欲の赴くがままに活きてきたのでしょう。外面は良くても、裏では陰口をささやかれるタイプです。自分に甘く、人に厳しい。自分の頭でしっかりとした考えを持たない。長いものには巻かれ、要領よく世渡りをする。しかし周りからは、将来、こういう人間には、なりたくないと思われています。

その違いが、老化や痴呆症になって、露わになるのです。今までの生き方が自分に跳ね返ってくるのです。くそジジイ、くそババアは介護でお世話する人に対しても横柄です。「こっちは金払っているんだから、お前らは言うこと聞け」。人に対する感謝の気持ちが足りないのです。当然、介護する家族や施設のスタッフからは嫌われます。

3.美しい心の老人になるため

これは、持って生まれた気質もあるでしょうが、後天的に得た性格の方が大きな影響を持つと考えられています。一言で言うと日々の「感謝の心」。これを持ち続けているかにつきます。

この世の中で、有利なポジションを取って生き抜いてゆくためには、時には汚い手を取る必要もあるでしょう。でも、そのままで済ませてはいけないのです。汚い手を使ったなら、同時に懺悔の気持ちを持たなければ、非道い人間になります。信仰心を持っている人達は、きちんと懺悔をします。

「いちいち懺悔していたら、こっちが精神的にまいってしまう」と開き直る。そこまで非道い生き方をしている人は、誰も同情などしてくれません。金の切れ目が縁の切れ目。損、得の世界で活きている人は、最終的には損をするのです。寂しい晩年を過ごすタイプです。

私の妻の父が好々爺でした。同居していたので、よく知っているのです。糖尿病が原因で失明しているにもかかわらず、何事にも好奇心を持ち、ラジオやテレビの音を聞くのを楽しみにしていました。よく歌も歌っていました。失明しても、その中で出来るだけの楽しみを見つける。よく考え、私と意見交換もよくしていました。常に頭を使い続けるのが、思考をアップデートし続ける秘訣のようです。

また、私の叔父は優に90才を超えるのですが、毎日4時間以上も散歩しています。見た目は70代で元気老人の見本です。頭も明朗で、明るく楽しく人生を謳歌しています。好々爺と言うより、アスリートの域です。

私は、こういう老後を見本にしたいです。くそジジイには、なりたくないです。


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