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自分はいつ頃から嫌な奴だったのかと思い返してみたが、どうやら幼稚園児の頃からだった件

自分の人格はいつ頃形成されたのだろうか。

僕は今年で20歳になり、恐らく人格の大枠は確定しているため、今後50年程度(希望はあと60年は生きたい)この人格と向き合いながら生活を営むことが予想される。

では、人格はいつ頃どのように形作られてきたのだろうか。

この事を、考えるための一つの指標となることは、自分の最古の記憶だと考える。

そう考える理由は、人格とは現在までの様々なインパクトが心に影響を与えることで積み上がっていくものであると考えるからである。その、最古のインパクトこそが、人格の大枠に大きく関わっていると僕は予想する。

僕の最古の記憶を文章に書き記す前に、今の人格を主観的にかつ、出来るだけ簡潔に説明したい。

僕は、神経質で心配性、おまけに飽き性である。しかも、神経質で心配性なことを他人に強要することもしばしば、そのくせ、自分はすぐに飽きて離席する。

詰まるところ、嫌な奴なのである。

では、最古の記憶の説明をする。

僕の最古の記憶は、幼稚園児だった頃の記憶である。これは意外と珍しいことではないかと思う。幼稚園の記憶があるという話を他人にして、しばしば驚かれることがあるからである。

幼稚園児は泥団子を何段階もの過程を踏み、ピカピカに磨き上げ、宝物のように大切にする性質がある。例に漏れず、僕の周りの園児たちも泥の宝物を量産していた。

僕の周りの園児たちは、砂場で泥団子を作りピカピカに磨き上げ、砂場と園庭の境目となるブロックの上に丁寧に並べ、固まるのを楽しみにしていた。

僕は遊びの時間、終了間際になると、遊びを終えてお片付けをする園児たちを尻目に、砂場の縁を一周するついでに、ピンク色の象型のジョウロで、泥団子に水をかけて崩し、ある種の達成感のようなものを得ていた。

この一連の行動が僕の最古の記憶である。

最古の記憶は最初のインパクトであるため、上記の最古の記憶から人格が形成されているという僕の理論から読み取ると、僕は幼稚園児の段階で人格の大枠は形成されていたことになる。

つまり、僕は幼稚園生の頃から嫌な奴だったのである。15年ものの嫌な奴である。ワイン然り、チーズ然り、年月を経て成分が凝縮した食材は、個性が際立ち上質な代物になる。

僕は20年後ないしは30年後どんなモンスターとなるのだろうか。

僕はかなりの恐怖感と危機感を覚えた。

負が凝縮した獣にならぬよう精進しようと、人格について考えたことをきっかけに思った。

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