見出し画像

教えられないほど好きな街

「この街がすき」というハッシュタグを見た瞬間に、僕には書けないな、と思ってしまいました。それでは、投稿の趣旨に沿わないではないか、と言われれば、全く否定ができません。ですので、これ以降は少し興味がある人たちに読んでいただきたい。そうでない人も読むかもしれませんが、そのあとで、やっぱこいつの文章は趣旨から外れている、と思われても、それはそれでいいと思います。

 僕には、好きな街がたくさんあります。生まれ育った街や学生時代を過ごした街、たまたま行ってそのまま好きになった街、昔は嫌いだったけど今ではその良さがわかってきた街など、たくさんあります。みなさんにも共通する部分があるのではないでしょうか。そんな誰しもが持っていそうな「好きな街」を、僕はどうも教えたくありません。申し訳ないです。この人なら、という人には密かに教えたり、連れていくことはありますが、それでもあまり教えたくありません。

 国内外のいくつもの街を訪れて、その中で好きになってきた街たち。今では愛すべき場所となっていて、月に一度は行かないとどうも調子が悪い、と思ってしまうほど身近になっている街も複数あります。休日になるたびに、自転車や車でそこに行って、何もしないでただたたずんでいる、なんてこともよくあります。そして、昔のことを思い出すこともしばしばあります。

 僕は、独りが好きな人なのだと思います。小学、中学と地元の学校に通いましたが、友達はあまりできませんでした。(現在になって再会して意気投合することがあるので、これもまた不思議なことです。)学校が終わり、独りで何をするでもない。親にも友達がいないなんて、かっこ悪くて言いたくない。そんなことを思いながら、一人遊びをしていました。
 反抗期だった中学生時代は、親と喧嘩をすると居場所を求めて、ママチャリで近くの川辺を激走したものでした。相談する相手もいないので、ぐちゃぐちゃになった気持ちをどうすることもできず、泣きながら自転車を漕いでいる。すると、時々同級生のHに会うことがありました。彼は、僕とは全く逆の派手な生徒で、人から見られない部分に刺青を入れていたくらいでした。普段の学校生活で彼と交わることはありませんでしたが、川辺でたむろしているHは、僕に気がつくと話しかけてきて、他愛のない話をする。きっと、彼も派手で有名だった両親と上手く行っていなかったのかもしれません。そんな二人は川辺で時々会うようになりますが、次の日学校で会っても交わることはありませんでした。学校では、僕は独りでぼーっとしていて、Hはやんちゃなグループの中になんとか留まっていました。だから、あの首都高の下の川辺で会った時だけ、僕たちは友達でした。

 「好きな街」からは、元からですが、脱線してしまいましたが、街(町)や場所には、多くの人々にとっての思い出がたくさんあります。僕には、いろんな街や場所にたくさんの思い出、というよりも歴史があります。その全てが大切です
 今後、このnoteで書いていこうとしているのは、思い出に残ったけど、人に教えられる(頭が高い、失礼)、教えてあげたくなる場所たちの予定です。最後に宣伝してどうするんでしょうか…。

#この街がすき

この記事が参加している募集

自己紹介

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?