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どん底から這い上がる時、私の背中をいつも優しく押してくれたのは… 【依存症の克服法とは】


もう消えてなくなってもいい、と思うほど自分が嫌いになった時。

自分に自信を失い、生きてる意味が分からなくなった時。

出口のない迷路を彷徨っているような人生のどん底の時…


いつも私を救ってくれたのは文章だった。

今まで出会った様々な文章が私を明るい出口に導いてくれた。


人生のどん底

本当に私はこのままでいいのだろうか…

自分のしていることに心のどこかで引っかかっていながらも、なかなか現状を変えられず悶々と過ごしていた時期がある。

若かったその当時の私は決して自分も人も大事にできていなかった。

自分を理解し受け入れてもらえず、支配しようとする親に反抗し、家出同然で一人暮らしを始めた私は、今まで抑えられていた自分の感情を爆発させた。

とにかく自分の好きなことをする!
親が私を受け入れてくれないなら自分がありのままの自分を受け入れる。
だからどれが正しいとか間違ってるとか関係なく、自分のやりたいことをする!

そう心に決めて新しい生活をスタートさせた。


…でも、

それからの私はどんどん奈落の底へと落ちていった。

やりたい事をやりたいようにやり、言いたいことを言って人を傷つけた。
人の心をもて遊び、自分の欲求を叶えるためだけに人を利用した。

私は最低だった。
私は人間のクズになった。

そんな生活は正直魅力もあり楽しくもあった。
でもそんな自分を心のどこかで嫌いになり、知らず知らずのうちに自分に自信を失わせていった。

ありのままの自分を好きになろうと思って独り立ちした私は、自分で自分を嫌いになった。

人生を変える一冊の本との出会い

そんな時フラッと入った小さな雑貨屋さんで、人生を変える一冊の本に出会う。

山積みに置かれたいくつかの本。
その一冊が何となく気になった。

「ずっと彼氏がいないあなたへ」 岩月謙司

その当時の私には彼氏もいたし、その前にも付き合った男性は何人かいた。
というより、一人になることが不安で、怖くて、いなかった時の方が少ない。

でも今まで本当の恋人っていたのだろうか…

そんな想いからなのか自然と手が伸びた。


本を開いた私は驚いた。

そこには私が今何に引っかかっているのか。
そしてこれからどうしていけば良いのか。
その時の私に必要な答えが全て書かれていた。

私は迷わず即買いして暗く狭いアパートに急いで帰り、食い入るように何度も読み返した。

どうせ自分なんてダメな人間、自分の存在に自信がない。
執着することが人間関係だと思っている人。

そんな自己卑下や自己不信、人間不信があると、信頼で結ばれた人間関係が形成できない。

自分を否定する人は、自分の知らない間に人も否定してしまうことになる。

真の原因は相手にあるのではなく、自分自身のなかにある。自分のなかに問題点があるのだ、ということに気づかない限り、一生、前には進めない。


やばっ…
今の自分を変えなければ私に明るい未来はない!私はまだ自分の人生を諦めてない!

今の自分に強い危機感を抱いた私は即行動に移した。


仕事や生活習慣、携帯もアドレスも彼氏も、付き合いのある周りの人達も…自分を取り囲む環境を全て見直し一新した。

お金がなく住居を変えることは叶わなかったけれど、ずっと伸ばしていた髪はバッサリ切り、新しい自分になって自分のそれまでの行動を一つずつ変えていった。

自分を嫌いになるような行動をできる限りやめ、憧れだった仕事を始めてみたり、一人旅をして行きたい場所に行ってみたり、ジムに通って健康に気をつけたり、大好きな雑貨屋さんやほっこりできるカフェを探索したり…

自分がしてみたかったことの中で自分を好きになれるようなこと、自分を大事にできることを少しずつ積み重ねていった。

新たなチャレンジばかりで毎日がワクワクして心に引っかかるものが何もない。

心に引っかかるもの…それは罪悪感。

その罪悪感が自分への不信感に変わり、自分で自分を見失なわせていたのだと気づいた。

私はたった一冊の本に、今まで出来なかった決断と自分を変える勇気をもらった。

それから少しずつ少しずつ心が落ち着き満たされていく感覚がした。

目には見えない理由


私は人に依存していた。

自分の内にぽっかりと空いた穴がある。

その表現がとてもしっくりくるような寂しさをいつも感じていた。

その穴を必死で埋めるかのように人の愛にしがみついた。

今思えば何かにしがみついていなければ不安で不安でとても自分の足で立っていられないような状態だったのだと思う。

でもいくらそんなことを繰り返しても自分の穴は決して埋まらない。
埋まらないどころか、そんな自分を自分でも気づかないうちにどんどん嫌いになっていき、空いた穴はもっと大きくなる。

自分の求めていた愛情をもらえなかった親を憎み、周りを責め、そんな自分を責めてさらに穴は大きく空いていく。

親を責めても親は変わらない。
だって自分にも、最低なことをしてしまったその時の自分には他にどうすることもできなかった理由があったのなら、親にも親のせいではない仕方のなかった理由がきっとその時にはあったのだと思うから。

こんな欲望だらけの娘だからこそ心配が故に過干渉になった部分ももちろんあるとは思う。
でも決してそれだけじゃない。


人間というものは、ある限度以上に幸せな人でないと、人の幸せを一緒になって喜ぶことができないものです。
人の幸せを願うことのできない人は、我が子の幸せをも願うことができないばかりか、我が子の幸せに嫉妬をしてしまう人なのです。

親は子の不幸を願っているわけではないから、それだけに親も子もまったく気づかず、しかし確実に幸せを避けてしまうようになる…とある。

幼い頃から友達と遊びに行こうとすると
「勉強しなさい!」と迎えに来てくれた友達を帰されてしまったことが多々ある。

私がご機嫌でいると母がイライラする。

それを子供ながらに感じていた。だから、
「行きたくないけど付き合いで仕方なく行く」と伝えると「それも勉強」とすんなり出してくれた。

そこから学んだことは、うそが上手になったことと、自分の楽しみ、幸せに限界をつけてしまうようになったこと。

楽しむ姿を見せてはいけない。
自分は幸せになってはいけない。
そう無意識に感じていたのかもしれない…
だから辛かったんだと分かった。

でも、もし自分の親が本当にそうだとしたら、私だけでなく親だってとても苦しかったということ。
だから自分の為にも親の為にも、もう誰も責めることはしない。したくない…

見えない理由には心に空いた穴だけではなく愛もある。だからそんな自分を心から信じる。

"こうしたい" という思いや気持ち。

それはどれが正しくどれが間違っているなどないもの。
人の心は自由。
そこには目には見えない、本人にしか分からない理由があるから。

それまでの自分にはどうしようもなかった理由が皆それぞれあるのだから、自分も、親も、他の傷つけてきた人達も、誰も責める必要なんてなかった。

大切なことは

自分を許し、人を許し、誰も責めることなく 今、ここから自分を変えていくこと。

たとえ今までの行動は間違っていたとしても、そこには自分を守るための愛があり、人に対する想い、愛もあったはず。

自分を守ることは決して悪いことじゃない。
それは正当防衛だから。だから必死で自分を守ったその時の自分を責める必要はない。
だからまずは自分の心に寄り添い自分を信じてあげること。そして許してあげること。自分を許すことができれば不完全な相手を許すこともできる。

同じように相手にも自分を守る愛がある。
相手は自分を幸せにしてくれるために存在しているわけではない。相手は自分が幸せになるために存在している。自分と同じように…
だから自分を守るために行動することは人として自然な原理。
そんな中でも自分だけでなく愛する人を守ろうとする人を想う愛もあるのなら、人間ってまんざらでもないって思える。

誰しも生まれもった長所や短所、美点や欠点がある。
得意なところもあれば苦手なところもある。
時代の背景や育った環境、そしてそれまでの経験によるその人だけの価値感がある。
それらの影響により人格形成されていく。

目には見えない誰のせいでもない理由がみんなにありそれは親も一緒。
そんな完璧ではない人間である親が、元々完璧ではない子供を育てているのだから私だけではなく誰にでも心に空いた寂しい穴はあるのだと思う。
穴の大小はそれぞれ違えども…

けど心の穴と同じように誰もが愛を持っている。完璧ではない親に愛がなければ自分をここまで育ててもらうことはできなかったのだから。親だけでなく今まで自分に関わった様々な人達の愛を受け継いでいるはず。もし今まで誰からも愛されていないと感じていたとしたら、周りの愛に気づいていないだけかもしれない。そして自分を守る自己愛は自分の中に必ずあるのだから。
だから誰にも愛は存在する。その誰もがある愛にまずは気づくこと。そこから全てが変わっていく。

ただ愛があっても愛し方、やり方が分からなかっただけ。もしくは上手にできなかっただけ。
自分のことでいっぱいいっぱいで心に余裕がなかったのかもしれない。
もしくは自分の内に愛があることすら気づいてないが故に愛のない行動をしてしまったのかもしれない…

そんな見えない理由を知り自分も相手も受け止めて許すこと。そこから誰も責めずに行動だけを変えていけばいい。
失敗に気づいた時から自分の行動だけを変えていけばそれでいい。
親に限らず自分以外の人を変えることなんてできないから。

みんなそれぞれ完璧ではない誰のせいでもない目には見えない理由があり、人には言わなくても苦しみながらも悩みながらもでもそれぞれが自分のやり方で幸せになろうと頑張っているのだから自分の価値観で人を変えることなどできない。けど自分が幸せになるために自分を、自分の行動を変えていくことは自分でできる。
そして自分の行動が変われば自分の心も人の心も自然と変わっていくものだから。


心と行動の間に思考を入れていく

人の心など簡単には変えられない。
だから自分の心も無理に変えなくてもいい。
完璧な人など誰もいないのだから。
そんな自由な心は否定せず受け止め、自分の行動を変えていけばいい。

そのためにはその自由な心と行動の間に思考を入れていく必要がある。
思考力。その考える力が自分の成長の鍵になる。

心=行動ではなく、

心→思考=行動

こうしたい!というどうしようもない感情は否定せず、ありのままの自分は受け止めればいい。
しかしその自由な気持ちをそのまま行動に移すのではなく、自分や人を大切にする思いやりの思考を入れ、大事な行動に移していくことが大切であり、それが自分を変えていく方法、子供から大人へと進化していく方法でもある。

自分のを変えるのではなく、思考を入れ自分の行動を変えていく。自分の具体的な行動が自分を変えていくから。

とはいえそんな簡単に人は変わらない。
頭で分かってはいても実際行動に移していくことはとても難しい。
だから少しずつでもいい。失敗してもいい。失敗したということはチャレンジしたということだから。他の人にとっては簡単だとしても、自分にとっては難しいのだから。そんな人には分からない理由もある。だから誰が何と言おうと自分だけは自分を否定しなくていい

少しずつ、自分らしく、思考と行動を近づけていく
失敗を繰り返しながらもなりたい自分に自分で近づいていく
そうして自分で自分をコントロールしていく

本来なら自分のしたいこと、自分の好きなことが自分を好きになれるようなことなら一番いい。

心=行動 が一番ストレスがないから。

でもその時の私はそうではなかった。

私には欲が深いところがある。
だからこそ人の心を顧みず、自分の心の赴くままに自分のしたいことをしたいように、好きなことを好きなだけするのではなく、

自分はどんな自分になりたいのか…

これは本当に自分の為にも人の為にもなることなのか…

そんな思考を入れていく。

自分の心で感じ、頭で考え、自分を好きになれるような大事な行動へと移していく。

つまり大事なこととは、自分や相手の目には見えない理由を知り、誰のせいにもせず自分も人も大切にする行動へと移していくこと。
自分の行動を変えれば自分の心も人の心も、自然と変わっていくから。

変えられない自分の外にあるものではなく、自分の内に求めていく。
その思考こそが幸せの元になる。

人には変えなくてもいいところと変えていく方がいいところがあるのではないだろうか。
自分の持ち合わせた特性は宝物。
私には欲深いところがある。しかし欲深いが故にその分向上心もある。欲があるからこそ私はどん底から這い上がることができた。欠点の裏にはそんな美点もある。

だからその美点と欠点、同じ一つの特徴を無くす必要はない。でもその特性の扱い方を謝ると自分も人も滅ぼしてしまう結果になる。
だから自分の大事な特性はそのままにして、場面によりその同じ特性である美点を伸ばしたりその裏の欠点を引っ込めたりしてバランスを整えていくことが大切なのだと思う。

そのためには欠点を欠点として意識して自分にある欠点をより大きくしてしまうのではなく、その裏にある美点を意識して伸ばしていけばいい。
私は自分の内に欲だけでなく向上心があることを知った。その向上心を意識すること。だから自分はできるんだ、大丈夫なんだとまずは自分を信じてあげること。そんな風に自分が自分を信じてあげることが何よりも大切であり、欠点の克服に繋がっていく第一歩なのだと思う。

幸せは人から貰うものではなく、自分で掴み取るもの。そして今自分にあるものに気づくこと。
自分の考え方、捉え方次第で人はいつでも幸せになれる。

私はどん底まで落ちた自分の失敗から、そんな大切なことを学んだ。

本の一節にある

見返りを求めずに心から相手のためを願う「無私の行為」を実行してみてください。必ず「悦び」が得られる。


簡単にできることではない。
けれど失敗しながらも諦めず、考え行動し続けていくこと、前を見て歩み続けていくことが大切なのだと思う。
人の為にも、そして自分を好きになるためにも…


いじめって楽しいもの。でもしない。


爆笑問題の太田光が語っていた言葉を思い出した。

「いじめって楽しいものなんですよ。だからこそいかにそれをしないようにするか、だと思う。」

いじめってたしかに楽しい。でもそんなこと言ってはいけない風潮が日本にはある。しかしそんな綺麗事言ってるからいじめはなくならない。表に見える行動だけではなく、正しいとか間違っているなど関係なくまずは

"なぜそうしたか"

その見えない理由、真実に気づき受け止めることが大切なのではないだろうか。

いじめが良くないことなんてことはいじめている側も十分分かっている。でも自分が楽しいからやめられない。相手も楽しんでいると勘違いしているからそもそもいじめだと気づいていない。もしくは自分が親から、周りからいじめられて相手のことよりも自分の感情をそのまま当てることを他者から自然に学び取ってしまったのかもしれない。だとしたらいじめられる側の辛さは人から言われなくても本人が一番よく知っているはず…

でも自分が悪いのだからいじめられても仕方がない…とどこかで自分を責め否定していれば、いじめられる側にも問題があると相手の欠点を責めたりいじめの行為にも繋がってくる。
誰にでも欠点はあり、問題のない人などこの世に誰もいないのに…
欠点があろうがどんな理由があろうが人を傷つけてもいい、なんて常識はあってはならないのに…

自分がやられたから、自分がストレス発散したいから、自分が楽しいから…どんな理由が自分にあろうと自分がやりたいからする、のではなく相手をそして自分を本当に大切にする行動をしていくことで自分自身を変えていける。なりたい自分に近づいていける。

そのためには我慢が必要になる。でもただ我慢をするだけなんてしんどいし続かない。だってそうしてしまうどうしようもない理由があるからしてしまうのだから。
だから我慢よりまずは自分の心に寄り添い自分を知り、自分の感情をそのまま受け止めてあげること、自分の心は否定せずに包み込んであげることが大切なのではないだろうか。

楽しいなんて思ってはいけない、自分の心を変えないといけない!なんて自分自身を否定するから余計に自己不信に繋がりそれがストレスになって同じ過ちを繰り返す。

見えない理由には必ず自分や人を想う愛がある。そこに気づけば自分を信じることができる。自分を信じることができれば、過ちを犯した自分を許し前向きに行動を変えていける。

経験は宝物。
自分の過去の悲しみや過ちを相手を想う優しさに変えていけばいい。何よりも自分が一番気持ちを知っているのだから。
そして自分だけの楽しみ方を人と一緒に楽しめる方向に自分で方向転換していけばいい。
知らず知らずのうちに自分の内に入れている罪悪感や自己不信を自分で変換していけばいい。
そうして自分の行動を変えていく。
自分の欠点を美点に変えていく。

相手はどんな気持ちなのか、自分がされたらどう思うのか、そしてそんな自分を好きになれるのか…
そんな思考を入れ行動に移していくことが、自分を好きになり、なりたい自分になっていく、ということなのだと思う。

自分より弱い相手をいじめて自分に自信をつけるのではなく、自分を変えて揺るぎない自信を手に入れていく。そして少しずつ自分もそして人も愛せるようになる。
人のためにしたことは結果的には自分のためになる。だから人のためだけじゃない。自分のために自分を変えていくんだ。


人の心にもそれぞれの理由がある。
だから心は無理に変えなくてもいい。行動が先。
具体的な自分の行動を変えれば自分の心も、そして人の心も後からついてくるもの。

その大事な行動を変えていくのが思考。

その思考を豊かにしてくれたのが文章だった。


自分が変われば周りも変わる


自己改革を始めてからニ年ほどして、私はお気に入りのカフェを見つけた。
心安らぐ参道があり、私が好きで時折通っていた神社がある。
そんな神社のすぐ近くにそのカフェはあった。

神社にお参りに行った帰りにはそのカフェに立ち寄るようになり、オーナーさんと仲良くなって人手が足りない時はお店の手伝いをするようになった。

ある日そのオーナーさんが男性を紹介してくれた。
それが今の夫である。

最愛の夫を導いてくれたその神社で結婚式を挙げ、子供が生まれて今は三人家族。
今は子育てを通してまた新たな学びを愛する我が子が私に与えてくれている。

自分が変われば自分の周りも変化していく…


noteを続ける理由


今の自分がいるのはその時偶然出会ったたった一冊の本に救われたから。

その時以外にも、たまたま手にしたファッション雑誌の特集のなかに、その時の自分に必要なヒントが書かれていたり、ふと目に入ったポスターの言葉が答えをくれたり、友達が貸してくれた本がまた新たな自分への進化をもたらしてくれたり…
その日、その時に必要なメッセージを私にくれる。

まるで前に進めず立ち止まっている私の背中をそっと押し出してくれるかのように導いてくれる。

そんな風に自分の今までの人生の転機に自分を変える勇気や、その時の自分に必要な知識と知恵をくれたのが文章だった。

そして何よりも、

私は大丈夫なんだ
生きていていいんだ

そんな大事な自信を私に与えてくれて、人生のどん底から這い上がることができたも文章のおかげ。

今度は今までの経験から得た自分の文章で、たった一人でもいいから誰かを勇気づけてあげられたら、とても嬉しい。

だから私はこれからもnoteを続けていきたい。

でもそれは人の為だけじゃない。

書き出すことにより自分の頭の中が整理整頓され、自分はどうなりたいのか、そのためにはどうすればいいのかを常に意識するようになりポジティブ思考になった。

自分と向き合う時間が増え、自己理解に繋がり、自分の内にある目には見えない理由や、それまで気がつかなかった自分や人の愛にも気づくようになった。

noteの他のクリエイターの方の文章を読むことで相手の経験を擬似体験したり、自分の行動を変えていく大事な思考を深めることもできる。

私は自分の性格の影響や、今まで文章など書いたことのない素人故に独りよがりな文章になってしまいがち。

どうしたら人に読んでもらえる文章になるのだろうか…
人を惹きつける文章ってどんなだろう…

自分が書きたいように書くのではなく、読み手の立場になって考え、文章を作るということは、自分とは違う自分以外の人達の立場になって考えることの難しさと大切さを学ばせてもらっている。

私は今まで以上に書くことの大切さ、文章の与える影響力の大きさを今痛感している。

だからこそ自分の文章で、一人でも多くの人に勇気と自信を与えてあげられることができたら、今までの苦しみや悲しみが喜びに変わり、そんな自分をもっと好きになれる気がする。

それが今まで親や周りの人達を傷つけてきた自分の過ちへの償いになればと心から思う。


私に大切なことを教えてくれるnote。

そんなnoteは、私のような初心者でも、違った価値観や考えの人達がいても、ぶつからないようにそれぞれの立場の人達がそれぞれ使いやすいように考えられている。

書く自信を失なった時、励まし勇気づけてくれたのもnoteだった。

多様な人々を受け入れ、認め合える人に優しいnoteが私は好きだ。

そんな安心できる場所で、自分の為にも、人の為にも、少しずつマイペースにnoteを書き続けていきたい。

全ては自分次第


私の心の中にぽっかりと空いた以前のような寂しさは今はもう不思議なくらいにない。

それは今、ありのままの自分を受け入れ更なる成長を願ってくれる大切な夫や愛する息子がいるから…だけではない。

今までのいろんな経験を通して、良いところも足りないところもある凸凹の自分を知り、自分で自分を受け入れることができたから。
今までの経験や自分の長所を活かした自分だけの役割を見つけたから。
そして、そんな自分を好きになれたから。

その人にとって無駄なことは起きない。
全てに意味がある。

過去の失敗やそれまでの悲しい経験をただのマイナスと捉えるか、自分の肥やしにするかは全て自分次第。自分で決められる。
これからの自分次第で決めることができる。


文章には人を変える力がある


最後に
私が自分の誕生日に親に宛てたメッセージを恥ずかしながらも紹介しようと思う。


私を生んでくれてありがとう。
私はお父さんとお母さんのもとへ生まれてきて本当に良かったと今心から思います。
私は今とても幸せです。
今までいろいろごめんなさい。
そして数えきれないくらいの愛をありがとう。
無理せず身体に気をつけて私達のためにも長生きしてね。    大好きなお父さん、お母さんへ


文章は人を変える力がある。
まだ親が元気なうちに、心からの感謝の気持ちを伝えることができ、本当に良かったと思う。


あれから親も変わった。
でもそれは私も変わったから。
今、親とは近すぎず離れすぎず良好な関係を築いている。


自分が変われば相手も変わる。

自分が変われば自分の周りも少しずつ変わっていく。

そうしてなりたい自分に自分で近づいていく…


今、私には文章だけではなく、無知な私にたくさんの知識や知恵、そして自信を与えてくれる大切な友人達がいる。

noteを紹介してくれた学び合いの同士でもある大切な友人に。そして新たな進化のきっかけをくれたnoteに感謝の意を込めて。


【追記】
依存症との向き合い方/克服法


私は人に依存していた。

しかし、依存症の人達全てが自分の意志で克服できる人達ばかりではない。

とくにアルコール依存や薬物依存は病気なので克服できないのは本人の意志の弱さや性格が原因ではない。その場合は医師による治療など第三者の助けが必要になる。

飲みたくなくなってから飲まない、なら気持ちは楽だが、飲みたいけど飲まない、という行動に移さなければ飲みたい気持ちは変わっていかない。
自由な心は変えずに行動を変えていく。行動を変えれば飲みたいという心は次第に変わっていく。

しかしアルコール依存症は長期間にわたってアルコールを大量に摂取し続けることによって、アルコールを摂取しないといられなくなる病気。
アルコールが常に体内に存在することが正常な状態と認識してしまった身体でさらに、飲みたい!という気持ちと格闘しアルコールを絶たなければならず、とてつもなく苦痛を伴う治療になる。(不安を和らげる投薬は利用する)

だからこそただ我慢するという当事者の意志のみでの克服は極めて困難であり、挫折してしまったとしても決して本人の意志が弱いからではない。
誰かの助けが必須であり、またそれだけ苦しんでいる人だ。

そこまで何かにしがみつかなければならなかったほど心にぽっかり空いた穴があまりに大きい人。
そんな弱い自分の心を治さなければいけないと自分自身を否定してしまい、さらに周りから責められ、自分の内にある穴を大きくしてしまう人もいるだろう。
そしてさらに何かにしがみつき、自分を蝕んでいく。

本人の心が弱いからだという周りの誤解がさらに本人を苦しめ、穴をまたさらに大きく空けて依存性を強めてしまっていることに気づいてほしい。

しかしそんな過ちをしてしまった周りの人も同じように自分を責めることなど何もないのだと思う。

やり方が間違っていただけで本当に相手の為と思いしたことだから。
もしくは自分の心にも大きく穴が空いていて人を責めることにより、自分はこいつより大丈夫なんだと思いたかったのかもしれない。
だとしたら自分だって苦しかったはずなのだから。

ただ穴の埋め方が間違っているだけでそんな今までの自分を責める必要はない。
人を責めることに依存して穴を埋めようとしているだけ。
ただ対象が人かアルコールか、依存先が違うだけで責めている人も責めらている人も一緒の場合もある。

依存先は結局は自分が好きなものが対象になるのではないかと思う。
アルコール依存はアルコールが好きな人。
パチンコ依存はパチンコが好きな人。
だから人に依存する人は結局は人が好きなのだと思う。

親を責めていてもそれは親が好きだからこそ振り向いてほしくて求めてしまう裏返しだ。
だからきっと親が子供を責めてしまうことも同じように子供を愛しているから。そして自分の空いた穴を塞ごうと子供に甘えているからかもしれない。それも自分を守るための愛からきている。

ただやり方が間違っているだけ。
ただそれだけだ。

そんな風に身体に入れた人への不信感を断ち、アルコールを断ち、薬物を断ち、同時に自分自身としっかり向き合う必要がある。

ぽっかりと空いた穴には人それぞれの理由があり、その理由も穴の大きさもみなそれぞれ違う。
ただ確かなことは大きな穴が空いてしまったのは本人のせいではない理由が必ずあるということ。そしてその理由の理由、背景もあり、さらに背景の理由もある。

そうして心の隙間の理由や背景を知り、突き詰めていけば誰のせいでもないことが分かる。
そしてその裏には自分や他者の愛があることにも気づく。

今までの自分としっかり向き合い愛を感じ、そして自分や人を許すことにより穴は埋まっていく。
その自分を信じることができる安心感が自分の感情を抑え、病気を、そして欠点を克服していく勇気に変わっていく。その為には第三者の思考や助けなど誰かの愛が必要になってくる。
その手助けをしてくれたのが私はたまたま本であり、本に携わってくれた作者を始め様々な人達の愛のお陰だと今とても感謝している。

空いた穴の大きさや身体や精神の重症度によりそれぞれの対処法も変わってくる。 
しかしその辛く悲しい経験は、人を想う共感力や想像力に変わる時が必ずくる。
その経験をどう活かすかは全てこれからの自分次第だ。
誰のせいでもないのだから誰のせいにもできない。言い訳はできない。
だから人も、そして自分も許しそこから自分がどう動くか、だ。

人は完璧ではないから親だって誰だって完璧じゃない。
だから誰にでも空いた穴はある。
決して自分だけが特別じゃない。
何かに依存している人も。
依存している人を責めている人も。

周りを困らせているように見える人は本人が一番困っている。

だからこそ困っている人を責めさらに困らせるのではなく、困っている人がどうしたら困らなくなるのかを一人一人が考え行動することが大切であり、その相手を想う愛が苦しんでいる人だけでなく自分自身をも救う方法なのだと思う。

人は完璧じゃないから弱いもの。
弱いからこそ支え合い、それぞれの違いで補い合っていく。
だから違うっていい。
違うからいい。

人を変えるのではなく、今ここから自分に何ができるのかを考え、まずは行動に移していく。
その自分の為にも人の為にもなるような自分の、自分だけの役割を知ることこそが、一番の克服法であると自分の経験上思う。

自分の答えは自分の内にある。
第三者に頼ってもいい。本を読むのもいい。占いをしてもいい。情報を集め他人の知識や知恵を参考にしてもいい。
そんな風に自分の外にあるものを利用してもいい。しかし、あくまで参考だ。
それは自分以外の他人の思考だからだ。自分じゃない。
自分に合わないものや当てはまらないものだってあるしそれらが全て正しいわけではない。
どう判断するかは自分自身だ。
それらを参考にして最終的には自分で決める。
それが自分になる、ということだから。

だからこそ自分と向き合い、自分を知り自分に問いかけ自分だけのオンリーワンの答えを自分で出していく。誰のせいにもしなくていいように…



自分の道を生きる。

自分の具体的な行動が自分を変えていく。

そうすれば自分の心を、そして人の心を少しずつ癒やしていく。

そうしてなりたい自分に自分で近づいていく。






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