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50歳のリアル⑧ ケツの穴の小さい男に遭遇して思う孤独ということ


近所の本屋さんで本を買っていたときのこと、隣のレジからいきなり怒声が響いた。驚いて見てみると、70代と見られる男性がレジカウンターの女の子に向かって、
「なんだ!その嫌そうな顔は!」
と、いきり立っていたのだった。どうやら、彼女の表情が気に食わなかったらしい。
確かに表情はやや乏しく、大人しそうな雰囲気ではあるが、だからといって他人に不快感を与えるとまではいかない、どちらかと言えば仕事に不慣れな印象だった。
20歳前後の若い女性だったこともあって、男性からの怒声を浴びて一瞬で凍り付いていた。
その男性は、無言で頭を下げ、萎縮している彼女に向かって散々文句を言ったあげく、
「もういらない!買わない!」
と言って、勢いよく店を飛び出して行ったのだが、数十秒で舞い戻ってきて、
「やっぱり、また買いにくるのが面倒だ!」とかなんとか捲し立て、再びレジの彼女を攻撃する。慌てて店長らしき中年の男性が奥から出てきて対応にあたっていた。
ボクのレジを担当していた女性も唖然として、しばらく手が止まっていたから、顛末の一部始終を一緒に見ることになったのだが、そのときボクの頭に浮かんだのは、
「なんだこいつ、ケツの穴の小せぇー野郎だな」
というものだった。

ケツの穴の小さい野郎・・・そういえば最近、あまり聞かれなくなったなあ…もしかして死語? ビーバップハイスクールに代表するヤンキー全盛の時代の言葉だったのだろうか?それ以前か?汗臭い昭和な感じもするし、ちゃきちゃきの江戸っ子が言いそうでもあるし。

(語源やルーツについては、市川円さんのnoteでていねいに考察されていますので参照してください)

それにしても、このクレーマー男性は確実に「ケツの穴が小さい野郎」と呼ばれた時代を生きてきた上で、年を重ねて尚、ケツの穴を小さくしたのだなあと思うと、残念というよりは物悲しくもあり、改めて男は弱い生き物だよな~と思うのだ。

勝手なプロファイリングをするなら、定年後、時間に余裕のある一人暮らしの男性。他者とのコミュニケーションはどちらかと言えば苦手。特に若い世代や女性とは何を話せばいいのかわからない。家で一人でテレビや本をみて過ごす。テレビを観ながら独り言を言う他、今日も一日誰とも会話しなかった。自分が寂しいということに薄々気づいているが認めたくはない。なんとなく世間が気に食わない。世間に対しても自分に対しても苛立っている。

こんな感じだろうか? ほんとに勝手な想像だが、遠からず近からずなんだろうか。

孤独は病である

そう断じたのはここ10年以内のことだろうか。2018年には英国で孤独担当大臣が設置され、孤独は国を挙げて取り組むべき社会問題であるという認識が広がった。
もちろん、日本も他人事じゃない。むしろ日本こそが、というべきかもしれない。

その昔、リゲインのCM「24時間戦えますか、ビジネスマン!ビジネスマン!ジャパニーズビジネスマン♬」がTVから、たれ流されていたし、それを当たり前のように受け止めてもいた。
ずっと働いているのだから、学生時代の友達ともどんどん疎遠になって、そのうち連絡先もわからなくなってゆく。家族との時間も取れず、妻や子供が何を考えているのかわからなくなってゆく。
今の時代では冗談のような話「休みは盆と正月の2日だけです」と平然と言ってのける輩が、リアルにゴロゴロとボクの周りにも存在した。こんな奴らには勝てないなあ・・・と思ったものだ。
彼らは間違いなく、日本の発展のため、家族のため、自己実現のためによく働いた。生産性うんぬんはともかく、長時間労働をしてきた。

仕事中心の生活を長らくしてきた弊害として、将来に孤独が待っているとしたら、それはやはり物悲しいと言わざるを得ないだろう。
クレーマー男性を擁護するわけではないが、ケツの穴が小さくなってしまう人が出てくるのも不思議ではない。男は弱い生き物だから。例えば犯罪検挙件数の8割は男という事からもわかる。

弱い犬ほどよく吠えるのだ

そして、ボクも他人事じゃないよなあ・・と、このクレーマー男性を見ながら思い、なんだか自分事のように物悲しくなったのだった。

孤独はやはり怖い

孤独な人間を目の当たりにすると、更にその感情が強くなってゆく。ボクが70になるまでのあと20年で、どうにか解決してくれないものか。

ボクにも妻子はあるが、いづれ人間、最後は一人なのだ。

ChatGPTやらAIやらでも、なんでもいいから解決してもらえると助かるのだがなあと思う。

いや、やっぱり生身の人間が相手でなければ解決しそうにないとも思う。

どうしたものだろうか?

「孤独を感じると不安になるのは、社会的な動物である人間の本能なのだ」とか何かの本で読んだことがあるが、いくら正当化してみたところで、状況が変わらなければなんの意味もないし。

「孤独は現象ではなく心象です」と、孤独ではなく孤高と言い換えてみたところで、現実が変わらないのだとしたら、やっぱり何の意味もないのだ。

孤独になったことを起点として、ケツの穴が小さくなり、より他人を遠ざける言動を発するようになっては本末転倒もいいところであって、もはや喜劇なのだろうが、そんなことに気づかないまま、淋しそうに生きている人が、世の中にはたくさんいる。

今日、出会ったクレーマー男性を決して擁護はしない。

どんな事情があれ、他人を傷つける行為は許されるべきじゃないと思うからだ。

だけれど、彼らのバックグランドに思いを馳せる度量は持っていたいとは思う。

それがケツの穴の大きな人間というものだ。

それに…






ケツの穴を大きくすれば、孤独問題も解決するのかもしれないじゃないか?

ケツの穴を大きくすると出すものが多くなって、入るものも多くなるんじゃないか?

そうた!50歳からはケツの穴の大きな人間として生きていこうと思う。そうすべきだ。

ケツの穴の小さい人間を反面教師としよう。

逆をすれば良いだけの話なんである。






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