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【旅レポ】松山で天ぷら蕎麦を食べて天麩羅先生になる旅

5月に愛媛県の松山へ行った。

松山といえば、なんといっても坊ちゃんだ。

坊ちゃんスタジアム坊ちゃん列車、中には金券ショップ坊ちゃんまである。

坊ちゃん推しが甚だしいのだ。

松山まどんな病院と聞いて、なんだかドキドキしてしまった。

やはり、漱石は偉大なのだ。

小説『坊ちゃん』を携えて松山を歩こう。

坊ちゃんとマドンナ

松山城への道すがら、現れたのはこちらの坊ちゃんとマドンナ像だが、ボクら文学ファンからすると、どうも複雑な心境になってしまう。

夏目漱石の『坊ちゃん』が、まるで青春ラブストーリーであるかのような誤認を与えかねないツーショットだからだ。

一度でも読んだことがある人ならすぐにわかるが、この小説は青春ラブストーリー要素は微塵もなく、坊ちゃんとマドンナが会話するシーンすらほとんどない。

江戸から明治へと移り変わる時代の転換期を描いた作品だ。

『坊ちゃん』をリスペクトしているようで、実は商業利用しているだけのような、なんとも悲しい扱われ方をしているが…地方それぞれに色んな事情もあるだろうから、そっとしておこう。

今回の旅のテーマは小説『坊ちゃん』を片手に町を歩こう‼️聖地巡礼だ。

市内を走る坊ちゃん列車

知らない町へやってくると、まずは徒歩で周辺を歩きたくなる。

観光地へダイレクトに行くよりは、その土地での人々の暮らしぶりにまず関心が向く。

歩いていて見えてくる景色が好きだ。

JR松山駅から道後温泉を目指して歩いていると、坊ちゃん列車に遭遇した。

小説の中で、坊ちゃんは温泉が気に入ってしまい、毎日、道後温泉まで列車に乗るシーンがあるのだが、まさに明治期に市内を走っていた路面電車を見事に再現している。

もちろん、今では観光列車だ。

豪快に蒸気を出す演出まで作り込まれている。

道後温泉本館

道後温泉本館。

坊ちゃんは、ここに毎日通っていたという設定だろうか?明確な記述はないが、さすがに本館というからには、ここが聖地だろう。

せっかくだから、ひとっ風呂浴びて行くかと入口に向かったが、生憎と予約制なんだとか。

次はいつかと尋ねれば夜の6時半からだという。

それも30分交代制とのことだった。

日が暮れるにはずいぶん時間があったから、ここは断念して近隣の温泉に浸かった。

本館からすぐ 椿の湯

商店街は賑わう中、こちらの温泉は地元の方メインなようで、割と空いていて快適だった。

松山市の繁華街 大街道

小説の中では「大町というところを散歩していたら郵便局の隣りに蕎麦屋とかいて」…とあるが、今の松山市に大町という地名はない。

郵便局の隣りに蕎麦屋とかいて…とあるからには、明治期にあっても公共施設や商店が軒を連ねた一帯があったのだろう。

松山城からも程近い、大街道(おおかいどう)が、かつての大町だったと推測する。

地名は土地の記憶だ。

おおまち→おおかいどう が派生したものと思われる。


その大町の蕎麦屋で、坊ちゃんは天ぷら蕎麦を食べた。

東京から赴任してきて、久しぶりの蕎麦が旨くて、4杯平らげる。

松山で食べた天ぷら蕎麦

偶然居合せた学校の生徒らが、天ぷら蕎麦にがっつく坊ちゃんを見て、翌日、学校の黒板にデカデカと天麩羅先生と書いたのだった。

天ぷらを食っちゃ可笑しいか?と坊ちゃん

すると生徒のひとりが、
「しかし四杯は過ぎるぞな、もし」と云った。

ぞな、もし、という方言が印象深い。

今でも話されているだろうか?

方言訛りが強いと言われた東北や九州でも、今では標準語が中心に話されていて、勝手ながら寂しい気持ちになる。

30年前はもっと方言が飛び交う世界だったように思う。

チェーン店が日本中にどんどん広がって、ロードサイドはどこへ行っても同じような景色でつまらなくなったと思うのは、都会人のエゴだろうか。

松山に滞在した3日間、残念ながら、ぞな、もしは聞かれなかったが、年配の方の間では、まだ話されていると信じたい。


天ぷら蕎麦の話に戻る。

大街道で天ぷら蕎麦を食べて天麩羅先生コンプリートを目論んでみたところ、さすがに4杯は食べられず、日を分けて2杯食べた。

写真の天ぷら蕎麦は、JR松山駅構内で松山最終日に食べたもの。

味はいたって普通の、美味しい天ぷら蕎麦だ。

いりこだしだろうか。

食べ慣れた味がする。

結局、今回は2杯しか食べられずだったが、

最高のグルメは空腹感であるように、グルメもまた心象なのだ。

松山で天ぷら蕎麦を2杯、美味しくいただいて満足だ。

小説片手に歩く旅はいい。




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