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天職とは

天職とは何か、その答えを見つけに来た人には申し訳ない。ここを最後まで読んでも答えには辿り着けない。他の崇高な方々の記事や本を読まれた方が、よっぽどためになる事が書いてあると思われる。ここでは、仕事をしている自分のあるべき姿を考えるために思考とこれまでの経験を残そうと思う。


働き始めてからずっと考えている事がある。

天職とは何か。適職とは何か。

天職を見つけられた人に聞きたい。どういう時にそう感じたのかを。

最近、適職には就けているかもしれないと思えるようになった。

私はある会社の技術者だ。入社して18年目になる。

自分の事を『技術者』と呼べるようになったのは最近だ。それまでは烏滸がましくて何者にもなれない自分がいた。

最初は現場で採用され、1年後に希望していた開発部に異動した。

この異動は晴天の霹靂だ。なぜなら、希望者が多い部署だからだ。異動した理由は、人事シートを当時の部長がたまたま読んでくれて開発部に連絡したらしい。これは、後々の飲み会の席で開発部の副部長からこっそり聞いた。こんな事あるんだなぁと思った。

開発部の上司も先輩もいい人ばかり。現場育ちで右も左も分からなかった私を時間をかけて育ててくれた。ある先輩は言った。「20代はずっと新人だ」と。それくらい覚える事が、出来なければいけない事が山ほどあるのだと。

職場では自分を異端に感じていた。理由は沢山あった。ある時は、違う職場の方に「なんで君がこの仕事を担当しているの?」と聞かれた。それくらい滅多にない人事だったと自分でも分かっていた。上司の采配です・・としか言い様がなかった。ただ開発部のメンバーは誰一人として自分をそのように扱わなかった。有り難かった。

当時の私は、ねじの図面ひとつ書けなかった。機械設計、図面の書き方、高分子、材料力学、通信講座を受講したり、業務を通じて知識を取得した。

その後、30才間近で結婚して2度の育休を合わせて4年くらい頂いた。本当にいい会社だ。復職後にいつも仕事を用意して待っていてくれる先輩がいた。本当に有り難かった。そのおかげで、復職以降もキャリアを諦める事なく今でも前向きに仕事に取り組めている。その先輩は数年前に定年退職されたが、今も年に数回お会いする機会がある。その度にいつも仕事への情熱を思い出させてくれる素晴らしい人だ。

話しを1度目の育休明けに戻す。

育休空け後に間もなくして新しく出来た部署に異動になった。これまでの業務を継続出来るのは良かったが、開発より研究に近い業務に就いた。今度は、手掛ける商品に使う素材についてじっくり学べる時間を貰った。2度目の育休後は、振動、解析、シミュレーション、といった畑違いの分野の知識が必要になった。関連セミナーを受講し、ひたすら勉強した。

【モード解析入門】なんて本があるんですか、へー、ふーん、ペラペラ・・・よし、実践で取得しよう!笑

ひたすら実践でFFを使い込んで知識を実務で取得。その経験と振動工学(烏滸がましいので本でいう1章くらい笑。モード解析入門だと5章)の知識を組み合わせて開発に携わった商品が発売された。その開発では、楽しい所ばかり経験させて貰った。

今年の4月に再び開発部に異動した。これまで開発に携わった商品は、片手で足りる数。今は、開発に10年くらいかかっている案件がやっと商品になりつつある。

思えば、仕事で成果を出せたのは30代になってからだった。新人を抜け出し、40才に差し掛かる今、ようやく半人前から一人前になってきたとのではないかと思う。

技術者にとって一番必要な事は、思考を重ねる事だと考えている。これは、技術者になって一番良かった事でもある。昔から考える事が好きだった。子供の頃から、自分の思考の世界にトリップしたものである。思考を重ねる事で新しい仮説が生まれ、検証してまた知見が増える。人生もその繰り返しの様な気がする。

これが自分の強みなのだろうか。これから先、適職が天職になるのか、どこかに異動になり、そこでの業務が天職になるのかはまだ分からない。

定年まであと20年。20年後の自分に再び問いたい。天職は何かと。




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