聞き過ぎればウザがられると分かっているのに

プライベートではもっぱら引きこもりで、人と会話する機会はほとんどありません。

インターネットはよく使うし、SNSも見ていますが、人とのやり取りのためには、ほとんど使っていません。

なので、他者とのやり取りは、仕事を通じてのものが多いです。

その中で、「必要なんだ」「痩せてるよ」といった、自分にとっては嬉しい言葉をかけられると、とりたくなってしまう行動があります。

「必要なんだ」という言葉に対し、「本当に、私の存在は迷惑ではない?」と。

「痩せてるよ」という言葉に対し、「本当に?太ってない?」と。

とりたくなってしまうを超えて、実際に聞いてしまうこともあります。

もちろん、「いや、お世辞だよ」と言われようものならかなり傷つくでしょうし、「何回も聞くなしつこい」と言われたら、かなりの自己嫌悪に陥ることでしょう。

でも、どうしても相手が本心で言っているのか、気になって仕方がないのです。

これが、ネガティブな言葉、「こんなに出来ない人は初めてだ」「気に食わない」「ふざけんな」等であれば、物凄く傷つきますが、相手に本心を確認することはありません。

「私よりも出来ない人って、本当にいないんですかね?」

「本当に気に食わないって思ってます?」

「本気で私がふざけてるように見えます?」

……、こんな言葉、その最中では全く出てこないです。

ネガティブな言葉は、すんなりとその人の本当の気持ち、考えだと思うのに、私にとって嬉しい言葉は、何回も確認したくなります。

本心かも信じられないし、きっと何回も、その「嬉しい言葉」をかけてほしいからなのだと思います。

でも「私のこと、嫌い?」と何回も聞けば、最初こそ「そんなことないよ」と言ってくれる人も、次第に「そういうしつこいところが嫌い」と答えるように、何回も確認する行為は、ウザいことなのだと、頭では分かっています。

本心であろうとお世辞であろうと、その人の発言を何回も聞き返す、蒸し返すような行為は、嫌われる行為だと、知っているはずなのです。

それでも、そういうウザい行為を、とりたくなってしまうし、とってしまうのです。

それでまた人間関係が悪化して、人と関わるのが怖くなって、よりコミュ障になって……と負のループに陥ってしまいます。

とりあえず、今は「私は本当に邪魔じゃない?」「ウザくない?」「迷惑じゃない?」と聞きたい気持ちを、意地でも抑えようと思います。

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