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ぼくと少女漫画

小学校の3年生頃まで、私は「わたし」でなく「ぼく」だった。
髪は短く、服装は兄のおさがりのTシャツとズボン。
昼休みには校庭でドッジボールかキックベース。

「女の子らしいとされるものを選択すること」がなんとなくいやだった。
「女の子らしいとされるもの」それ自体はきらいではない。
ピンク色、フリル、レース、リボン、きらきら光る石に、かわいらしいお人形やぬいぐるみ、カラフルな甘いお菓子。
きらいではない。それらはかわいいしきれいだしおいしいから。
けれどそれは、基本的に「女の子のためのものである」という認識があった。

「女の子」の定義とは?
やさしくて、おしとやかで、髪が長くて、スカートを履いていて、屋外での運動より室内遊戯を好み、ランドセルは赤色で、ピンクがよく似合い、家事が得意で、乱暴な言葉づかいはしない。肉弾戦の喧嘩なんてもってのほか。
そして大きくなったら結婚して子どもを産まなくてはならない。
(それには激痛がともなうが「おめでたいこと」なので我慢しなければならない)
だいたいこんなかんじ。

たいていの条件に、自分はあてはまらない。
ゆえに自分は「女の子」ではない。
女の子ではないのに女の子のふりをするなんて不自然だ。
だから自分は「わたし」でなく「ぼく」なんだ。

と、そこまで明確に考えていたわけではないがだいたいそんなかんじの認識でいたように思う。
肉体の性別は女性であっても、「女の子」という概念にそぐわない。
別に心底「男の子になりたい」と思っていたわけではないが、生まれてくる性別を間違えたなぁ、男子に生まれていたらもっと自然で楽だったろうにとは常々思っていた。

私が「ぼく」をやめたのは小学校3年生の頃。
明確なきっかけがあった。
クラスメートの女子にこう言われたのだ。

「どうして女の子なのに自分のことボクっていうの?
 ヘンだよ!」



………………いや、そうだけど、そうなんだけど、ちがう。

ぼくは女の子じゃない。

と、強烈に思ったのだけど。
でもやっぱりそこは所詮小学3年生なので、言語化できない。
なんだかもやもやするばっかりで説明できない、言い返せない。
言い返せないなら黙るしかない。

けれど彼女は黙らない。
黙ったまま足早に歩み去る私の後ろを延々と追いかけながら、なぜなぜどうして、ヘンだよヘンだよ、と繰り返す。
あんまりにもしつっこいので、私はぷっつりとキレてしまった。

「うるっせぇな、そんなのひとの勝手だろ!!!」


大声で怒鳴りつけると、彼女は至極びっくりした顔になった。
これでまだ追いかけてくるならいよいよぶん殴るしかないなぁいやだなぁ、と思いながら駆け足で逃げると、彼女は追いかけてはこなかった。
彼女のうしろに黙ってついてきていたもう一人の女の子が「そんなのひとの勝手だよ」と諌める声が聞こえた。
それにほんの少しだけ救われたような気持ちになったのを覚えている。

うちに帰って電気もつけず部屋の隅でひざを抱えながらうなだれた。
頭の中で「ヘンだよ」という言葉がぐるぐるぐるぐる。
ヘンだよと言われるのはいやだった。
おまえは人間として欠陥品だと言われているような気がした。
自分が間違っているとはまったく思わなかったが、これ以上ヘンだと言われたくないので「ぼく」をやめることにした。
どうせ一生「ぼく」のままでいられはしないだろうとはうすうす考えていたし、いい機会なんだろうとむりやり納得した。


翌日から、一人称を「わたし」にした生活がはじまった。
今までずっと「ぼく」だったのに、急に「わたし」に変えられるだろうか。
うっかり言い間違えたりしないだろうか。
変えられたとしても、逆に嗤われるんじゃないだろうか。

内心すごく不安だったけど、実際やってみたら、驚くほどあっさりなじんでしまった。
誰からも嗤われたりしなかった。
というより、誰もそんなことに気づいてすらいなかった。
実の親すらもまったくのノーリアクションだった。
こんなものか。と拍子抜けしたようなほっとしたような、おかしな気持ちだった。

唯一彼女だけは、気づいていてあえて黙っていたのかもしれない。
さすがに前日にあんなことがあって自分が無関係だと思えるほど無神経ではない…と思う。
しかしそれ以来、私の方から彼女のことをあからさまに避けるようになったので、卒業まで会話らしい会話をする機会もなかった。
卒業してからは別々の中学へ進んだ。

小学校を卒業して、中学生になったら、強制的にスカートを履かされた。
制服の採寸をするときに初めてそれを履いて、その心許なさに愕然とした。
怖い。
スースーする。不安だ。走れない。歩くことすら若干危うい。自分が露出狂にでもなったような気がする。怖い。
小学生よりさらに小さい頃は当たり前に履いていたこともあったはずなのに。スカートってこんなに不安になる衣服だったのか。
よその学校では、女子はスカートかスラックスかを選択できるところもあるらしい。後悔した。制服で進学先を決める友人に対し、内心「バカなことを」と思っていたけど、そんなふうに思っていた自分こそバカだった。3年間毎日のように着るものなのだ、それはけっこう重要だ。
後悔先に立たず。とりあえず制服着用時はその下にスパッツを装備することを心に決めた。

彼女と再会したのは高校2年生の夏だった。
夏期講習の帰りに気まぐれに入った本屋で、ふろくでパンパンにふくらんだ雑誌をぎゅっと抱える「女の子」がいた。
そういうのはせめて、買って店を出た後にしろよ。と思ったが、その光景に目を奪われた。
長い栗色の髪を三つ編みに結って、そのはしに光沢のあるリボンをつけて、裾に繊細なレース飾りのついたノースリーブの白いワンピースを着て、華奢なストラップのついたサンダルを履いた彼女は、カラフルな少女漫画雑誌を抱きしめながら、溢れる気持ちが抑えきれないとばかりに耳をほんのり赤く染めていた。

すげぇ、完璧だ。

なんだか日常にあるささやかな奇跡を見たような心地で呆然と立ち尽くしていると、その視線に気づいた彼女がこちらを振り返った。
あの日のような、まんまるの目を見開き至極びっくりした顔で。
不躾に眺め回していた気まずさと動揺から、うっかり「やぁ」と片手を上げてしまったら、彼女もぎこちなく「ひさしぶり…」と返してくれた。
小学校を卒業して4年半も経つのに、特別仲良しな友達だったわけでもないのに、むしろ気まずい別れ方だったのだからそのまま「じゃあ」と立ち去ってしまったほうがきっとお互い平穏だったろうに、ふたりともがなかなかに動揺していて、そのまま立ち話が始まってしまった。

「今日もすごく暑いね。私は夏期講習の帰りなんだけど、途中で涼まないとやってられなくて」
「そうでしょうね」
「それ、好きなの?」
「え?」
「その雑誌」
「ああ、ええ、うん」
「私は単行本派だから雑誌は買わないんだけど、小1くらいの頃はちょっと買ってもらってたかなぁ」
「ふろくも、ね、欲しいから」
「ああ、単行本にはふろく付いてないもんね」
「それに、好きな漫画がこれで最終回だったから」
「へぇ。どれ?」

あんまり興味はなかったが、なんとなく流れで訊いてみる。
すると彼女は抱きしめていた雑誌の表紙をこちらに示し、「これ」と大きく掲載された作品のヒロインを指差した。

「あ、これ、知ってる。昔好きだった。へぇー、まだ連載してたんだ」

思いがけず記憶の呼び水がしぶきを上げ、私はその表紙をみつめた。
そう、彼女の冒険がとても好きだった。特にヒロインの親友の元気な女の子とマスコットキャラが好きだった。脳裏にたくさんの登場人物が踊りだす。いつから読まなくなったんだっけ。どこまで読んだんだったっけ。

懐かしさにじっと見つめ続ける私に、彼女はこう言った。

「いま時間ある?」

まだ平静に戻りきれていなかった私はまたもうっかり「え?うん」と頷いてしまった。実際、講習は終わったので時間はあったのだ。

すると彼女は私の手を取り、レジで会計を済まし、そのままずんずんと歩き続け、とあるマンションの前で「すこし待ってて」と言ってオートロックのドアの向こうへ消えた。
わけがわからず居心地の悪いまま待っていると、5分ほどで彼女は戻ってきた。よほど急いだのだろうか、頰が赤く、少し息が上がっていた。

「貸してあげる」


そう言って彼女が差し出したのは、生成りの小さなトートバッグ。
中にはくだんの漫画、単行本 1 〜 12 巻。

え?なんで?
と混乱する私に彼女は「返さなくてもいいよ」と畳みかけた。

「いや、でも、悪いよ」
「つまらなかったら捨てちゃってもいいから。古本屋に売っちゃってもいいから」
「ええー…」
「あたしはおもしろいと思うから、あなたにもおもしろがってもらえたら嬉しいけど、ほらあの、ファンってそういうものだから。布教したがるものだから。だから、」

受け取ってくれませんか。とつぶやく声音があんまり必死だったので、断るわけにもいかなかった。

漫画の入ったトートバッグを手に帰路につきながら、「いやでも12冊は重いだろ」とひとりごちる。なんというか、あいかわらずだなぁと思った。

そして帰宅した私はシャワーを浴び、学習鞄の中身を整理し、クーラーの効いた部屋でひとしきり涼み、晩御飯を食べて、いいかげん後回しにするのも限界に感じた頃にようやく漫画の 1 巻を手に取った。


数時間後、私は後悔に打ちのめされた。

おもしろかったのだ。
ああ本当に困ったことに、それはとってもおもしろかったのだ!

心のどこかで、「なんだつまらない」と投げ棄ててしまえるものであることを期待していた。「成長してしまってから読めばただ滑稽なだけの、子供騙しの、愚にもつかない夢物語」であることを。とんでもない。

ノスタルジーとときめきでどうにかなりそうだった。

キャラクターたちが登場するたび「ああそうだ、この子が好きだったんだ、私はこれを知っている」と懐かしく思い。
一方で幼い頃には気づかなかった繊細なストーリー展開、織り重ねられる伏線に「そうか、こういうお話だったのか」と新鮮な気持ちになり。
かつて読むのをやめたその先の未知の領域に踏み込めば、ページを捲る指が止まらなかった。
そして単行本12巻を読み終えた私は、頭を抱えて天を仰いだ。

「クリフハンガー!!」

彼女は「これで最終回だったから」と言って本屋で雑誌を抱えていた。
つまりこの物語は、まだ完結していない。いや、しているのだが、最終巻は単行本化していない。13巻が出るのはまだずっと先なのだろう。
最終巻直前のクライマックス、この盛り上がりのままでお預け。
なんという拷問。いやがらせか。

やり場のない憤りに12巻をパラパラと捲り返していると、奥付のページからはらりとレモン色の紙片が滑り落ちた。
拾い上げてみるとそこにはいくつかの数字の羅列。

一瞬の後にそれが何であるか理解し、眉を顰める。
癪だ。実におもしろくない。
しかしこのままひとり悶々と夜を明かすのも我慢ならなかった。
私は家族共用の固定電話のコードを長く伸ばして自室へ引きずり込み、その番号をプッシュした。

少しのコール音の後、鈴の転がるような、といったかんじの声がした。

『はい、』
「続きが気になるんだけど」

相手が名乗りを上げかけたところを遮って、私は不機嫌に言い放った。
一瞬息を呑むような気配がして、彼女はそれはおかしそうに吹き出した。

『そうでしょうそうでしょう』
「なに笑ってんのむかつく。続きはどうなるの」
『教えてもいいけど、口頭じゃいやでしょう』
「むかつく…」
『うちにならまだ単行本になってない話の載った本誌があるけど。全部』
「なんなの、私をいじめて楽しいの?」
『怒らないで、本当に他意はなかったのよ。ただあなたにもおもしろいって感じてもらえればって、そう思っちゃっただけなの。嬉しいわ、ありがとう』

えらく勝手なことをのたまいながらころころと笑う彼女に、ああこういう奴だったな、特別親しいということもなかったけどでも確かにこういうところのある女だったなぁと歯噛みする。

『本当に嬉しかったのよ。あたしたちくらいの年からすると、こういうのってちょっと、子供っぽいでしょう。もう一緒に盛り上がってくれる子なんて周りにいなくて、でもあたしはずっと好きで。だから、あなたがこれを好きだったって言ってくれて、本当に感激して、つい教えたくなっちゃったの。最新話はもっとずっとおもしろいのよって。ごめんね、ありがとう』

つっかえながらも一息にそれだけ言われて、私は口をつぐんだ。
ずるいなぁ、この子、本当にずるい。でもおもしろいと感じたのは本当だ。だから私も正直に言った。

「実を言うとね、当時はヒロインのこと、そこまで好きじゃなかったんだ。別に嫌いでもなかったんだけど、なんていうか、女の子らしすぎる女の子っていうのが苦手でさ。昔はヒロインの相棒枠の子の方が好きだった」
『ああ、うん。そういう人も多いわ。強気で勝気な彼女の方がかっこよくて好きだって』
「うん、昔は特に、かわいいキャラよりかっこいいキャラ、ボーイッシュで元気な子の方に惹かれる傾向があったなぁ。でも今読んでみたら、ヒロインの健気さにやられちゃってさ」
『でしょう!健気でしょう!』
「でもなんていうか、ただ記号的ないい子ちゃんなわけじゃなくて、彼女がそうあるのは彼女自身の人生に裏打ちされてるっていうか」
『うんうん』
「やさしくて正直で礼儀正しくて…とかいう方がそうでないよりも"らし"くて”よい”ものなんだって、親や先生から刷り込まれたからそれを守ってるわけじゃなくて。彼女自身が自分の経験から、その方が自分もまわりも幸せだから、努めてそうあるんだってことがサラッと表現されてて」
『そうそう』
「”女の子らしい”とかじゃなく、ただただ彼女が人間として魅力的なだけだった。てことに今更気づいて、ストーリーとは別のところでちょっと感動してしまった…」
『そうなのよね…都合のいい聖女ってわけじゃないの、あくまで人間なのよね。ストーリー中盤まで進まないと実感できないんだけど』
「そのへん時間をかけて積み上げないと説得力が出ないしね」
『そうそう』
「だからこそ表面上はまるで聖女のように綺麗だった彼女が人間くさい心中をぶちまけたり、豪快に大暴れするときのカタルシスたるや」
『それな!』
「さらにそれを乗り越えた時の爽快感たるや」
『ほんそれ!』
「はやく続きを読ませろよ…」
『あっはっは!!』

受け答えがえらく雑になってきた彼女の笑い声にまた眉を顰めながら、私は傍に置いてあったレモネードを啜った。心なしか喋りすぎで喉が痛い。

『成長してから読んで初めてわかることってあるわよね』
「あるね。小さい子向けの作品だと特にそうなのかな」
『そうなんでしょうね。逆にあたしは昔、相棒の彼女はただ乱暴なだけだと思ってたんだけど、喜怒哀楽をストレートに表現できるってそれだけですごいんだなぁとか、そういうふるまいに周りがすごく救われていたんだなぁって最近気づいたわ』
「ヒロインのお淑やかさっていうか、思慮深さや誠実さは美徳だけど、それだけじゃ話が進まなかったりナメられたりするもんね。芯が強いぶん、普通ならぶっこわれちゃうくらい酷い目にも耐えちゃうし」
『相棒が怒りをあらわにしてくれるからこそ、ここは立ち向かうところだって思えるのよね。ついでに言うと、当時はこういうところが"男勝り"なんだと受け取っていたけど、別にそういうのって男女関係なかったのよね』
「ふたりともがただ真摯であっただけなんだよね」
『ねぇ、ひとつ思い出話をしてもいい?』
「うん?」
『あたしあなたにひどいことを言ったでしょう』

ヒュッと息を飲んでしまって、言葉が出なくなって、気まずい沈黙が降りてしまった。当時、私と彼女はそう親しい間柄じゃあなかった。
記憶に残るエピソードといったらひとつしかない。

「正直、傷ついたよ」

なるべく軽い調子で、あの時言えなかったことを言った。
言ってしまってから、そうか私は傷ついていたのかと実感する。

『そうよね。ごめんなさい』

別にもういいよとは咄嗟に言えなくて、またレモネードを一口啜った。
彼女は静かに言葉を紡いだ。

『みっともない弁解になっちゃうんだけどね、今になって思うんだけどね、本当に身勝手な話なんだけどね。あたしあの時、自分のほうが傷つけられたと思っていたの』
「…うん?」
『あたしあなたの…あえてこう言っちゃうけど、"男の子みたい"な格好に、勝手に傷つけられた気になっちゃってたんだと思うの』

意味がわからなくて黙る。
彼女は呟くように続けた。

『あたしね、"女の子らしい"格好が好きだったし、それが自然だと思ってたの。親もそれをかわいいって言ってくれるし、かわいいものを集めるのも、かわいいものを身につけるのもすごく好きだったの。好きだったし、それが当たり前だと思ってたの。でもあなたは違ったの。"男の子みたい"な短パン履いて、髪の毛も短くて、男子の中にひとりだけまじってキックベースとかしてるの。それがね、なんかもう意味わかんなくて、混乱したの。同じ女の子なのに、なんで!?…って』
「あー…」
『混乱してね、たぶんそれで、自分を否定されたような気持ちになっちゃったんだと思うの』

自分を否定されたような。それはなんとなくわかるような気がする。

『それで、意味わかんないままだと気持ち悪い、どうしてあなたが"そう"なのか知りたいっていう気持ちと。あたしは間違ってない、あたしの方が正常だって、証明したい気持ちがあったんだと思う。今、振り返ると』
「………」
『それがあの、質問をしているつもりで糾弾にしかなっていない、あのイヤな物言いに顕れちゃったんだと、思う』
「………………」

何と答えたものかわからなくなった私は、「なるほどねぇ」と嘆息するように呟いた。それをぶつけられる側からしたらたまったもんじゃない、えらく自分勝手な理屈だ。けれどなんとなく、共感できる部分はある。
ましてや当時は小学3年生だ。衝動のまま後先考えずに行動してしまうこともあるだろう。たぶん私自身、別の所で似たようなことをやらかしている。

『それでね、あの、この話もうちょっと続くんだけど』
「え?」
『長くてごめんね。なんであとからこういうこと分析するようになったかっていうと、…今、あたし自身があの頃のあなたみたいになってるの』
「う、うん?」

どういうことだかさっぱりわからなくて続きを促す。

『"女の子らしい格好"…というか、"あたしが好む女の子らしいとされる格好"ってね。幼稚園くらいならともかく、ある程度成長すると逆に異常なの』

言われた言葉を数秒咀嚼して、「ああ…」と納得する。

『リボンとか、レースとか、フリルとかって、ちょっとくらいなら許されるけどやりすぎると”少女趣味”って敬遠されるの。やるなら完璧な美少女じゃないと馬鹿にされるし気持ち悪がられるの。女子からも男子からも』
「…そういう傾向はあるかもね」
『あからさまにいじめられるってことは、今のところないんだけどね。でもなんかいちいち揶揄されるっていうか、冷笑されるっていうか』
「うーん…」
『それがすごくウザいの』
「だろうね」

そこで彼女はスゥッと息を吸って言い放った。



『うるっせぇな、そんなのひとの勝手だろ!!!』



レモネードに浮いていた氷が、小さく音を立てたような気がした。

電話越しなので、彼女がどんな顔をしていたのかはわからない。
けれどその声は、少しだけ滲んでいるように聴こえた。

『…あの日のあたしがどんなにひどいことをしていたのか、今になって実感するの』
「………そっか」
『それでね、本当に勝手なんだけどね。あの日あなたに言われたことが今、トラウマなんだけどお守りにもなっているの』
「…お守り…」
『ぜんぶ、ひとの勝手なの』

髪が長いのも、短いのも、スカートを履くのも短パンを履くのも、ランドセルが赤いのも黒いのも青いのも黄色いのも、昼休みにドッジボールをするのも一輪車をするのも本を読むのも何もしないのも、運動部に入るのも文化部に入るのも、きのこの山を食べるのもたけのこの里を食べるのも。

「…でも、そう開き直り続けるのってしんどくない?」

「ぼく」を捨てた私は、どこか後ろめたい気持ちでそう尋ねる。
彼女は「しんどいわよ」と返した。

『しんどくてやめるのも、やっぱりその人の勝手だわ』
「…そうだね」
『あたしは、まだ、しんどくても続けたいって思ってるけど。でもそう思えるのは、あなたに言われた言葉があるからなんじゃないかな。たぶん、自分ひとりぼっちで同じことを言い続けるのは、もっとずっとしんどいと思う』

そんなの、ひとの勝手だろ。

『自分じゃない誰かにそう言ってもらえたから、救われることってあるんじゃないかしら。他人からとやかく言われるのがウザいって思いながら、他人からもらった言葉を支えにしてるっていうのもおかしな話だけど』
「…おかしな話かもしれないけど、そういうことってあるよね」
『漫画だって、ひとりで読んでても十分楽しいけど、一緒に楽しんでくれる人がいたらもっと素敵だしね?』

そこでちょっと悪戯っぽく笑う彼女につられて、私も笑ってしまった。

『だからね、本当に、ものすごく勝手なんだけど、ごめんなさいと一緒に、ありがとうって言いたかったの。ありがとう。…ありがとう』


「…今日のワンピース、すごく似合ってたよ」
『…ありがとう!あたしね、ほんとはもっと思いっきりロリータとか着たいんだけど、そこまでは勇気が出なくて、たまに自己嫌悪に陥るの。まぁああいうのって高価でなかなか買えないっていうのもあるんだけど』
「いくらくらい?」
『ピンキリだけど、今欲しいなぁって思ってるのは合計で12万くらい』
「じゅ…!!」

意味がわからない。

『でも今決めた。ぜったい、あれを買って、着る。あたし以上にあれを着こなせる人なんてこの世にいるわけないもの』

そう豪語する彼女の言葉に呆れ気圧されながらも、私は妙に納得した。
その12万円セットがどんな衣装なんだか知らないが、彼女ならきっと見事に着こなしてみせるのだろう。

ふわふわのドレスは、髪の短い子には似合わない。日に焼けた肌の、擦り傷だらけの膝の、歯をむき出しにして笑う子には似合わない。
そんなふうに思っていたけど、実はそんなことはなかったのかもしれない。
彼女ならたとえどんな髪型でも肌の色でも、たとえ男の子だったとしても、どんなドレスだって着こなしてしまえそうな気がする。
それは彼女が女の子らしいからとか、そういう理由じゃなく。

夜は更けて、レモネードの氷もすっかり解けた。
少しぬるく薄くなってしまったそれを啜る。

「きみ、かっこいいな」

本当に純粋にそう思って、転がり落ちたその言葉に、彼女は一瞬息を飲み、そしてこう返した。

『いやだ、かわいいって言って』

少しむくれたようなその声音は、なるほどたしかにかわいいのであった。


「ねぇ、次に都合のいい日を教えてよ。続きを読んであげるから」




このお話は、高田ほのかさんの短歌
「よかったね、よかったよねって受話器もち I LOVE HERで繋がるふたり」
からインスピレーションを得た創作です。


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