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缶コーヒーとミルクティー|#1

足元に、ひゅうひゅうと冷たい風が吹き抜ける。
夕日が暮れかけた空。犬の散歩や家路につく人もまばらなこの時間。

何もかもが嫌になり、逃げ出してたどり着いたのは、町外れにある橋だった。


柵の先で流れる川を見つめていると、段々とその波に誘われているかのような気持ちになる。
この柵を乗り越えれば。もう、終わりにできる。


ゆっくりとあたりを見渡す。幸い、人の気配は感じられない。


柵を握りしめ、その腕にぐっと力を入れる。重力に従い、身体を前に倒そうとした。


「今日は、寒いですね」


ひゅ……っと自分の喉がなるのを聞いた。
さっきまで誰もいなかったはずが、わたしの隣にはスーツをぴっしりと着こなした男性が隣に立っていたのだ。


心臓がばくばく音を立てる。耳にまで自分の鼓動が反響し、変な汗がにじみでる。


「どうしたんですか、そんな薄着で。風邪を引いてしまいますよ」


男性は、そっと手に持っていたペットボトルを差し出す。

中身は、温かいミルクティーだった。


受け取るかどうか戸惑っていると、男性は苦笑いをしながら釈明をした。


「いきなり受け取れって言われても、困ってしまいますよね。ほら、そこの自販機で買いました。変なものは入っていませんよ」


確かに、橋の向こうには公園があり、自販機があることを知っている。

なんだか逃げるわけにもいかず、バツの悪くなったわたしは、かすれた声でお礼を言い、ミルクティーを受け取った。


「飛行機の出発時間まで、少し時間があるんです。どうです、一杯だけ暇つぶしに付き合ってくれませんか」


わたしより年上の男性が、あまりにもかしこまって言うので、つい彼のペースに飲まれていく。

橋の近くにある公園まで二人で戻り、どこか座れる場所を探した。


小さな公園だからかベンチは見当たらなく、仕方なくブランコに腰掛けることにした。
男性も、少し迷う素振りを見せてから、ブランコに腰掛けた。


「いただきます」


プルトップを引き、缶を開ける。
そっと口をつけると、思ったよりも内容物が熱く、思わず声が出てしまった。

そんな様子を見て、男性は少しにこりとした。


男性は自分用の缶コーヒーを開け、一息ついてから言葉をつむいだ。


「娘がいるんです、あなたぐらいの。もう国に戻ってしまうから、会えなくなるんだけどね」


少し寂しそうな表情を浮かべる男性に、わたしの表情も少し暗くなる。


「いつまでも娘がかわいいんです。どんどん生意気になってもね。小さい頃の、熱いものを必死に冷まそうとする姿がいつまでも記憶に残っているんです」


そう言うと、男性は懐かしそうな表情を浮かべ、暮れゆく夕日を見つめた。


「こうして哀愁に浸りながら次の便までの時間つぶしをしていたのですが、なんだか、あなたが娘に重なったものですから……失礼ですが、迷子のように見えたもので……」


申し訳無さそうに、缶コーヒーの縁をなぞりながら、男性はそう告げた。

わたしの口は、接着剤でくっつけられたかのように、言葉を発することができなかった。


少し柔らかな表情を浮かべ、男性は続ける。


「生き抜くことだけ考えればいいんですよ。とにかく、生き抜けばいいんです」


男性は、自分自身に言い聞かせるように、そうつぶやいた。

そして、自分の手に持っていたコーヒーの缶をぐいっとあおり、立ち上がる。


「長々と引き止めてしまってすみませんでした。どうか帰ったら暖かくしてお過ごしくださいね」


スーツのパンツをパンパン、と丁寧にはたき、男性は公園の入り口へと向かっていった。


公園を出る直前、くるりとわたしの方に向き直り、

「じゃ」

とだけ言うと、さっさと男性は引き上げてしまった。


取り残されたわたしは、ぽかん……とした表情のままだったが、いつの間にか死にたい気持ちは消え失せていた。

わたしも飲みかけのミルクティーを一気にあおり、立ち上がる。

沈みゆく夕日を背後にし、わたしはしっかりと帰路についた。


あれ以来、わたしがあの橋に行くことは、二度となかった。




*アイキャッチ画像に素敵なイラストをお借りしました。ありがとうございます。

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