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わたしだけは忘れないでいたい。

『一時脈拍がなくなったって。明日手術だよ。』


もう動揺しないと決めていたのに、母からのLINEであっけなく動揺してしまった。

母方のおばあちゃんが、また倒れた。


大動脈解離という病気を発症した後のことだったから、今度こそ本当にダメかと思って、ゲームをしてる最中だったのに全く集中できなくなってしまった。

コントローラーを握る手が震え、手汗がじっとりと滲む。
年明けの、よくない知らせだった。


ほんとうは、このことを書こうかどうか迷っていた。
だけど、手術が成功したから、こうして書いておく。

おばあちゃんはきっと、もうたくさんのことを覚えておけないから。
だから、わたしだけでも、覚えておきたくてここに書く。

おばあちゃんがわたしのことを忘れてしまっても、わたしだけはおばあちゃんのことを忘れないために。




わたしのおばあちゃんは、記憶する力がもうなくなってしまっているらしい。
詳しい病名はわからない。でも、物心がついたときには、既に特別養護老人ホームにいた。


毎年、お正月の時期と秋祭りの時期に会いに行く。お正月におばあちゃんは、小学生のわたしたちには多すぎるぐらいのお年玉をあげるため、毎回母にため息をつかれていた。

でも、わたしたちが会いに来たことが嬉しくて、泣きながら喜んでくれるおばあちゃんを見てると、母も何も言えなくなってしまう。


家に帰る前の、おばあちゃんとの約束。
それは、お年玉の使いみちについてだった。

「なにか、ためになる本を一冊買ってね。ばばちんとの約束ね」

しっかりと妹とわたしの手を両手で握り、目をまっすぐと見てそう伝えた。


約束どおり、お年玉でやくに立ちそうな本を一冊買う。
それでも、少し余ってしまうほどの金額だった。

見かねた母は、「おばあちゃんにお誕生日プレゼントでお返ししようね」とわたしたちに告げた。

毎年、頭を悩ませた。おばあちゃんは、何が好きなのかな?何が欲しいのだろう?

名前入りのボールペンや、肩こり解消グッズ。困ったときは、直接おばあちゃんに相談したときもあった。


そんなおばあちゃんが、数年前の冬に倒れた。
わたしたちも忙しくなり、諸事情でおばあちゃんに会いに行く頻度が減った矢先のことだった。

久しぶりに会ったおばあちゃんのことを、今でも覚えている。


そして今年に入り、ゆずさんのこちらの記事で、わたしはある行動を起こすことにした。


それは、おばあちゃんにクリスマスカードを書くということ。

わたしのことを覚えているかわからなくて怖かったけれど、ゆずさんのひとことに背中を押されて書くことにした。
枕元に飾れるよう、組み立てたらクリスマスツリーになる、可愛いカードを。


しかし、特に返事はなく12月は終わり、きっと書けるような状況ではないのか、あるいはわたしのことすら忘れてしまったのか…そんなことを思っていた。


…のも束の間、年明け早々、おばあちゃんはまた倒れてしまった。
脈拍を動かす部分が弱ってしまい、意識も飛び、一時脈も止まったとのこと。

両親からのLINEを見て、また真っ青になった。


ペースメーカーを外部から取り付けたことで一命はとりとめ、意識は回復した。

集中治療室で目覚めたおばあちゃんが放った言葉は「さゆちゃんは…?」だったそう。
もう、泣くしかなかった。おばあちゃんはきっと、わたしのクリスマスカードを見ていてくれたのだと思った。

そして、数日の所見の結果、やはりペースメーカーなしでは日常生活を送るのは難しいとのこと。ペースメーカーを心臓内部に取り付ける手術を先日おこなった。


手術は無事成功した。ようやく一安心、と両親は言っていたが、わたしはまだ急変するかもしれないという不安でいっぱいだ。
大切な誰かを失うのは怖い。そのリスクが常につきまとう今。日に日に弱っていくおばあちゃんを見るのがとても辛い。


装置やボルトだらけで、すっかりロボばあちゃんになってしまったが、わたしの中ではずっと大好きなおばあちゃん。
年賀状は見れなかったかもしれないから、今度は退院できたときにお手紙を書こうかな。

こうしてお手紙を送り続けることで、わたしだけはおばあちゃんを忘れないという証明になるよね。


どうか、一日でも長く、おばあちゃんが長生きできますように。そして、できればおばあちゃんの中から、わたしが消えませんように。

そう祈りを込めて、今日もわたしは筆を取った。

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