太刀 湯呂氏

大学院で映画を研究中な身分です

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  • 千文字映画評

    見た映画について綴っております、千文字ピッタリで。

最近の記事

【千文字評】ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 - ファンタビは「追補篇」として楽しむべし

ファンタススティック・ビーストも3作目だ。一般的なシリーズなら完結編でもおかしくないが、5部作構想なのでやっと真ん中を超えたあたり。導入の1作目、セットアップの2作目を経て、ついに本題が始まる3作目と位置付けていいだろう。 そういう訳なのだが、物語が大きく前進したかと言われればそういう訳でもない。むしろ3作目にしてまだまだ足踏みを続けている。では、どこが前進したかと言うと、ハリー・ポッターシリーズから匂わされ続けてきたダンブルドア校長の過去について、具体的にはグリンデルバル

    • 【千文字評】モービウス - ポストクレジットシーン>本編という魂胆が腐ってる

      年始の『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』でマルチバースの扉が開かれ、この先は何が起こってもおかしくない状態となったマーベル界隈。本家マーベルの次なる矢であるドクター・ストレンジ2に先駆けて公開となったのが、ソニーの擁立する新ダークヒーロー『モービウス』だ。 位置付けとしてはソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(略してSSU)と呼ばれる新ユニバースに含まれ、先行する『ヴェノム』シリーズと同一世界線の物語ということになる。つまりMCUの世界とは直接的な関係がない。早くも話

      • 【千文字評】 クルエラ - 元キャラが空っぽだからそ風通しのいいヴィラン誕生譚に

        『101匹わんちゃん』のヴィラン、クルエラ・ド・ヴィル。 その前日譚の映画化と聞いて事前に感じていた懸念は「クルエラに描くべき過去なんてあるか?」ということだった。だって『101匹わんちゃん』のクルエラはダルメシアンの子犬101匹も誘拐する典型的なヴィランではあるが、動機はただ「ダルメシアンの毛皮が欲しい」というだけしかない。いたって純粋な動機で、そこに彼女の過去など全く関係がない。 しかし実際の完成品を見てみると、その「語るべき背景のなさ」が『クルエラ』という映画を格別に

        • 【千文字評】 アーミー・オブ・ザ・デッド - 原点回帰、再出発の凡ゾンビ映画。

          ザック・スナイダーにとって原点回帰の一作だ。 彼にとっての原点回帰とは、即ちゾンビ映画への回帰を意味する。 『ドーン・オブ・ザ・デッド』で「走る」ゾンビをアリにしたザック・スナイダーの新作ゾンビ映画は、良く言えば「ベタ・王道」、言葉を選ばなければ「凡庸・ありきたり」な作品だった。 アイディアとしては「ゾンビ × オーシャンズ11」のジャンル・ミックス。ゾンビがウヨウヨしてるカジノ・ホテルで放置された大金を精鋭チームが盗みに行く、そんな話だ。 だが実際はミックスになれていな

        【千文字評】ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 - ファンタビは「追補篇」として楽しむべし

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        • 【千文字評】 クルエラ - 元キャラが空っぽだからそ風通しのいいヴィラン誕生譚に

        • 【千文字評】 アーミー・オブ・ザ・デッド - 原点回帰、再出発の凡ゾンビ映画。

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        • 千文字映画評
          5本

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          【千文字評】 ファーザー - 認知症というノーラン的記憶の迷宮

          アカデミー賞、認知症、介護…。 こういった単語が並んだだけで『ファーザー』という作品がどんな雰囲気の作品なのか推し量れてしまう人がいるかもしれない。しかしこの作品、そういういわゆる「アカデミー賞映画」ではない。 この『ファーザー』という作品は「記憶という時空の迷宮」を映画という形式を存分に活かして表出させようとする意欲作だった。 そしてその実験は驚くべき完成度を誇っている。 見終わってまず連想した映画は『メメント』だった。 クリストファー・ノーランはこの長編デビュー作時点か

          【千文字評】 ファーザー - 認知症というノーラン的記憶の迷宮

          「ゲーム的」ってなんだろな、と考える

          ここ最近、今更ながら『METAL GEAR SOLID V: The Phantom Pain』をやっていた。 メタルギアソリッド シリーズはほぼ通っておらず、伊藤計劃のノベライズ版を読んでやっと話の流れがわかったくらいなので物語はそこまで堪能できていないと思う。だがその分、小島秀夫監督の「ゲームだからこそできること」を追求した試みや遊びを堪能できた気もする。 小島作品に限らず、今までにも、そんな「ゲーム的演出」を感じる瞬間があった。だが、なにをもって「ゲーム的」とするか

          「ゲーム的」ってなんだろな、と考える

          有機と無機の狭間に - 『ピピロッティ・リスト YOURE EYES IS MY ISLAND あなたの眼はわたしの眼』 in 京都国立近代美術館 レポート

          たまたま京都に行く機会があったので丁度、京都国立近代美術館で始まっていたピピロッティ・リストの個展に行ってきた。 ピピロッティ・リストはスイス出身でチューリヒを拠点に活動している女性アーティスト。その作品の多くがビデオ・インスタレーションで、テーマは身体、女性、自然、エコロジーと多岐に渡る。 今回の展示もほとんどが映像作品になっている。 本当に何の気なしに行ってみたという感じだったのが、ビデオ・インスタレーションを主とした作家なだけあり、映画好きの自分にはかなりおもしろく

          有機と無機の狭間に - 『ピピロッティ・リスト YOURE EYES IS MY ISLAND あなたの眼はわたしの眼』 in 京都国立近代美術館 レポート

          庵野さん、あんたまだまだ全然ゲンドウじゃん  四つ目の「シン」発表についての所感

          つい先頃、庵野秀明が監督・脚本を務める『シン・仮面ライダー』が製作されると発表された。『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン 劇場版』『シン・ウルトラマン』に続き、四つ目の「シン」を冠する庵野映画ということになる こうなって見ると、庵野監督が「シン」の名の下にゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダー(そしてエヴァ?)を集結させてユニバース化しようとしてるんじゃないかと勘繰らずにはいられない 確かに『シン・ゴジラ』公開前は「シン・ゴジラが実はシン・エヴァンゲリオンのことなんじゃね

          庵野さん、あんたまだまだ全然ゲンドウじゃん  四つ目の「シン」発表についての所感

          オーソン・ウェルズ、嘘の天才-『オーソン・ウェルズのフェイク』

          オーソン・ウェルズは天才だ。 そんなことは『市民ケーン』が公開された80年前から周知の事実である。では、オーソン・ウェルズはなにをもって天才なのか。それだって切り口次第で無数の「○○の天才」という肩書きを与えることができるだろう。 そんな無数の肩書きの中でも、自分としては「オーソン・ウェルズは嘘の天才だ」というのが一番しっくりくる。 「火星人の襲劇です!」というアナウンサーの声と共に世間を混乱に陥れた1938年のラジオ放送以来この方(いや、きっとそのずっと前から)オーソン

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          ミナリ|最果ての荒れ野、少年の視界、過酷な現実はその外に

          1980年代、アーカンソー州の片田舎にとある韓国系一家が移住してくる。自身も韓国系移民2世であるリー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』はそうやって始まる。 そんなあらすじやアカデミー賞ノミネートというニュースを聞き、勝手にアジア系への差別や社会との軋轢に直面する、いわゆる「社会派」な作品を想像してしまっていた。しかし実際に見てみると『ミナリ』は意外にもそういう映画ではなかった。 リー・アイザック・チョン監督はこの小さな物語、それも自分の人生に引き寄せた半自伝的な物語を通し

          ミナリ|最果ての荒れ野、少年の視界、過酷な現実はその外に