【千文字評】ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 - ファンタビは「追補篇」として楽しむべし
ファンタススティック・ビーストも3作目だ。一般的なシリーズなら完結編でもおかしくないが、5部作構想なのでやっと真ん中を超えたあたり。導入の1作目、セットアップの2作目を経て、ついに本題が始まる3作目と位置付けていいだろう。
そういう訳なのだが、物語が大きく前進したかと言われればそういう訳でもない。むしろ3作目にしてまだまだ足踏みを続けている。では、どこが前進したかと言うと、ハリー・ポッターシリーズから匂わされ続けてきたダンブルドア校長の過去について、具体的にはグリンデルバルドとの恋愛関係と、実の妹の死の原因についてだ。
要はJ・K・ローリングの魔法世界年表における空白部分がはっきりと明記された、という点において話が前進したと言うわけだ。
ここに来て筆者は『ファンタスティック・ビースト』シリーズと接する適切な距離感を見出せた気がする。
言わばこのシリーズは指輪物語における「追補篇」だ。
「追補篇」とは指輪物語本編とは別に出版された設定資料集で、本編では語りきれなかった細部や歴史がたっぷり一冊分記されている。そもそもが世界観の拡張と深掘りのために用意されたものであり、そうやって世界に拡がりを持たせたことが指輪物語の最大の功績と言ってもいいだろう。その意味で「追補篇」は本編と並んで重要な作品と位置付けられる。
『ファンタスティック・ビースト』を魔法世界を拡張し深掘りする「追補篇」として見れば多くのことが腑に落ちる。例えば、主人公である魔法生物学者ニュート・スキャマンダーはこの世界観において決して重要人物ではない。今作に関しては魔法生物が鍵になっている以外はニュートである必然性はないのだ。しかし「追補篇」として位置付けた場合、主人公は観客が投影できる歴史の立会人を担うので、むしろ無色透明の方が都合がいい。この作品における彼の役目は、各地のご当地魔法世界を見聞する使者であり、ダンブルドア家の歴史を紐解くインタビュアーなのだから。
単体の映画作品としては行き当たりばったりが過ぎるのは否めない。「無計画が計画」なのだから仕方ないかもしれないが、登場人物たちが目的もなくその場その場で流されていく展開が続く。しかし「追補篇」としてはそれでいいのだ。このシリーズにおいては、描きたい世界観のために物語が従事している。
こういった物語消費が健全なのかは疑問だが、そう割り切って見た方が諸々納得できるだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?