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【千文字評】モービウス - ポストクレジットシーン>本編という魂胆が腐ってる

年始の『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』でマルチバースの扉が開かれ、この先は何が起こってもおかしくない状態となったマーベル界隈。本家マーベルの次なる矢であるドクター・ストレンジ2に先駆けて公開となったのが、ソニーの擁立する新ダークヒーロー『モービウス』だ。

位置付けとしてはソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(略してSSU)と呼ばれる新ユニバースに含まれ、先行する『ヴェノム』シリーズと同一世界線の物語ということになる。つまりMCUの世界とは直接的な関係がない。早くも話がややこしいというマルチバースの弊害が…

ヴェノムのヒットに続けとばかりに製作されたこの『モービウス』なのだが、まず率直に「なぜこんなマイナーキャラを映画に?」という疑問が頭をよぎる。マーベル・コミック内での認知度もそれほど高いわけでもないだろうし、実写化の優先順位もかなり低いはず。そもそも単独映画にするほどのキャラか?
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのように、映画を成功させることでマイナーキャラをメジャーにという思惑でもあるのだろうか。だが実際の作品は、紋切り型で凡庸なヒーロー映画にしかなっていないどころか、モービウスというキャラの魅力や新規性を打ち出す努力すら感じられない。

人体実験に失敗(スパイダーマン、ハルク)し、ガリガリが超人的肉体を得る(キャプテン・アメリカ)というオリジン、設定はヴァンパイアとオオカミ男をハイブリッドし、ジキルとハイドで割ったような仕上がり。どれもこれもどこかで見たことある。
仮にも予算をかけたハリウッド大作ではあるので、アクションシーンはそれなりに見応えがあるが、これだって『X-MEN2』のナイトクロウラーの改良版ということでしかない。
辛うじてジャレッド・レトとマット・スミスが演技によって登場人物に魅力を注入してくれてはいるが、脚本が致命的に凡庸なせいでその努力は報われない。

なぜこんなことになったか。
それは、この作品はポスト・クレジット・シーンにしか価値がないからだ。本編は長い長い前振りでしかなく、1分かそこらのオマケ映像にこそ、この映画を作る意義は集約されている。だから本編はテキトーでもいいのだ。

MCU以前はこういうクオリティのアメコミ映画が多かった。しかし筆者はこの作品をそこに並べて語りたくはない。それらの愛すべきダメ映画とは違い、『モービウス』は魂胆から腐っている。

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