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【千文字評】 ファーザー - 認知症というノーラン的記憶の迷宮

アカデミー賞、認知症、介護…。
こういった単語が並んだだけで『ファーザー』という作品がどんな雰囲気の作品なのか推し量れてしまう人がいるかもしれない。しかしこの作品、そういういわゆる「アカデミー賞映画」ではない。
この『ファーザー』という作品は「記憶という時空の迷宮」を映画という形式を存分に活かして表出させようとする意欲作だった。
そしてその実験は驚くべき完成度を誇っている。

見終わってまず連想した映画は『メメント』だった。
クリストファー・ノーランはこの長編デビュー作時点から「時空の迷宮」を意識的に描こうとしてきた。「記憶が失われていく状況」を観客に追体験させるという構造は間違いなくノーランの影響下にある作品だと言えるだろう。しかし『ファーザー』は『メメント』のフォロワーでとどまることはなく、その応用進化版として新たな境地に踏みこんでいる。
より深い記憶の迷宮に潜ったのだ。

『メメント』は記憶を保持できる「10分」という単位で時間を逆行し、意図的にパズルのような構造を作り出し、タイムリミット・サスペンスの要素も付加していた。そうすることで物語として空中分解することを回避していたわけだ。

だが『ファーザー』はその作品を繋ぎ止めていた軸を取り払った作品と言っていい。パズル性を取り除いてしまったのだ。作品をゴールのある迷路ではなく、文字通りの迷宮にしてしまった。
つまり、認知症の主人公アンソニーの主観で起きていることが、どこに繋がっていくかは完全なる不規則だ。次に起こることが過去へと接続する可能性もあれば、接続先によっては今起きていたことこそが過去の反復だったと気づくこともある。今過ぎ去ったことが再び目の前で起き、ループに突入することだってある。

その迷宮を表出させるための方法も『メメント』とは対称的だ。編集で区切りを生み出すことでパズル性を高めていた『メメント』に対し『ファーザー』では長回しの中でいつの間にか記憶が移り変わってしまう。切れ目が判別できないほど流れるようにフェーズが移り変わってしまうのだ。

そんな作品が空中分解しかねない領域まで進むために、アンソニー・ホプキンスやオリヴィア・コールマンら有無も言わさない名優たちが必要だった。作品の持つ歪なスタイルを、名優たちの生をもった演技で繋ぎとめる。アンソニー・ホプキンスの名演に身を委ねることで、観客も共に「記憶の迷宮」を歩むことができる。(←1000文字)



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