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ルールの内訳。

ルールは簡潔で良い。最低限のルール。

細かいルールは『虫』向け。
『人』はおおざっぱなルールでもちゃんとモラルを持って動いていけるから。って話。

ルールを簡潔にすると、その簡潔がゆえにルールとルールのスキマを抜けて悪事を働く『虫』が必ず沸く。


『バナナはおやつに入るのですかぁ?』って奴ね。


『人間』はそのあやふやな部分を『自分で判断して行動してその結果や経験を踏まえて次に活かす』ことができる。
自分の判断でリスクを把握してバナナを遠足に持っていける。

『虫』にはそれができない。
 具体的に決めてもらえないと行動できない。    
 叱られたくない。
 でもバナナは持って行きたい。バナナを持っていくことは正しいと自分以外の何かに決めてもらいたい。リスクは背負いたくない。
 バナナはダメと言われたら『精一杯グチりたい』。
 誰かのせいにしてグチりたい。
 バナナは持って行きたい。
 思い通りの世界にならなかったら精一杯ぐちっても良い『正義』が欲しい。
 簡潔なルールは『実は』複雑なんだぜ!と言って簡潔なルールを作った人を困らせたい。困る顔が見たい。
正義が欲しい。他人から与えてもらいたい。
だから『○○は良いんですかぁ?』って質問をする。


そんなもん家帰ってママに聞け。


人間の世界は簡潔なルールに対して『モラル』を使う。道徳ってやつ。


このモラルってやつもあやふや。場所が変わるとモラルも変わる。リーダーの気分で変わったりもする。だから虫が使いこなそうとするには難易度が高すぎる。雰囲気。空気を読む。


開けっ放しにされた扉がある。
閉めようとすると、
『また通る用事があったからわざと開けておいたの!』って『開けっ放しにしておいても良い』という『正義』を持った『虫』に怒られる。

人なら『ああ、そうなの。ごめんごめん』と『引く』ことができる。


人はなぜ引くことができるのか


それは『虫という生き物は後のことを考える能力が足りてなくて、後のことを考えずにした行動に正義を後付けする生き物』だということを知っているから。


指摘しても『自分の正しさ』の話しかしなくて、またその話は長引いて『根』に持たれるから。後を引いた時のリスクが高いから
『さっと引ける』。


モラルとは『正義ではない』。
モラルとは『リスクの把握』。


車をスピード出して運転してるとリスク高まるよね。

虫はスピードを出して良いという正義を探す。
それを『ルール』に求める。『モラル』に求める。

自分の正義を社会に求める。


結果『法律』は細かい。


てことは『法律』は『虫』向けの『ルール』。


ルールを作ろうとする時、ついつい法律を真似て『虫』たちを意識しすぎて『バナナはおやつに入りません』って決めちゃったり『扉は開けたら閉めろ』なんてルールを作っちゃう。

少人数の集落ならルールを作ろうとする時に『そもそもそんなルール作る必要がある?』かは考えた方がいい。

必要のないルールを『人』は嫌う。
『バカバカしい』ってね。だからモラルを扱える『人』はそういう集落から離れていく。
家出。転職。離婚。

必要ないルールを作る『虫』はそのルールを作った、もしくは作らなければならなかった『正しい』理由の話しかしない。
だから人は離れていく。
少人数なのに『虫』だらけになる。
今度は『人』が寄り付かなくなる。


『人』は裏に引っ込む。簡潔なルールで動いていない世界にウンザリしてるから。


そのルールは本当に必要?ルールを作ったことによって離れていく『人』はいませんか?
それでも必要?作りたい?バナナ持って行きたい?ルールを作りたい理由が『後付けの正しさ』になってません?あなたは後に起きることが考えられない『虫』ですか?『人』ですか?って話。

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