利己的な遺伝子にて
言わずと知れたベストセラー本、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」。
この本に一つ思うことがある。
これ読んでちゃんと理解できてる人間ほぼいないだろ、と。
この本、長い上に難しい。私も読んだことには読んだが、おそらく半分も理解できていない。色んな人の感想を見ても、「我々生命は遺伝子を次の世代へと繋げていくために存在して、体はあくまで遺伝子の乗り物にすぎない」的な説明文を書いて終わっている人がほとんど。タイトルからしてそういう論旨なのだろうから要約としては間違っていないと思う。しかし、実際読んでみると数多く出てくる思考実験やエピソード、批判者への反論などが面白くて印象に残る。案外、ちょっとした小話としても面白い部分が多い本だったと思う。
というわけで
「利己的な遺伝子」の内容概説などという小難しいことはせずに、ただただ読んでいて面白かった具体的な箇所を1つピックアップして紹介したい。
本筋とは直接関係しない部分だけど、ただ面白かったから見て欲しいってだけ。
難しい本だけど、こういう部分もあるよってことで。
家畜ブタの逆説的安定戦略
この実験はスキナー箱という装置にブタを入れて観察するというものである。スキナー箱というのは、動物がレバーを押して自分でエサを取ることを学習する装置であり、レバーを押すとエサが落とされる仕組みになっている。この箱に入れられた動物はすぐに、食べ物という報酬のためにレバーを押すことを学習する。
このレバーはブタ箱の一端にあり、エサが供給される場所はその反対の端にある。そこでブタはレバーを押したあと、獲物を得るためにブタ箱の反対の端に向かって走り、そしてまたレバーのところへ大急ぎで戻り、また同じことを繰り返す。
このブタ箱に一頭だけではなく、二頭のブタ入れる実験を行う。すると一頭のブタが他方のブタを搾取することができる。つまり「奴隷」と「主人」の構図が出来上がる。「奴隷」ブタは行ったり来たり走り回りながらレバーを押す。「主人」ブタは食べ物が出てくるエサ場で座って待ち、食べ物が与えられると食べる。実際、しばらくそのままにしているとペアのブタはこの「主人/奴隷」パターンで落ち着き、一方が働き走り回り、もう一方はもっぱら食べること専門になる。
さて、ここで面白いのが外から見た「主人」と「奴隷」の力関係は実は逆であるということ。
ブタの個体の中にも優劣はあり、順位づけができるらしく、この時の「主人」ブタ、つまり「搾取する」側のブタは、他のすべての点で劣位の個体だったそう。つまり、せっせとエサを出してあげて走り回らされている「奴隷」ブタが実は優位な個体で、エサ場でどっしり待ってるだけの「主人」ブタが劣位の個体だった。
なぜこんな逆説的な逆転が起こっているのか。
自然界で安定化していく戦略がどういうものか考えると理解できる。
見た目通りの戦略であれば「もし優位ならエサ桶のそばに座れ、もし劣位ならレバーを押せ」というものになるだろう。しかし、これは安定的な戦略にならない。劣位のブタはレバーを押したあと全速力で走ってきても、前脚をしっかりとエサ桶に入れた優位のブタを見つけるだけのことで、追い立てることはできない。結果として劣位のブタはすぐにレバーを押すことを諦めることになる。なぜなら、この習性は何の報酬ももたらさないから。
ここで逆の戦略、「もし優位ならレバーを押せ、もし劣位ならエサ桶のそばに座れ」を考えてみよう。これは、たとえ劣位のブタが食べ物のほとんどを得るという結果になってしまっても安定であると考えられる。優位のブタが豚箱の一方の端から突進してきたときに、いくらか食べ物さえ残されていればいい。優位のブタは到着するやいなや、劣位のブタをエサ桶から追い出すのに何の苦労もしない。報酬となる食べ物のかけらが存在する限りレバーを押すという習性が報われるから。そして、エサ桶のそばで怠惰に横たわる劣位のブタの習性もまた、報酬を受けることになる。
こうして「もし優位なら〈奴隷〉として振る舞い、もし劣位ならば〈主人〉として振る舞う」という戦略の全体が報酬を受けることになり、安定となる。
見た目と実際は逆っていうのが非常に面白いのですが、人間が勝手に「逆」と思っているだけで、自然界からすれば合理的で当然のことっていうのがまた面白い。
見たものを見たまま解釈しているだけでは何も見えてこないのかも。
以上。
文章はほとんど引用。
説明用の漫画だけ自分で適当に作ってます。
参考文献
リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」
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