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#04 やっぱり和が大事だと気付いた聖徳太子のチャレンジ

このエピソードで学ぶこと

日本列島において大和朝廷の勢力が大きくなり、日本は一つの安定を迎えました。
しかし、そこに仏教という新しい宗教が入ってきます。
再び混乱の様相を見せた飛鳥時代の日本を聖徳太子はどうやって纏めようとしたのでしょうか。

本編(0分52秒)

・聖徳太子の和を以て貴しとなす、それは何を目指したのかがポイント
・聖徳太子の出自は、お父さんは天皇。お母さんのお母さんは蘇我氏。
・日本古来の神道と外来の仏教擁護派に分かれたが、仏教擁護派の蘇我氏系統が勝利。
・そのあとの日本をしっかりと纏めることに聖徳太子は心を砕いた。
・聖徳太子が冠位十二階と十七条の憲法というルール整備をしていき、中国との関係も対等だと主張する遣隋使 小野妹子を派遣した。
・でも、蘇我氏は特別扱いのまま聖徳太子は死んでしまった。
・今後の蘇我氏をどうするかは次世代へと課題が引き継がれた。

今回のおさらい(8分50秒)

Q1:聖徳太子は何を目指したの?
 →国の安定、平和の構築
Q2:聖徳太子が決めた二つの制度・ルールは何か?
 →冠位十二階と十七条の憲法
Q3:聖徳太子が中国に派遣したのは?
 →遣隋使の小野妹子
Q4:聖徳太子がやりきれなかったことは?
 →天皇中心の国家を作ろうとしたが有力豪族の蘇我氏の勢力を減らすこと

次回予告(9分25秒)

飛鳥時代の日本には様々な人が住んでいました。
朝鮮半島、中国大陸からも多くの人がやってきて日本に多くの技術や文物をもたらすと同時に考え方の対立も起きて争いが絶えません。
そんな中で、聖徳太子はルールの整備を始めていき、また中国との関係も見直します。
日本が初めて日本という国として、動き始めていきましたが、改革は端緒をついたばかりで、蘇我氏を特別扱いするままなど聖徳太子の志は道半ばで彼の死を以て立ち止まります。
次回は、日本社会のより制度化・組織化が進展していく大化の改新を取り上げます!

次のエピソード⇒#05_大化の改新、日本を一つに!中大兄皇子のチャレンジ

前のエピソード⇒#03_大きいことはいいことだ!古墳から解き明かす大和朝廷


ラジレキ メインチャンネルの関連エピソード

<0350_聖徳太子の「和を以て貴しと為す」を孔子と掛け合わせる>

<0026_「和」。古代から競争否定社会日本>


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