#03 大きいことはいいことだ!古墳から解き明かす大和朝廷
このエピソードで学ぶこと
争いが絶えなかった日本。中国でも混乱の時代となり
文献情報が無くなる一方で、多くの古墳が日本列島に残されました。
いったい、どうして古墳という、大きなものを作ることができるようになったのか。その時代の日本や中国はどうだったのか。
古墳時代について知っていきましょう。
本編(0分57秒)
・縄文時代、弥生時代の次に古墳時代がやってきた。
・古墳時代は、文献情報がなくなってしまった。なぜなら日本はまだ文字を使いこなせなかったし、中国も戦乱の時代となってしまって日本の情報を記録する余裕がなくなってしまったから。
・古墳から分かることは、古墳という大きなものを作ることができたことから、日本社会が弥生時代よりもクニのサイズが大きくなり、余裕が生まれてきたことが分かる。
・また、埼玉県と熊本県からはワカタケルと刻まれた剣が出土したことから
大和政権が埼玉県から熊本県までを一つの領域として、統一されたことが分かる。
・5世紀には養蚕・機織り、論語などの書物が伝来。そして、6世紀前半には日本に仏教が伝来した。
今回のおさらい(10分30秒)
Q1:日本が古墳時代のとき、中国はどうなっていたの?
→4世紀は中国でも戦乱が続いていて、日本との交流の記録が断絶してしまった。5世紀になって復活。
Q2:古墳を作れた背景にはどんなことがあったのか?
→社会の規模が大きくなり、余剰労働力が発生したから。日本の統一もヤマト朝廷によって進んだ。
Q3:埼玉と熊本の古墳から出土された剣に刻まれていた人名は?
→ワカタケルという同一人物と思われる名前
Q4:古墳時代の日本に伝来したものは?
→養蚕・機織り、論語などの書物が5世紀に、そして仏教が6世紀前半に日本に伝来した。
次回予告(11分23秒)
日本にも漢字が伝わってきたようだけど、
まだまだ実用としては限定的な使われ方でした。
それよりもでっかい古墳を作ることで威厳を見せつける。
日本は、畿内を中心とした大和朝廷が日本を統一していく方向へと進みました。
しかし、せっかく統一が進んだ大和朝廷にも仏教が伝来してきたことによって雲行きが怪しくなっていきます。
また新しい争いのタネがまかれた日本。
次回、聖徳太子が活躍した飛鳥時代の前半をお届けします。
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