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友だちマガジン全部1本にまとめた記事

「友だち」って?
 
マガジン紹介
「友だちは2人しかいません!」と生徒に豪語してきた孤独な私が、友だちについて考えてみました。
対象読者は、学生、保護者、教育関係者、心理に興味がある方です。最後にちょっとだけ日本分析と国際関係も入れました。
 
 
 
 
どんな関係が「友だち」?
 
「友だち」という言葉の意味は、人によって異なります。
私が考える「友だち」は、
 
「ゆるいつながりが維持されている人」です。
 
もっと正確には、
「一切の義務的な関係がなくて、ゆるいつながりが維持されている人」です。
 
 
この時点でさっそく、「職場や学校の人は友だちじゃないのか!」という衝撃展開になってしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ゆるいつながりの維持」って?
 
友だちは「一切の義務的な関係がなくて、ゆるいつながりが維持されている人」です。
 
 
「ゆるいつながり」は、
・「なんか用事があって連絡」
・「用事がないけど小話」
が自然にできるイメージです。
 
 
「維持」は、
「たまに連絡を取り合う感じ」です。
何十年も連絡をとっておらず、突然手紙やラインが来るのもOK。
「ゆるい」つながりなので、
・何年振りに会う
・何回ラインをした(既読の早さ、遅さも)
・ランチに行く
 
などの行動や回数では測りません。
だから突然連絡が途絶えて、数十年後に復活するパターンもあります。
卒業して、老後に再会することもあるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「一切の義務的な関係」って? ~学生向け~
 
世の中には、「イヤでも付き合わなければならない人」がいます。
・先生
・先輩
・同級生
・後輩
 
これは、自分の好き嫌い、連絡を取りたい、取りたくないではなく、強制的に関係を続けなければなりません。
 現実の社会では「あんまり好きじゃないな」「ほとんどしゃべらない」という人から「いつも教室移動まで一緒」「トイレも一緒」など様々でしょう。
 
 ただ、本当の「友だち」は、卒業した後も、連絡を取り合うことができます。無理やり連絡を取り合うことが義務なのではありません。「必要ならラインできるよ~」「助けあえるよ~」という感じです。
 卒業した途端に連絡を取り合わなくなる、というのは、利害関係がある「友だちのフリ」だったのかもしれません。(この人と一緒に行動しなきゃ、学級や学校で生きていけない)(共依存)
 
 逆に、卒業までほとんど話す機会がなかったけれど、卒業後に仲良くなった、というのは「友だち」と言えるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「一切の義務的な関係」って? ~社会人向け~
 
世の中には、「イヤでも付き合わなければならない人」がいます。
・上司、管理職
・同僚
・部下
・同業者、取引先
 
自分の好き嫌い、連絡を取りたい、取りたくないではなく、強制的に社会的な関係を続けなければなりません。もちろん現実には「なんとなく気が合う人」「飲み仲間」みたいなのもありうるでしょう。
 
ただ、本当の「友だち」は、自分や相手がその職場を離れた後も、たまに連絡を取り合うことができます。
 
無理やり連絡を取り合うことが義務なのではありません。
「必要ならラインできるよ~」「なんかシェアできるよ~」という感じです。
 
現実の社会では、これが「人脈」「コネクション」として重宝されることもあります。
 
 
友だちどうしをつなぐ人、顔が広い人は、「コネクター」と言われることもあります。
(アメリカの西海岸から東海岸まで手紙を渡すという実験で、ある特定の人たち「コネクター」を介して手紙が運ばれることが多かった、という実験があった気がします。出典忘)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんで学校の友だちは友だちじゃないの?
 
 
「一切の義務的な関係がなくて、ゆるいつながりが維持されている人」が友だちです。
 
 学級活動や授業、部活は、集団で行いますから、それなりのルール、モラル、配慮が必要です。つまり、「義務でやらないといけないこと」があります。
 
 私が授業をするとき、気を付けるポイントの一つは「グループづくり」です。「はい友だちどうしでペアをつくって~」とすると、困る人がいます。何を隠そう私も、社会人の今でさえ「ペアづくりに困る人」です。
 
 「授業で公的に学ぶペア」を「友だちという私的な関係」でつくるから、ギクシャクしたり気まずくなったりします。最近は、オンラインやウェブアプリで名前や出席番号を入力するだけで、自動的にペアをつくってくれるようになりました。ありがたい。授業であれば、グループは授業者が指定、もしくは生徒が相談するべきでしょう。(修学旅行の班など)。
 「学級の席替え」は、「仲のいい人(いわゆる友だち)」、「配慮が必要なこと」などに気を付けて行う必要があります。簡単にクジや自由で決められなくなりました。だから、学級という義務的で社会的な集団を整える立場の「担任」が、座席を決めます。(秋田市)
 
 
おまけ
 「授業で公的に学ぶペア」を「友だちという私的な関係」でつくる
あたりって、けっこう現実的に大事だけど、日本の教育分野でけっこうノーマークな気がします。
いわゆる「学級のグループライン」と根っこは同じです。公的と私的を混ぜるのはリスクです。
「職場で一人だけグループラインに入っていない」も同じだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
学校の友だちは友だちだと思います!! プンスカ
 
 
そうですね笑
 
中高生向けに、受け入れられやすい言い方をすると、「学校がない日に一緒に遊べる」のが友だちです。
休みの日に一緒にイオンに行けるということ。(地方あるある)
「一緒に勉強する」という名目で、お菓子を食べること。(平和)
 
「学級や部活」でのつながりは、しょせん義務的なものです。必ず一緒に活動しなければならない。
でも、休日は自由。そんな自由な時間に、一緒に楽しめる人がいたなら、その人は友だちでしょう。
 
 
「一切の義務的な関係がなくて、ゆるいつながりが維持されている人」が、私の考える友だち。
 
もしあなたが心から「友だちだよね」という人がいれば、その人は、もう友だちなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「友だち」と似ている言葉
 
 
級友
学級での友だち。義務的な関係を含むので、本当の友だちではない。
その人が本当の友だちかどうかは、
①休日に一緒に遊べるか
②卒業後につながりがキープされるか
 
で分かる。(残酷…)
 
 
 
知人・知り合い
知っている人。例えばイベント後につながりができた人は知り合い。それから関係が深まったらな、友だちに「進化」する。
居酒屋で酒を飲んでいて、偶然同席した人と意気投合したら、知り合い。そこから関係が継続すると、友だちになることもある。
 
 
仲間
これは、義務的な関係を含むこともあります。いろんな意味がある。
「一緒に何かをやる人たち」みたいな。「めっちゃ仲のよいプロジェクトチーム」みたいな。
私はちょっと、あまり得意ではありません。(集団生活が苦手です)
 
 
親友
お悩み相談も可能な間柄。貴重。
 
 
新友
New Friend!
 
 
心友
ジャイアン。
 
 
 
友だちのつくりかた1
 
「友だち」をつくるためには、勇気が必要です。
「ああ、変な人だと思われてるな」という思いに打ち克つことが必要。
 
 
そもそも「友だち」は、義務じゃない。
つまり「かかわる必要がないのに、自分からかかわろうとしている」わけです。
 
友だちをつくるコツは、「自分から好意を示すこと」「示し続けること」です。それも暑苦しくなく適度に。
「敵意を表さない」ではありません。
犬のように、自分からしっぽを振っていかなければなりません。
自分が立場下的な!!??
(私はかわいいゴールデンレトリバーを飼っているので、いろいろわかっているつもりです)
 
 
学生の時は「一緒に授業を受ける」「部活・サークル」など、「友だちになりやすいもっともらしい言い訳」がたくさんあるので、友だちをつくりやすい。
しかし社会人になると、新たな友だちをつくることは難しくなります。もっと言うと、「友だちをつくることは恐怖」です。
 
 学生でも、社会人でも、友だちをつくる方法をお伝えします。
(2につづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
友だちのつくりかた2
 
極意「聴く」
・最初は、学校生活や仕事の話。情報を交換しあう。助けてもらう。
・相手が、興味がありそうな話題について質問する。
 好きな食べ物、運動、文化、映画、読書、旅行、昔の話…
 「最近どんなことに興味がありますか」とストレートに聞くこともできる。
 
 
ポイント
「相手のことを聴いて、答えてくれても、それが本当かどうかは分からない。でも、聴かないよりは分かる」
 
表面上の「聴く」ポイント
・あいづち、うなずき、まばたき
・目線を合わせる、合わせない、のさじ加減
・相手の言葉を反復する
 
 
心理師視点での、本当の「聴く」ポイント
・相手の立場になって、それを、ひしひし、ありありと感じる
・相手の「立場」になる。相手自身にはならない。(なれないし)
 相手の「立場」が強調されるのは、相手の側に立ちつつ、相手の感じていることを感じている自分自身を観察するため(メタ認知)
・相手に無条件の肯定的な興味をもつ
・基本優しい。落ち着いている雰囲気やオーラ(人による)
・相手が好きだ(無理にクライエントを好きになる必要はない)
 (好きになろう、と思うと、逆に失敗する)
 

本当の聴くポイントは、言葉で表現することがとても難しいです。
一般に言われる「うなずき」などの「傾聴のポイント」は、あくまで表層のことで、相手の立場になって、ひしひし、ありありとそれを感じた結果、自然にうなずいたり、質問が出てきたりするという行動に現れます。
興味ある方は、古宮昇先生のユーチューブ等をご覧ください。私はとても参考になっています。
 
 
 
 
 
 
友だちのつくりかた3
 
極意「話す」  ※下に行くほど、深まります。
 
・あいさつ
・最初は、学校や仕事の話。義務的。
・雑談を取り入れる。天気の話、季節の話。会社のイベント。
・ユーモアを取り入れる(アサイーを朝に食べるとイーですよね)
・最近の自分について話す(自己開示)
 「私の好きな食べ物は~~です」「休日に~~へ行きました」
・自分の失敗談
・自分のもっている情報を、個人的なアイテムで見せる
 「自分のスマホやデジカメで、相手に写真を見せる」など。
 
 
「日常会話」「雑談」です。もともと得意な人と苦手な人がいます。私は苦手なので、意識的にトレーニングしています。これからはコミュニケーションスキルとして、お互いにこれらの方法を知っておく必要があります。相手と世代が違ったり、国籍が違ったりする時代だからです。お互いのバックグラウンドが違うことは悲劇にもなるし、豊穣な関係をつくることもできます。
 基本、「聴く」が8割です。「話す」は2割で十分。自分の自慢はしない。ただ、相手との会話の状況によってこれらは変化します。私の感覚では、「自分が話す」が5割以上だと、うまくいかない気がします。
 
 
ポイント
・質より回数。すれ違う時の一言でもOK
・毎回面白いことを言う必要はない。
・ヘビーな話をしすぎない(重い人認定される。)(お互いの関係性にもよる)
 
 
危険ポイント
・自分のことばかりを話しっぱなしだと、相手が疲れます。
・中学生などは「先生や今この場にいない友だちを悪く言う(ディスる)」ことで、関係を深めることもあります。「人の不幸は蜜の味」「メシウマ」系は、マイナスのオーラです。専門的には、自己否定・他者否定が併存しています。つまり、その友だちどうしの関係も、いずれ消えてなくなるでしょう。だれかを貶めることでの友だち関係は、続けることができません。
 
 
 
 
 
友だち関係を長く続ける方法
 
「一切の義務的な関係がなくて、ゆるいつながりが維持されている人」が友だちです。
 
〇それぞれが自立している
・経済的に自立している(友だちからお金貸して、の瞬間、義務的な関係になる)
・社会的に自立している(別の組織)
・精神的に自立している
→お互いに寄りかかる、悪い共依存ではない
  →誰かの悪口を言い合って関係を強めると、遠からず崩壊する
  「人の不幸は蜜の味」「メシウマ」は、自己否定、他者否定から来ています。
 
 
〇相手の立場に立って考えられる
・今相手はどう思っているかな
・重すぎる話ばかりだなあ(どちらかが疲れます)
・お互いの関係性に応じた本音。
 →もっと本音を言いたければ、並行して関係を深める
 
 
〇たまには自分から連絡してみる
・案外みんな、懐かしい人からの連絡を待っている
・できることは助けるよ! と思っている
・でも、面倒くさいという気持ちもある
・関係性に応じた連絡スパン
・そして、自分から連絡しないんだよなあ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
友だちになれない人
 
「社会的関係」のある人どうしは、友だちになることができません。というか、友だちになってはいけません。
 
・先生、上司
・利害関係者
・後輩
 
私的(してき)に 「後輩」は、友だちになれると思います。ただ、あまり近すぎると、「礼儀をしっかりして」と周りから言われることもあるのが日本の現状です。
 
 なお「社会的関係」がなくなったら、友だちになることができます。
お互いに退職したら、利害関係者と飲みに行くことができます。上司が退職して権力がゼロだったら、個人的に飲みに行くことができます。
 100%誤解を招くことを承知で書きますが、「卒業したら生徒と教師は、(もしなりたければ)友だち(に近い関係)になることができる」と今段階では考えています。
私は「自分など生徒より先に生まれただけで、人間として平等」だと思っています。卒業してしまったら、私からするとお互い一個人ですから、敬語を使わなくてもいいとさえ思っています(70歳の同窓会だと、先生も生徒もあまり変わりません)。むしろ成長した姿を見せてほしい。聴かせてほしい。
 私以外にも、教え子とコンサートしたり、飲みに行ったり、サーフィンをしたりと、健全な関係、むしろ素晴らしい関係を築いている方々もたくさんいらっしゃいます。それは多分、単に「生徒と教師」に留まらなかったご縁でしょう。素敵なことで、大切にしたいものです。
 
 
おまけ
敬語は、相手との関係や状況を表すためのひとつの表現方法でしかないと思っています。
 
おまけ2
生徒から「先生」でなく「さん」で呼ばれるといいなと思っています。お互いに「さん」が、私の中では一番スムーズです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「友だちをつくる恐怖」とハラスメント
~社会のつながりが希薄化する理由~
 
 
 ハラスメントには、意図的な悪意がある犯罪行為から、ちょっとしたすれ違いによるものまで、さまざまです。
(ハラスメント対策などに興味がある方は、株式会社クオレ・シー・キューブさんが第一線だと思います)
 
 
 職場では仕事をします。だから「業務上必要なことしかしない」が令和時代の基本線です。そこから外れると「〇〇ハラスメント」になる可能性があります。
 その一方で、想定業務を超えた事件も起きます。普段から、職場である程度の関係性を築いておかないと相談・対応できなくなり、その人も職場全体もピンチになります。
 
 
 ポイントはふたつ。
1つ目は、「相手を想像できているか」です。
職場で人間関係を深めること、友だちをつくることはリスクです。簡単に言うと「うざい人」「キモイ人」に認定される可能性があります。自ら関係性を深めようとする人は、「リスクテイカー(自分から危険を取りに行く人)」です。一般的に、年齢が若くなる人ほどリスクを取りません。自然なことです。
 人間関係を深めるために自分がした雑談や行動を、相手が不快に感じていないか、よく考える必要があります。相手の表情、雰囲気はどうか。わからなければ、不快かどうか、相手に尋ねます。
 
2つ目は「相手に決定権があるか」です。
  「それイヤ?」と聞いても、お互いの関係によって「イヤです」と言えないことはたくさんあります。
仕事、プライベート、あらゆることで大切なのは「自己決定」。自分で決めることです。「仕事で~~をやってみたい」とか「〇〇ダイエットをするぞ」というのは、自分が決めることです。自分の人生だから。
職場の先輩や上司は、無限の提案ができます。そりゃそうです。経験があるから。これからの時代は、いくつかの提案をした上で、「どう思う?」と相手に尋ねることが必要だと思います。上司や先輩が責任を取れる範囲で、相手(特に若者)に決定させることはOn the Job Trainingにもなります。
この話は、年齢が上がるほど「変なの」と思うでしょう。
 
「友だち」関係に一切の義務はありません。だから職場で友だちをつくるのは必須ではないし、むしろリスクでしかありません。「飲みに行く」「電話、メール、SNSを交換する」などは、相手が選択し、最終決定できることが大切であり、ハラスメントにもなりにくいでしょう。うまくいったら、素敵な友だち、縁です。助け合ったり、職場にもいい影響をもたらしたりします。「心理的安全性」とも関わりますね。
 
でもね、そこまで考えて慎重にリスクとらなきゃいけないんだったら、「じゃあ何もしない」となります。すると、どんどん関係が希薄になって、コミュニケーションも不足するのです。
(つまり、それだけ職場で心を通わせることは難しい。できたらとても貴重な出会いとなる)
社会が高度化するほど、友だちが減る1
 
 
発展途上国に住んだり、いくつかの国を旅行したりした経験があります。
 
例外なく、発展途上国は濃密な付き合いです。
人間関係が濃い。土地や環境、文化もあると思いますが、発展途上のため、助け合わないと生きていけません。夜には番犬が吠えてくれる。台風や洪水では本当の助け合い。停電したらいろいろ譲り合う。作物を作ったら分け合う(これは日本の農村にも健在)。無電化集落に住んでいたら、一緒にバスに乗って、月に一度、電気のある町でハリウッド映画を見る。
 
 先進国の人が、途上国の人たちとの付き合いに入れてもらうと、驚きます。「なんでこんなに親切にしてくれるの!?」 先進国がその発展と引き換えに失ってしまった人間らしさが、そこにはしっかりとあります。人間って素晴らしい。
 そして、先進国の人たちは疲れます。「しつこい…」。途上国の方々は濃密なつきあいです。ヴァイバー(LINEみたいなやつ)、フェイスブックなども含めて、常に連絡を取り合います。電話もジャンジャンします。電話したら最初の一言は「今どこにいるの?」。日本社会だと不審者です。
 
 
おまけ
 スリランカに住んでいた時、スリランカの同僚とのランチに行きました。同僚に電話が掛かってきて「トシも代わって話してみて」と言われました。相手は知らないスリランカ人。すぐに私は「コヘーダインネー?(今どこ?)」と聞きました。スリランカの人はみなこうやって電話を始めるからマネしたのです。スリランカの人は皆笑いました。私のマネにより、自分たちの文化を客観的に見て「電話してすぐ相手の居場所を聞いてる。変なの」と思ったとのことでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
社会が高度化するほど、友だちが減る2
 
 先進国の「友だち」はどうでしょう。
社会の機能がしっかりしています。お隣さんにお醤油を借りに行ってはいけません。コンビニに買いにいかなくてはならない。醤油を借りても、それに何か入っているかもしれない。
 
 社会の機能は、「人に頼らずとも生きていける社会」をつくります。いろんなことが「余計なおせっかい」に変わりました。「お見合い」はSNSサービスになりました。お葬式も予約できます。
 今一番新しいところでは、若者はSNSで自分の位置情報などを共有しておいて、お互いにそれを見て、相手に連絡するかを「察して」決めるそうです。
 必要な情報はSNSで共有しておく。直接会話をするのは「相手への迷惑、負担」。時間がもったいない。人に頼らなくていいシステム。人に頼ってはいけない。
 
友だちをつくるチャンス、関係を深める機会は減ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
社会が高度化するほど、友だちが減る3
 
 
さらに先進国では、「効率化」「脳の疲れ(自己防衛)」という2つの理由によって、友だち減少に拍車がかかっています。(人口減少も結局、同じだと思います)
 
1つ目。先進国社会は、生き残り続けるために「効率化」し続ける必要があります。
一番は時間です。「お醤油を借りるついでの雑談」がもったいない。「〇〇さんは~曜日は△△にいるな」と普段からコミュニケーションを蓄えておくだけの時間がない。
 本来ホモ・サピエンスは、こうした雑談の中で関係性をはぐくみ、社会性を武器として世界に進出しました。でも今は、時間が大事すぎて、社会性発達のきっかけとなった「雑談」をすることが難しい状況にあります。井戸が無くなったので井戸端会議もできません。
 
学校の「休み時間10分」のうち、1分は授業が延び、1分で次の授業の準備をし、2分で教室移動し、トイレを済ませ、水分を補給し、友人と会話し、2分前には着席していなければならないのです。もちろん私たち職員どうしも、仕事の連絡をする前に「今、話しかけていいですか?」と枕詞が必要です。(絶対おかしい状況だろそれ…。)
 
 
 
 2つ目は、「脳の疲れ」です。毎日、友だち関係を考え、職場でストレスと戦いながら働いています。その合間に雑談をしてコミュニケーションするなど大変。ラインで文字で連絡すればいいのです。文字情報には、相手の表情、息遣い、雰囲気がありません。「雑」情報をカットして、必要な情報だけが抽出されます。
 
 「家族の大事な話はラインでする」ことについて、一部の人は驚いていますが、私はちょっと理由を想像できます。「直接話すと、相手の表情や雰囲気が気になる。気まずくなるかもしれない。だからあえて、良好な関係を維持したまま相談するために、文字情報だけにする」のだと思います。
 
 
日本社会を考えると残念な気持ちになりますが、本当の意味での「生産性を高める」は、友だちも、人口も増やせる素晴らしいきっかけになります。まだまだ打てる手はたくさんあります。
 
 
おまけ
ドイツで、「最良の友人は隣人だ」という話を聞いたことがあります。隣にいると、いつでもBBQに誘えるからいいですね。
 
 
 
 
 
 
性別で異なる「友だち」の感覚?
 
これは、私もよくわかりません、という話です。ジェンダー的にもどうなの? ですし、全員にあてはまりません。一応共有します。
 
久しぶりに友だちと再会すると、
男性:「おう、んで、どうなの」
女性:「ごめーん、久しぶり~~」
 
男性は、「何年越しに再会しても、つい昨日会いました」的な感覚に、友だちとしての関係の深さを確認します。
女性は「あなたのことが大事で、いつも連絡を取り合っていたかったんだけど、いろいろあってできなかった。でも再会できてとてもうれしい」というニュアンスだと思います。
私は女性でないので、女性の感覚や気持ちが分かりません。女子会はうらやましいなと思っています。楽しく話しながらパフェ食べたい。よい情報があったらぜひシェアしてください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
これまでの人生で「友だち」について考える機会が何度かありました。
 
・なぜ自分は友だちが少ないんだろう
・でも連絡を取るのも面倒くさい
・自分にはコミュニケーション力がない
・変な人だと思われる
・恥ずかしい
・生徒に「先生は、自分で友だちって、思ってないだけなんじゃないですか?」と言われた
・生徒「先生は卒業したら僕たちのことを忘れるんですか!?」
 
・職場の人はロボットのようだ
・職場が変わっても、連絡を取る人はほぼいないなあ。
・でもたまに、前に一緒に働いた人に偶然会って、久しぶりだけど親しく話しかけてくれると嬉しい。
・職場が変わっても連絡を取り合いたいけど、連絡先を聞くと変な人認定される
・相手を傷つけたら大変だから、友だちをつくることは大変
 
 私は友だちも全然いないし、連絡もほとんど取らないけれど、今回のマガジンを書いて、友だち関係もけっこういいなあと思いました。人生の充実さは、友だちや人間関係でもあるし。
 
 
このマガジンは1日でつくりました。(9638文字頑張ったよ…)
 
2022年、数名の方との会話や関わり、セルフ・カウンセリングを通して、私の中でブレイクスルーがあり、「友だち」について自分の考えを整理整頓することができました。
あとで直接お会いして、お礼を述べたいと思っています。ありがとうございます。
 
 
 少しでも世界が平和で、一人一人の未来がよくなりますように。
 
 

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