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ミッドライフ・クライシス 退職を選択

退職を選択
 2014年3月31日、38年間勤めた会社を退職しました。満56歳になってすぐです。
 退職してから丸10年になりました。今のところ、この選択は成功しています。退職は、退職する3年前から考えていたことです。
 工業高校を卒業し就職、そのまま38年間同じ会社勤めです。仕事は機械関係の設計で、機械相手のものです。機械は設計した通りに動きますので、きちんと操作をすれば問題は起こりません。
 仕事には自信があり、やりがいもありました。計画し設計し発注します。ここまでが段取り、いわゆる事前準備です。後は、現場工事ですが、受注した請負者が、機械の据え付けをしてくれて完成です。仕事は段取り8割といいます。段取り、すなわち準備をきちんとしておけば、8割がた成功するということです。私はいつもこれを基本として、仕事をしていました。
 やりがいのある仕事でしたが、後から入社した大学卒の人が、次々と自分を追い越して出世するのがとても嫌でした。
 出世して部下を持つことにもあこがれていましたので、30歳を超えて一念発起しました。
 大学を出ていないから出世できないのだと考えて、段取り8割の姿勢で、受験勉強を始めました。寝る時間を少し削り、遅ればせながら中学校の参考書から勉強を始めました。通勤中は、自分で英単語を録音したテープを聞いていました。今は廃止された共通一次試験を受け、1年後には国立大学の夜間部に、合格することができました。
 仕事をしながら、夜間に学校に行くと言えば苦学生のようですが、まだ若かったのできついとは感じませんでした。きつかったのは、大学に行くようになった途端、仕事の量を急に増やされたことです。残業しなければならないほどに仕事量が増えました。夜に残って仕事はできないので、早朝に出勤して、仕事をこなしました。結果的には、この時期に時間を有効に使う方法を学んだ気がします。
 5年で無事卒業(夜間は5年間が履修期間)し、40代半ばで憧れの管理職になることができました。

 管理職になると、自分で機械を設計する仕事はほとんどなくなりました。機械に代わり、相手は部下という人間に代わりました。
 人間は機械に比べると厄介です。指示した通りきちんと動きません。管理職になるまでは、超過労働はほとんどしたことはありませんでした。有給休暇もすべて消化していました。与えられた仕事に対して、きちんと計画を立てて行っていたので、誰にも迷惑をかけることはありませんでした。
 部下ができると状況は大きく変わりました。部下が遅くまで残っているので、定時で帰るわけにはいきません。部下の業務の承認が必要なため、好きな時に休めなくなりました。
 部下の多くは、毎日遅くまで残って仕事をしています。いったい何に時間をかけているのか不思議でした。
 自分でいうのもおかしいですが、「名プレイヤーは名監督にあらず」とはよく言ったものだと思います。
 部下の評価をつけるのも苦痛でした。評価表をつける時期はいつも悩んでいました。
 管理職にはなったが、考えていたものとは大きく違っていました。指示通り動かない部下に対して、どう対処すればよいのかわかりません。期限ぎりぎりになっても、仕事がこなせない部下もおり、間に合いそうにないものは部下に代わって、仕事をこなさなければなりません。
 努力して夜間の大学まで出て、憧れの管理職になったのに、ストレスがたまるばかりです。部下の人数が増えるにつれ、自分の自分の人生このままでいいのかと、思い悩むようにもなりました。
 最近テレビで、ミッドライフ・クライシスについてやっているのを見ました。中年期の心理的危機だそうです。あの時期がそうだったのだと思いました。

 そんなころに、会社の業績が悪くなったので、「希望退職の募集」がありました。
 残念ながら、私には応募する勇気は全くありませんでした。仕事を辞めたら、二度と会社勤務はしたくないと思っていましたので、無職になったら家族は養えません。
 働いていた会社は、給料も悪くなく福利厚生もしっかりしていました。いわゆるホワイトの会社です。こんなホワイトな会社に勤めているのに、辞めるのはもったいないという気分でした。
 人間関係なんか、少し我慢すれば何でもないという気持ちが勝っていました。
 当然ながら希望退職には応募せず、そのまま我慢の連続でしたが、後悔ばかりしていました。しかし、年齢制限はありましたが、希望退職の制度(定年退職した場合と同等扱い)は就業規則に追加されました。細かい点は省きますが、いつ会社を辞めても、自己都合退職にはならないのです。いつかはこれに応募しようと、退職する計画を立てることにしました。

 考え方を変えると、行動も変わってきます。それまでは、家計にいくらお金がかかっているのか、全く関心はありませんでした。年金がいくらもらえるのかも、同じく関心はありませんでした。
 それからは、それらの資料を集めては検討していましたが、再就職しないという条件を加えると、全然お金が足りません。それでもチャンスがあればと、常に考えていました。

 数年後、チャンスは突然やってきました。会社が再度、希望退職の募集を始めたのです。
 就業規則にある通常の希望退職とは違い、退職金の増額がある特別希望退職です。
 雇用保険(失業給付)も会社都合による退職ということで、退職直後から1年間受け取ることができます。
 60歳からは、退職金を年金にした「確定給付企業年金」と、積み立てて運用していた「確定拠出年金」を受け取ることができます。
 退職する場合の資料を準備していたのが、役に立ちました。再就職しなくても、お金の面ではなんとかなるということがわかりました。
 残りは家族の了解です。子供たちは独立していましたので、妻だけです。集めた資料と、今までの生活レベルを落とさないという条件で、了解をもらうことができました。
 上司は、まさか私が辞めるとは思っていなかったようで、とても驚いていたようです。

 退職日は、半年先の年度末です。パソコンにカウントダウンのカレンダーを表示させて、毎日がウキウキでした。
 余談ですが、退職に応募するまでは、頭痛持ちで頭痛薬を常に持ち歩いていました。それが退職に応募してからは、いっさい頭痛がなくなりました。現在退職してから丸10年ですが、頭痛薬は全く必要ありません。体調を崩しかけた会社生活とは、大きな違いです。

 退職後は、趣味の海外旅行三昧です。なるべく長く、しかもたくさん旅行することを目標にしています。そのために、旅行会社の企画ツアーではなく、すべて自分たち(細かい計画は妻が担当)で計画して実行しています。
 1回の旅行期間は、1.5か月から2か月です。毎年、最低2回は出かけています。
 少し自慢ですが、コロナ禍で海外に行くことができなかった4年間を除いた6年間で、34か国に行っています。1か国あたり、最低でも1週間ほど滞在していますので、じっくりと観光しています。
 今年(2024年)は、1月末~3月末の旅行期間で、スリランカやラオスなどを旅行してきました。内容はnoteに順次投稿中です。
最新の投稿はこちら
 9月には、ポルトガルやスペイン、モロッコなどの旅行を計画中です。飛行機だけは予約済です。

 自分たちで旅行の計画を立てるのは大変で、旅行計画は最低でも3か月以上かかります。そのため、年間2回程度しか行くことができません。それでも旅行会社のツアー旅行よりは、かなり安い金額でしかも長期間、行くことができます。
 飛行機はマイルをためた、無料の特典航空券を利用することが多く、宿泊もAirbnbなどのコンドミニアムをよく利用します。
 スーパーマーケットで食材を購入し、部屋で料理をします。観光はなるべく公共交通機関を利用します。
 皆さんが思われているより、かなり安く旅行ができていると思います。
 体が元気なうちに、少しでも多くの国に行きたいと考えています。そのためにも、日本にいるときはジムに通い、体を鍛えています。

 仕事や人間関係につかれている方、我慢すると体調を崩すことになりかねません。考え方を変えて、新たな目標を持ちましょう。目標について常に考えて準備していると、目標のほうからやってきます。
 アンテナを張って準備していないと、チャンスが来たことがわかりません。

 また、余談になりますが、退職してすぐのころの飛行機は、当然ながらエコノミークラスでした。
 最近は、5時間以上飛行機に乗る場合は、ビジネスクラスにしています。退職したころには考えられないお金の使い方です。
 無職ですが、資産が増えています。
 細かい話は書きませんが、資産運用で投資を始めたのも、資産が増えるひとつの要因です。新型コロナで少し落ち込みましたが、順調に資産が増えています。今は、お金に働いてもらっています。
 お金を減らさないよう、常に考えて準備していたおかげだと思っています。
 投資方法や税金の勉強はしなければいけませんが、目標達成のための努力は必要です。

 会社で出世するために夜間大学に行った。退職するために生活費の検討をした。ビジネスクラスに乗るために、資産を増やすことを考えた。
 自分には無理だと思う必要はありません。目標のことを考えて準備をしておきましょう。あとはチャンスに気が付いて、それを活かすだけです。
 仕事をしないと毎日が日曜日です。自由人でいきましょう。


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