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Walls & Bridges 展(東京都美術館)が見せてくれたよりよく生きるための営み

もう終了してしまった展覧会ですが、ここで取り上げられていた作家たちの存在を知ること自体が、生きていくなかで大切にしたい何かな気がするので、書いておきたいと思います。

「壁と橋」……展覧会名を見ても何もピンとこなかったにもかかわらず、ウェブサイトを開くと一気に興味をそそられました。

(開催期間:2021年7月22日~10月9日)

不思議な風景画に引き寄せられて

展覧会ウェブサイトで目に入ったのは、濃いめの水彩の風景画でした。山のなかでしょうか、眼の前に緑がうねりながら重なっていった先に高い山がすっと覗き、上には穏やかな空が広がっていました。

なんだか鼓動しているような力強さのなかに繊細な光みたいなものが点々と描かれているし、迫るようなちょっと怖い緑が重なっていく延長線上に、何事もなかったかのような山と空がある、という相反する世界が地続きになっているような、不思議な絵でした。いい絵だな、もっと見たい、生で見たいと思いました。

この絵の作者は、東 勝吉(ひがし かつきち、1908-2007)という木こりをしていたおじいさんだそうです。

展覧会のウェブサイトにはこう書いてありました。

83歳のときから本格的に絵筆を握り、大分県由布院の風景画の制作に没頭。99歳で亡くなるまでの16年間で、珠玉の水彩画100余点を描いた。
(「Walls & Bridges」展ウェブサイトより)

木こりとして生きてきた長い間、絵に注力していたわけでもなかったし、誰かに絵を習ったわけでもなかったみたい。それが83歳になり、施設で暮らしながらふと絵を描きだして、怒涛のように何枚も何枚も描き続け、しかもそれらの多数の絵が、ただならぬ魅力を持っていた――、なんとも奇妙で、奇跡のような話で、心惹かれざるを得ません。

ただ、そんなミステリアスな魅力を、「天啓」とか「奇跡」とか言って簡単に感動するのもしょうもない気がして……。少なくとも絵を描き始めたきっかけくらいは、どこかに書いていないだろうか。気になってググってみると、「読売新聞」の記事がヒットしました。

78歳で入所した由布市の特別養護老人ホーム「 温水ぬくみ 園」の園長から「何か生きがいになるものを」と勧められ、水彩画にのめり込んだ。
(「読売新聞オンライン」2021年7月28日付より)

園長さんに勧められて描き始められたんですね。

ただ、彼が絵にのめり込んでいったことが、本人や周囲の人にとってどれくらい不思議なことだったのかは、これだけではまだわかりません。なにか他に手掛かりは…? せめて図録を買っておけばよかった、と、もう1度ミュージアムショップを訪れると、展覧会終了後でしたがまだ販売していました!(やったぁ!)

さっそく図録に手掛かりを探すと、少しだけ、ありました。

あまりの没入ぶりに、もともと絵心があったものかと、ホームの職員らが好きな画家の名前を尋ねても、「絵を習っていないので、誰も知りません」と答えが返ってくるのが常だった。

東京都美術館学芸員・中原淳行「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展覧会図録より(以下、「図録より」と記す)

「(画家なんて)誰も知りません」という答えからは、「美術をたしなんでいたわけではなかった」ということはわかっても、絵を描くということが東さんにとって当初どれだけ馴染みのない行為だったのかはわからない、のだけれど、まぁ、こうしてみると、だんだんどうでもよくなってきたな。

描くことでよりよく生き直すという営みに憧れる

もし、私が抱いているイメージから外れて、東さんが若いころから密かに絵を描くのが好きだったとしよう。いったいそれが、私たちの感動に少しでもマイナスの影響を与えるだろうか? いいえ、何も変わらない。

それに、「正規の教育を受けたわけでもないのに(ないからこそ)、すごい」という評価はもうどうでもいい。絵そのものが生きているようであることと、東さんが無心に絵を描く姿に、私たちは憧れを、恐れを感じるんだろう。

誰に頼まれたわけでもない、お金を稼ぐためでもない、待っている人もいないかもしれない、それでもただただ描きたい、もっといいものを描きたい、と毎日毎日真摯に向き合うことができたら――、それは望んでも手に入りにくい環境かもしれないし、一方で、環境があったとしても実践するのはもっと難しいことかもしれない、と思う。

展覧会図録の解説文は、こうやって私たちが憧れる「東さんにとっての絵を描くこと」を、とても腑に落ちる言葉で表してくれていたので、引用します。

彼にとって制作とは、かつて山で眼にした、輝くような自然の息吹の記憶を蘇らせ、その命に再びふれあうことができるようないとなみではなかったろうか。(中略)絵を描くことで、東勝吉はその人生を新たに生き直しているかのような充足感に包まれていたに違いない。(図録より)

「描くことで」「生き直す」。そんなふうに生きることができたら、と願わずにはいられません。

てなわけで、ウェブサイトと図録を見ただけでこれだけ楽しめるわけです。

覗き込むような会場の中で

「Walls & Bridges 壁は橋になる 世界に触れる、世界を生きる」と題されたこの展覧会は、上野の東京都美術館で、盛大なゴッホ展の傍らの地下展示室で開催されていました。

地下といっても、3階層吹き抜けになっていて、地上1階にある入り口から最下層のフロアまで見下ろせるようになっているので、開放感があります。地下1階はバルコニーのような形状で、そこから天井低めの横穴みたいな部屋にもつながっていて、変化に富んだおもしろい会場です。(見たことないかたへの参考に:こんな会場です。東京都美術館のTwitterより

ジョナス・メカスという人の撮った映画を見て

入り口の階段を降りると、ビデオフィルムを3コマずつくらいプリントしたような写真が並んでいました。赤い服を着た白髪のおばあさん、庭の草花、ヴァイオリンを練習する少女、窓辺の猫、など、何気ない日常のひとコマ(3コマだけど)のようでした。でも一つひとつが美しくて、映画の一場面なのかなと思いました。

写真を横目に細長いバルコニーのような会場を右手に歩いていくと、何やら映像が流れていました。手でカメラをもって、身近な人や景色を撮ったものでした。

私が見たとき、そこは桜らしき花の咲いた木の前で、枝に手を伸ばす子供を抱いた美しい女性が笑っていました。画面は常にゆらゆらと手振れしていて、手の揺れで角度が変わるたびに、急に光が差し込んでパッと白く光ったりしました。ときどき、撮影者本人が編集時に入れたナレーション(おじいさんの声)が入りました。たぶん英語でした。

ジョナス・メカス(1922-2019)という人が人生の大半をかけて、日常の風景を撮りためた膨大な量のビデオを編集して、映画を作った――解説を読んで、そういうことだと知りました。

リトアニアの農家に生まれ、難民キャンプを転々とした後、ニューヨークに亡命。貧困と孤独のなか、中古の16ミリカメラにより身の回りの撮影を始め、類例のない数々の「日記映画」を残すことになった。
(「Walls & Bridges」展ウェブサイトより)

展示されていたあの写真たちは、その「日記映画」のフィルムから、ジョナス・メカス本人が選び出して拡大プリントしたものだそうです。映画の一場面のようだと思ったのは、ある意味で当たっていました。

今この瞬間が連なって映画になることを想像する

ジョナス・メカスの日記映画の美しさは、たとえ見たことがなくても、想像するのはわりと容易ではないかと思います。なぜなら、スマホで撮影した動画や写真を自動編集して思い出ムービーを作成してくれる機能を利用した時の嬉しさと、少し似ているからです。

スマホの中の細切れの動画や写真がムービーとしてつなぎ合わされたとたんに、その旅行や散歩の記憶がよりいっそう美しいものへと変わる、捉え直される感じがする。切なかったり、喜びに満ちてたりする。かけがえのない時間だったな、と思う。

だから、いま私たちが、日常の、今この瞬間の集積が「映画」になるということを想像すること自体は意外と簡単だと思います。ジョナス・メカスの映画は、私たちがスマホの画面から感じ取るあのちょっとした嬉しさを増幅させたようなものなんじゃないかと。

美術館の壁に映し出されていたあの映画は、たぶん『歩みつつ垣間見た美しい時の数々』という名の作品だったと思います。「今この瞬間の集積」であるこの映画は、いわずもがな、ジョナス・メカスだから撮れたもので、かつ、彼が選りすぐって編集したものでしょう。でも、写っている子供たちや桜の花は、誰に指示されて動いているわけでもないし、なぜか観客を引き込む効果を生んでいる手振れも、光の明滅も、きっと意図して起こしてはいないでしょう。

狙わなければ見つけ出せない、生み出せない、でも、狙っただけでは生み出せないもの。そういう人為と偶然のまじりあった仕事を見ると、とてつもなく美しいといつも思います。

それはきっと陶芸でも、絵でも、踊りでも、歌でも、文章でも、たぶん同じです。狙う気満々の繊細な人為と、それを超えてくる偶然のせめぎ合った瞬間のきらめきが見たくて、何度も美術館に通うし、庭を眺めるし、映画を見るし、本を読むし、書くんだと思います。

増山たづ子という人が写し取った世界に囲まれて

この展覧会では、あと3人の作家が取り上げられていました。増山たづ子、シルヴィア・ミニオ = パルウエルロ・保田、ズビニェク・セカル。

増山たづ子さんは、自身が生まれ育った村がダムに沈むことが決まったのをきっかけに、村の情景をカメラで撮り続けたおばあちゃんです。増山さんの写真に映し出されていたのは本当に自然な、住人の生活や、小動物、木々たちの姿でした。

何十年も前に、戦死したであろう夫がもしも生きて帰ってきたときに、村が跡形もなく消え去っていたらやりきれない――せめて写真を残しておきたい、そんな動機で撮り始めたという写真たちは、もうまるで世界を丸ごと写し取ったみたいに膨大に、積み重なっていました。

展示室の壁にぐるっと張り巡らされた写真の数も少なくはなかったけれど、増山さんが撮影した写真のうちの本当にごく一部でした。現像された写真はなんと10万カット、アルバムにして600冊分だというのだから驚きです!

この展覧会の象徴のような言葉を見る

写真の間に掲げられている増山さん自身の言葉は、この展覧会の象徴ともいえるようなものでした。

「イラはな、自分の励みのために写真を撮ってるんだな。」

「写真というのは妙なもんでな、写真を通してな、いままで気がつかなかった村の美しさ、それから人の表情の美しさというのがわかったな。ますます好きになってまったで、こん村が。」

「カメラを持つとイラはむちゃくちゃになるで。夜明けの村を撮りたいと思ったらな、もう四時半ごろから山に登って行って日の出を待っとるしな。雪ん中でも雨の日でも、もんぺに長ぐつはいてれば、どこへでも行けるでな。」

(増山たづ子『ふるさとの転居通知』情報センター出版局、1985年)
(図録より転載)

ちなみに、図録の解説文を読むと、この情熱的で猪突猛進感のある増山さんが、「シャッターを切るのが遅かった」という衝撃(!)のエピソードが書いてありました。

彼女はファインダーを覗いてからシャッターを押すまでの時間が長かったという。押すだけで写るカメラは増山にとって好ましい道具であった。だが彼女は写真から想像されるような「軽快な撮影者」ではなかった。なかなかシャッターを押さない(押せない)増山の姿は、村人たちにはユーモラスに映ったようだった。(図録より)

シルヴィア・ミニオ = パルウエルロ・保田という人の敬虔な仕事を見ながら

長くなるけれど、あと1人、この1人だけは触れずに筆をおけない。シルヴィア・ミニオ = パルウエルロ・保田。

自身も彫刻家を志してパリに留学中に、同じく彫刻家を目指す日本人青年の保田さんと出会い、結婚(26歳)。長女と次女の出産(27歳-28歳)を機に育児に専念。1968年、一家で日本に拠点を移す(34歳)。……1986年、「念願のアトリエを手にする」(52歳)。

静謐にたたずむ聖カタリナ像を見たとき息をのみました。私のiPhoneの型は新しくないので細部まではっきり見えないかもしれません(ぜひ図録を見てほしいです)。でも、この写真でもその片鱗はお伝えできるでしょうか……。

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シルヴィア・ミニオ = パルウエルロ・保田
『シエナの聖カタリナ像とその生涯の浮彫り(部分)』
1980-84年、ブロンズ、愛媛県松山市・聖カタリナ大学

こぢんまりとした顔のつくり、手足の指先、ロザリオの細かい珠、衣服の繊細なひだ……見つめれば見つめるほど胸を打つような優美さでした。

家族の寝静まった夜の小部屋に思いをはせる

彼女の生涯で、このように完成した作品は数少ないそうです。「完成もまた彼女が目指すべき頂ではなかった」と展覧会図録の解説文にはあります。

それは本当だろうか――、彼女に、制作にあてる時間がもっとあったなら、完成する作品はもっと多かったのではないだろうか、という考えがよぎりました。でもわからない、本当のことは。世田谷の小さな部屋で夜毎に、そして何十年後かにやっと手に入れた念願のアトリエで、彼女が何を思って制作に没頭していたのか。

でも――、彼女が残した数少ない完成品のあまりの繊細さや、習作やメモ、スケッチの濃密さを見ると、それは完成させることにこだわらなかったというよりも、きっと、完成へとたどり着く道のりがあまりに遠く入り組んでいたから、近道をせずに一歩一歩踏みしめていく彼女には、与えられた時間の中では、完成させることができないものだったんじゃないかと思えてなりません。

図録の解説文は、彼女の制作への姿勢を垣間見せてくれます。

一日の終わり、ようやく一息つける家族が寝静まった夜半、世田谷の借家の小さな部屋での制作が日課となった。(中略)彼女にとって制作とは、自己への妥協のない問いかけであり、かたちとなった作品は、切実な祈りの結晶のようなものであった。寸暇を惜しみ仕事――彼女は制作のことをこう呼んだ――に取り組む姿は、容易に近づくことが許されないような、気迫に満ちたものであったという。(図録より)

深みを覗いたときのように怖いけど

展覧会を観終えたあと、あの地下の吹き抜けの会場の記憶とともに、ちょっと恐ろしいようなぞくぞくする気持ちになりました。底のない淵を覗いたような感じがしたからです。

どこまでも終わらない人生を何かに注ぎ込むことで生き永らえている、と言うと暗すぎて違う気もするけれど、とにかくどの作家にも、よりよく生きるための方法としての行為なのだなと思わせる切実さがありました。

堂々と覗き込んでいたいとも思う

恐ろしい気持ちと同時に、なんだか励まされるような気持ちにもなりました。誰も求めていないかもしれない(でも、誰かが求めてるかもしれない)ものを、そして何より自分が求めているものを作り続けることができたら、それだけで生きていてよかったとおもえるんじゃないか? たとえそれを続けるためにどんな苦労をしたとしても、あるいは、しなくても。

さて、Walls & Bridges 展の魅力はわかりましたか? それではみなさん、今度の休みに散歩がてら東京・上野の東京都美術館のミュージアムショップのレジを訪れるか、遠方の方は以下の美術館Webショップで図録を購入して、じっくりと味わってください。

そのあと急に立ち上がったと思ったら、上の空な顔をして、「世界は美しいな」とかつぶやいて家人をイラつかせるかもしれませんが、たとえそうだったとしても、世界は美しいな、と思えたほうがいいじゃありませんか。

では、明日もいい一日を!

いただいたサポートはよりよく生きるために使います。お互いにがんばりましょう。