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一筋の光

なぜ、気づかなかったんだろう。

言葉では伝わらないものがある、って縛られてたのはわたしだった。

言葉を尊重していなかったのはわたしだった。

音楽や料理や美術が、外側と内側があるように

言葉にもあるのに

言葉はいつでもわかりやすいわけじゃないのに

言葉だって、表面の意味と、内側のエネルギーは別々なのに。


何も形にできない、そうやって苦しんでもがいて、音楽のこと、今まで学んできたこと、全てを否定したくなってた。

でも、わたしは言葉をもって、たくさん発散していたみたい。

そう思ったら、今まで、自分の言語特性とか、自分のこと、ずっと否定し続けてたんだって気づいた側から涙が溢れて止まらなくなった。

ごめん、ごめんって勝手に言葉が、つっかえていたものが、全て溢れた。


キャプションが目に入った瞬間、なぜか見えてしまったある作品の意図。

でも、逆に精読はあまりできなくて。

文字列から編み出される意味を汲み取ろうとしても何度も弾かれる感覚があった。

でも文字による視覚的表現に滲み出た作者の祈りは、ちゃんとわたしの意識と像を結んだ。

みんな、ここの文章について褒めてくれるんだけどこの文章の構成はね、…

後付けも隠された核も、既に共有されていた。


作るのは嫌で、生まれて欲しくて、

それは命で、つまりわたしで、つまり意識で、

だから、今までの全ての文字表現もわたしで、

絶えず変化していくわたし自身が、新しく生まれ続ける細胞の集合体が、わたしがずっと探していた自分の成果物だった。

そしてその意識が生み出す言葉が、わたしのとっておきのツールであり、生き方だった。

「みーちゃんは、将来シンガーソングライターだね。」

よく親戚・身内に言われた言葉。

最初から答えは持っていた。

すべて、既に持っていた。

そっちだったかあ。

ごめんね、今まで苦しめて。

何にも持ってないと思ってしまって。

そう思ったら、全てが繋がった。

たとえば、目がよくない理由とか。

ものの外側を思ってるより見ていない、だからデッサンとか、空間把握とか、正確に捉えることができないっていうの、納得いくなあって。

でも、間、という概念は昔から好きで、

個、はもの、人、関係なくあんまり興味を持てないけれど、たとえばカップルの関係性の色がふわっと自分を温かな気持ちにさせてくれたりして。

だから、視覚の中でも、色には敏感で、その組み合わせは好き嫌いがはっきりしている。

だけど、はっきりくっきり、というところは、発達する必要がなかったんだなあ、

そう思ったら、なんだか、肉体のこと、少し好きになれそうな気がした。

自分の肉体も、精神体も、今度こそ、

全てひっくるめて

受け容れられるかな。

新しいわたし、新しい世界、はじまりはじまり。

22222。






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