アフターコロナの編集・ライター、そして出版について考える
こんにちは、ミナミノマリコです。
いよいよ47都道府県の緊急事態宣言が解除となりました。この2ヶ月間で、本当に必要なもの、そして不要なものに改めて気づかされた気がします。
私たちはもう、コロナ以前の時代に戻ることはできないと言われています。これは編集者、ライターの仕事にも大きく関係すると思います。
新しい時代の入り口に立つ今。アフターコロナを生き抜くための、編集や文章のスキルについて、私なりに考えたことをまとめてみました。
人間が目を持つ限り「文章」は世界から消えない
私のいる出版業界は、もう10年以上前から右肩下りの不況が続いています。これは、紛れもない事実であり、未来のためには避けられない運命だとさえ感じています。
しかし、たとえ文章を届ける媒体が紙からWEBへ変化したとしても、コンテンツそのものは絶対に死にません。文章を読むこと自体は、人間が文字を生み出した時代から続く、普遍的な活動です。
人が文章を読むことをやめない限り、文章を仕事にする人(ライター)は、社会に必要とされ続けると思います。それと同時に、魅力的なコンテンツをまとめ、編み集める「編集者」も必要だと考えます。
一方で、編集・ライターの競争社会は、場合によっては激しくなるかもしれない、とも感じています。
今回のコロナ不況を機に、「会社」だけに依存せず「個」として生きる必要性を、多くの人が感じたことと思います。
個というのは、フリーランスだけを示しているわけではありません。一定の企業に属しながらも個人の活動を展開することも可能です。
いずれにしても、個で生きるためには、自分の得意分野を生かした専門スキルを持ち、それをPR(あるいはアウトプット)する場が必要になります。
専門スキルの中でも、準備がほとんど必要なく、比較的入り込みやすいのが「ライティング」だと思うのです。実際に、自分も含め、GWくらいからnoteを始めた人は、とても多いように思うのです。
noteを始めたすべての人が、ライターになるわけではありませんが…。文章を書く人口が増えるということは、その分、文章で生き残るための工夫が求められます。
だからこそ、書くスキルを持つ人は何かに特化した知識があるとか、強い人脈をもっているとか、あるいは動画撮影など+αのスキルがあるとか、何かしら人に負けない強みを持ち合わせられると理想なのかな、と思います。
紙とWEBの目的が、より顕著に区分化される
すでにご存知の方も多いかもしれませんが、KADOKAWAから発行される情報誌『東京ウォーカー』は、6月20日発売号で休刊が決まりました(『横浜ウォーカー』『九州ウォーカー』も同様)。
誰もが知る人気のお出かけ雑誌とあって、私自身も衝撃的なニュースでした。コロナの影響が後押ししたとはいえ、今や外出の情報収集は雑誌ではなく、WEBやSNSが主流の時代なのだということに、改めて気づかされます。
この流れは、お出かけ情報誌のみならず、ファッション誌やコスメ誌にも。情報収集という意味では、雑誌などの紙媒体は、鮮度も分量も、拡散力もデジタルに劣ります。かつ、WEBやSNSの情報は、無料で閲覧できる場合も多く、その手軽さが魅力です。
一方、今日の日本では、単に多くの財産を持つことよりも、自分の好きなものだけに囲まれた豊かな暮らしが、幸せの指標に変わりつつあります。
モノよりコト消費の現代で、「モノ」である本にお金を出したいと思わせるためには、そのコンテンツに、情報の鮮度とは関係のない「共感」や「ときめき」が必要だと思います。
「読み返すたびに心の支えになる小説」「インテリアとして愛用するアートブック」「大切なことを教えてくれた絵本」「大好きなアーティストのロング・インタビュー」…、手に持っておきたいと思う本は、その人によってさまざま。
ですが、いずれも、その人の心を魅了しているコンテンツです。
「頭で読む」内容はWEBやSNSで、「心で読む」内容は本で。
この違いが、より顕著になると思います。
そして、出版業界で生きる私としては、いかに「読者の心をつかめるか」が、自分が生き抜くコンテンツを発信する上で重要だと考えています。これは、非常にハードルの高いことだとも思います。
これから、私たちはどうなっていくんだろう?考え出すと、ときに不安にもなります。
それでも、焦らずに自分の立ち位置を見直すことで、少しずつ見えてくることもあると思うのです。
先ほどお伝えしたことも、あくまで私の意見であり、個人的な主観です。
それぞれが「社会はどうなっていくか」「自分はどうすればよいのか」と想像すること。その答えが正解かどうかは別としても、前に進む上で、大切なことではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! 今後も、よい記事を出せるようにがんばります。