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新たなカルチャーとの出会いを。
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#サブカルど真ん中

#18 自分の中の嫌いなところを、好きだと言った

#17 ギターケースに英語の教科書を詰めて

23年間、好きなことばかりやってきた。 ・ 小学校時代にはポケモン全種類を技と進化、身長体重をノートにまとめることに全力だった。 中学校ではギターと受験勉強。英語が楽しかった。 高校になったらバンド活動に明け暮れて、毎日ライブハウス通い。専門学校入学してから今まではデザインに没頭した。 決して誰にやらされた訳じゃない。 すべて自分で選んできた…つもりだった。 ・ 考えてみれば、同じ団地に住む3歳年上の男の子にポケモンを教えてもらって好きになった。その子に負けたく

#16 パッチ・アダムスをみるとデザイナーとしての生き方を改めて考えさせられる

デザインが人を殺す。 という話を、学生時代に聞いたことがある。日本医療機能評価機構によると、医療過誤の70%以上が"ヒューマンエラー"といわれる人為的ミスによるもの。中でも、医薬品の名称やデザインが似ているためにおこる事故は少なくないという。(詳しい事例はこちら) 現場で起きる医療過誤が全て、看護師や医者の責任だろうか。パッケージデザインにも責任があるんじゃないか?この話をしてくれた講師の先生は最後にこう言った。 「デザインが人を殺したんだよ」 (※noteの最後に製

#15 僕たちはオリジナルの必殺シュートでゴールキーパーを吹っ飛ばした

問題は、リアルかリアルじゃないか。 ・ 小学生の僕にとってリアルか、リアルじゃないかは大切なことだった。 1997年に産まれた僕たちは脱ゆとりという掛け声と共に、教育改革が推し進められた世代だった。でも、当時の僕にとってそれは全然リアルじゃなかった。やれと言われたことをやるだけだったから。 それに比べて、ドラえもんの声優が変わったこと、メリー号の前でウソップとルフィが喧嘩することはリアルだった。ビックリしたし、テレビの前で初めて泣いた。 国会中継、郵政民営化、地球温

#14 それは自転車の手放し運転のように駆け抜けた

andymori(アンディモリ)は、2007年に結成された日本のオルタナティヴ・ロックバンド。2014年10月15日解散。和製リバティーンズとも呼れる。バンド名はアンディ・ウォーホルと「メメント・モリ」(藤原新也によるインドの写真集)を繋げた造語。 〜Wikipediaより〜 たまたま付けたラジオ番組。andymoriのボーカル、小山田君はその番組のパーソナリティだった。柔らかい喋り方をするその青年は、どうやらバンドマンらしい。雑誌を読みながら何となく聞いていた。オープニン

#13 タヌキの世界にも色々あるよね

まず、タイトルが良い。平成狸合戦ぽんぽこ。言葉に出してみて。ぽんぽこ。もし、自分の名前がひろきぽんぽこだったら、今よりもっとモテたかもしれない。「ぽんちゃん!」なんて呼ばれたりして、大人気だ。 狸合戦っていうくらいだから、タヌキ同士の戦い「タヌキウォーズ」のお話だと思ったら大違い。戦うのは、人間と狸。 物語の時代はバブル絶頂期の日本。たぬきの山にニュータウンの開発の手が伸びる。住む場所がなくなったもんだからタヌキは大慌て。 そこでタヌキ会議が開かれた。人間と共存したいも

#10 不器用な男達は好きですか?

昔から不器用な男はカッコイイ。「自分、不器用ですから」と高倉健は言った。この映画に出てくる男たちは全員、不器用だ。他人との意思疎通が出来ないサイコパスの柴田と、何でも暴力で解決しようとする最凶ヤンキーの影山兄弟。決して高倉健のような硬派な不器用男ではないけれど、僕には彼らが愛おしく思えてしまう。 作品の内容は、かなりぶっ飛んでいる。京都の大学に通うサイコパスの柴田は、ヤンキー・影山兄弟の子分を拳銃で殺してしまう。それをキッカケに影山兄弟vs柴田の抗争が勃発する、という話。

#09 ロックンロールは足早にならず、ゆっくり進む

10代後半から20歳の間に色んなことがあった。 専門学校在学中に初めて彼女と同棲をした。別れ話で包丁を突きつけられ、殺して私も死んでやると言われたのも初めてだった。 在学中にデザイナーとして仕事を受け始め、異業種交流会に行っては営業を繰り返した。バカにされたり、褒められたり、お金をもらったり、ダマされたり。色々あった。 大阪から茨城県に移住したのが20歳。深夜バスに9時間揺られた。レ・ミゼラブルの「夢破れて」を聞いて泣いた。不安だった。茨城県に着いた時、とても暑かった。

#08 自分にとっての幸せを見つめる

毎月デザインの仕事があって、欲しいものが買えて、二階建ての家に住む。近所には桜が綺麗な公園があって、春を楽しみに生きる。 気の合う仲間と愉快に過ごして、笑顔の素敵な奥さんと猫と一緒に暮らしたい。長生きはしなくてもいいけれど、もし子どもができたら孫の顔が見たい。ありがとうと言って皆に囲まれながら死にたい。 お母さんもおばあちゃんも、お父さんもおじさんも大きな病気をせずに笑顔で暮らして欲しい。 妹の授業参観に行って、学校が終わったらお菓子を一つだけ買ってあげたい。そして、一

#07 僕たちの出会いを運命と呼びたい

キッカケは人それぞれ。 僕は小学校6年生のとき、手術を経験した。生まれつき目の上に出来物があって、それが段々大きくなっていた。お医者さんに「このまま放っとくと、目が見えなくなるよ」と言われたときは怖かった。 そのまま手術をして、包帯が取れたのが中学校の入学式前日。 「半年間は安静にしてください。ボールがぶつかる部活はダメだよ」と言われた。身長を活かしてバスケ部に入りたかったのだけど、断念。 医者の勧めで入ったのは陸上部。そこでマツモトに出会った。 マツモトの家は音楽

#06 その人はステージで汚れたスニーカーを履いていた

特にこれといってこだわりがない。 デザイナーなのに服にそこまで興味がなくて、黒いTシャツを3着買ってそれを着まわして会社に行っていた。3週間くらい経った時、上司に呼び出された。「デザイナーなんだから、もっとオシャレして会社に来なさい。」と怒られた。あんまり納得できなくて、 「お金と服のリストもらったらすぐに買いに行きますよ」 と言ったら、もっと怒られた。 と言うのもボクは昔から服屋から遠ざかってきた。ショッピングモールの中にあるアパレル店のあの独特の「オシャレさんいら

#05 松本人志を見ると胸がヒリヒリする

他人から教わらなくても人は笑う。 ヒトと笑いは密接に絡み合い、笑うと細胞が活性化し、健康になるなんていう話も聞いたことがある。 そんなことを聞いてしまうと、衣食住の3つに「笑」も入れていいんじゃないかと思ってしまう。 中学2年生のとき、僕はつまづいた。クラスの皆から相手にされなかった。話しかけても返事がこなかった。当時のボクは教室の壁に刺さる押しピンだった。皆が見ているはずなのに、誰も気にとめない。押しピンは喋らないし、笑わない。どこにも遊びに行かない。ただボーッとそこ

#03 ヤンチャなことなんかなかった、僕の不格好な青春

僕の中学校はすごく荒れていた。 月に一度、窓ガラスは割れるし休み時間の校庭にはタバコの吸い殻が落ちていた。制服を改造した男の子は学ランのボタンを全て開け、女の子の髪の毛は金色だった。 僕たちは目立たないように学校生活を送った。放課後には部活に励み、定期テストにはしっかりのぞんだ。中学二年生のときには親に反抗してみたし、門限を破って怒られたりした。 久しぶりに地元の友達と会うと、その当時に戻る。 あの娘が可愛かった、あのときは焦った、面白かった。 やんちゃなことなんて

#02 好きに理由なんていらないよね

「なんで好きなんでしょうね~」 コンビニでバイトをしていた時、よく一緒になる女の子がいた。その子は17歳年上の店舗マネージャーと付きあっていた。女の子は20歳。彼女はおじさんとばかり付き合っていた。元カレは15歳年上の塾講師だそう。びっくり。 「おじさんの魅力ってなんなん?」 と聞くと、冒頭のセリフ。 「なんで好きなんでしょうね〜」 分からないそうだ。フェチなのか、なんなのか。 よく考えるとボクの知り合いにバンドマンばかりと付き合う子、ぽっちゃりな男の子とばかりと付