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当たり前を特別に

みなさんにとって、当たり前と感じていることはありますか。

住む場所があること。コンビニに行けばおいしいおにぎりが食べられること。ほぼ時間通りに電車が来ること。信号の色によって人や車が動くこと。お母さんが夜ご飯を作って待っていてくれること。SNSを通して友人の近況を知ることができること。

この世の中に、人それぞれに、当たり前って、たくさん存在しています。本当に当たり前の存在というのは、当たり前と感じているということすら気づかないほどに、人々の生活の中に浸透してしまっているのだと思います。

私の中で、知らない間に、当たり前の存在になっていたものがあります。

それが、「彼氏」という存在です。

気づいたら一緒にいて、気づいたら一緒にご飯を食べていて、気づいたら一緒に寝ていて。お互い、会いたいと思ったときに会う。そんな毎日を繰り返していたら、1年8ヶ月も経過し、「彼氏」という存在は私の生活の一部となっていました。

けれど、最近、彼氏との時間を作ることが嫌になってしまった。

その原因は、久しぶりに思う存分ひとりの時間を過ごして、ひとりでの時間がとても楽しく、「特別」に感じられたからだと思います。彼氏との時間は、私の生活の中に浸透して、「当たり前」になってしまっていた。「特別」とは感じられなくなってしまっていたのです。

けれど、「当たり前」から「特別」と感じられるようになりたい。そう強く思っていました。

彼氏を「特別」に感じられなくなってしまったことに気づいた私は、彼氏にあるお願いをしました。

「デートがしたい。それぞれ出かける準備をして、待ち合わせの時間に待ち合わせの場所で待ち合わせて、お出かけがしたい。」

こんなわがままな私のお願いごとの返事は、

「わかったよ。〇時に▲▲駅で待ち合わせよう。」

その連絡を受けてから、私は、本当に飛び跳ねるほど嬉しい気持ちになりました。

最近のデートと言えば、どちらかの家でふたりで、同じ部屋で、出掛ける準備をして、ふたりで家を出ていました。それが私にとっての「当たり前」となっていました。

けれど、その日は、自分の家で、ひとりで、彼氏のことだけ考えながらメイクをして、髪をセットして、服を選びました。昔だったら「当たり前」のことですが、その日の私にとってはとても「特別」な時間になりました。

結論から言うと、この1日を通して、本当に「特別」な時間を過ごすことができました。

私って、本当に単純な人間です。いつもの生活から、「特別」な時間を過ごすだけで、るんるんなんです。私の中で「当たり前」の存在になってしまい、会うのが億劫になっていた彼氏と、とってもシンプルな、けれど「特別」な時間を過ごすだけで、彼氏が「特別」な存在に変わってしまうんです。

普段、「当たり前」だと思っている存在を「特別」な存在と認識することは、結構難しいことだと思います。けれど、「当たり前」だと思っている存在を「特別」な存在だと思えるように工夫する。毎日を「特別」でいっぱいにする。そうすると、つまらない毎日も、飽き飽きしてきた毎日も、とっても特別で幸せな1日になる気がしました。

おやすみなさい。

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