いざ伊勢路へ

私は、大学で4年間駅伝部に所属し、1年半は選手、残りはマネージャーをしていました。#あの夏に乾杯というテーマに沿ってマネージャー時代の思い出を投稿させていただきました。

とてつもなく長くなってしまったのでご了承ください。

マネージャーから駅伝主務に

大学4年の6月から7月の1か月、駅伝主務をやることになった。普段駅伝主務を務めている同級生が教育実習で不在になるからだ。本当は自分も教職課程を履修していたので教育実習行く予定だった。しかし、単位不足で教育実習に行けなくなった。自業自得だからしょうがないとけじめをつけ、切り替えた。教育実習に行く前に、駅伝主務と仕事の引継ぎを行い、いよいよ自分が駅伝主務やるんかと緊張してきた。

毎日緊張の日々

駅伝主務が教育実習に行き、ついに自分が駅伝主務になった。朝練の立ち位置がキャプテンの隣になったこと、練習前後の連絡、大会のエントリー、その他色々な仕事をこなした。その中で一番緊張したのが全日本大学駅伝予選会のエントリーだ。エントリー方法が決められた日に学連の事務所にデータを持ち込み、学連のスタッフが確認する形なので、終わるまで気が抜けなかった。もし何かミスがあってエントリー出来ませんでしたなんて最悪な事があったらどうしようとずっと考えていた。結果的に何事もなく終わったので良かったが、駅伝主務は大きな大会があるたびにこんなプレッシャーを感じていると思うと、本当に大変だなと身をもって体験した。

そして、チームを円滑に運営する事でいっぱいいっぱいだった自分の考えが変わる出来事が起きる。

臆病者の意地とプライド

全日本大学駅伝予選会にエントリーされたチームの10000m合計タイムが20チーム中9位だった。今年の規定だと上位5位までが本線出場権を獲得出来るが、自分の時は上位9チームだったので、こんなチャンス逃すわけにわ行かないと思ったし、駅伝主務がいないから予選落ちしたと言われるのが嫌だった。

元々入部した時から自分は劣等感の塊だった。5000m17分30秒という圧倒的に遅いタイムで入部し、ろくに練習はつけない、体は太い。長距離選手としていいところなしだった。だからいつも目立たないように大人しくしていた。マネージャーになって少し性格は明るくなったけど、心の片隅には自分はダメマネージャーだなーと思ってた。でも、今回はそんな弱気な事は言ってられない。何がなんでもみんなで伊勢路の切符を掴むんだ。そのために頑張るんだと自分を奮い立たせた。

アドレナリン全開

そして予選会当日。会場がある浦和の天気が良すぎて、立っているだけでもしんどいくらい暑かった。この暑さが最後の最後にとんでもないことを引き起こすことをまだ自分は知らなかった。暑さ対策で、クーラーボックスに入れてきた氷を選手に渡したり、選手が持ってきた飲み物をクーラーボックスに入れて冷やしたりとやれる事はやった。なんやかんやして気がついたら1組目の開始が近づいていたので、後輩と一緒にトラックの脇に移動してタイム計測の準備をした。

全日本大学駅伝予選会は10000mを4組行い、合計タイムで順位を決める。だから1組目のスタートダッシュで流れを作りたい。そう思っていたが、簡単にはいかない。1組目終了して20チーム中最下位になり、改めて陸上の怖さを痛感した。でも、まだ3組残ってるから分からないと変に強気だったのは覚えている。そこから2組目、3組目で順位をコツコツあげ、3組目終了時点で11位まで上げることができた。残り1組。後2つ順位を上げれば伊勢路だ。この10000mで全てが決まる。最終組は各大学のエースが出場するので例年の傾向だと順位変動が少ないが、勝負は水物。何が起こるかわからない。走る選手を信じてタイムを読み上げ、声援を送り続けた。

1秒先は何が起こるか分からない

そして最終組も半分終わって、あぁやっぱりって思い始めた時だった。他大学の選手が体調崩して棄権したのだ。最初は全然気づかなかったが、後輩に言われてようやく気づいた。しかも自分たちより上の大学だったので、自動的にこれで1つ順位が上がる。これで10位。あと1つあげないといけない。届きそうだけど届かない。この感覚がとてももどかしかった。

レースは進みトップがラスト1周に差し掛かった。留学生の集団に日本人選手も数名ついてたので、強いなーと思って見ていたら、自分の目の前で順位が上のチームの選手が1人急に減速しはじめた。目の前で起こった出来事なのに、全く理解できなかった。10秒くらい経ってこのままいけば伊勢路行けると分かり、走ってる選手に叫んで伝えようと思ったけど、叫んでいるつもりなのに全く声が通らなかった。

ついに結果発表

レースが終わり、自分達の荷物置き場にもどってきた。パソコンでタイム集計してる最中で、まだはっきりとした結果が出ていなかった。走り終わった選手のサポートをして、少し経ったら、結果発表を聞くために、監督とメインスタンドに移動を始めた。途中他大学の監督から9位だよ!と声をかけられたが、まだ決まったわけじゃないと思い、真に受け止めないようにした。

メインスタンドに到着して、集合している選手に結果を伝えるために電話を繋ごうとしたけど、興奮して頭が回らなくて、同期マネージャーにやってもらった。自分では落ち着いているつもりだったけど、今思えば何だかんだだれよりも落ち着きがなかった。結果発表が始まり、自分は手を組んで祈った。続々と大学名が呼ばれ、まだかまだかともどかしかった。そして、最後の1枠の発表になった。ここで呼ばれなかったら終わりだ。順位を読み上げられた後、少し間を置いて自分の大学の名前が呼ばれた。ようやくプレッシャーから解放され、嬉しさよりホッとした気分だった。

とにかく喜んだ、叫んだ

監督、コーチと握手して、その後チームの集合場所に向かった。最初は歩いてたけど、気がついたら走っていて、みんなの姿が見えるとさらにスピードが上がった。歓喜の輪に加わり、ようやくホッとした気分から嬉しい気持ちになった。その後の結果報告とミーティングも終わり、もう一度みんなで喜びを分かち合った。胴上げと写真撮影は覚えているが、恥ずかしながらそれ以外があまりはっきり覚えていない。多分叫びまくってたのかなーと思う。

書き終えて思った事

マネージャーになった当初、仕事が出来なかったり、帰りが遅くなることに対して少し抵抗はあった。しかし、選手が自己ベストを出すと自分の事のように嬉しかったし、それがモチベーションになってた。仕事は出来ない、気が利かないダメマネージャーだったけど、チーム全員のおかげで最後までやり通す事が出来たし、卒業してからも合える関係になってるのかなと思う。みんなで箱根駅伝を目指した日々は一生の宝物です。

拙い文章でしたが読んでいただきありがとうございました。

#あの夏に乾杯 #駅伝 #長距離走 #マラソン #陸上競技 #箱根駅伝 #スポーツ

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
14
社会人3年目。大学時代は駅伝部マネージャー。また走り始めました。

こちらでもピックアップされています

#スポーツ 記事まとめ
#スポーツ 記事まとめ
  • 4393本

noteに公開されているスポーツ系の記事をこのマガジンで紹介していきます。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。