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【小説】消えゆく彼らの純真を、僕らはオワコンとせせら笑う(13)



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 うだつの上がらない仕事を終え、スマートフォンを見ると、ラインが一通来ていた。石川さんからだった。話したいことがあるという。

 指定された場所は、いつもの居酒屋ではなく、本社ビル一階にある社員食堂だった。石川さんが働く印刷所からは電車を二度、乗り換えなければ来ることができない。俺に配慮したのかと感じてしまう。

 社員食堂は、夜の九時まで営業している。早版の作業が終わって一息つく記者のために、いつも遅くまで開いているのだ。

 ただ、俺は社員食堂をあまり利用したことがない。

 一歩足を踏み入れると、同じ社内なのに、何だか場違いな場所に来てしまったように思われる。食券を発券して、カツ丼を注文した。五〇〇円という値段ほどのボリュームはなく、少し落胆する。

 人はまばらだった。まだ、早版作業が済んでいないのだから当然だ。

 黙々とカツ丼を食べていると、ドアが開く音がした。振り返ると根本さんが立っていた。意外な人物の登場に、一瞬呆気にとられる。ただ、根本さんは俺に目もくれることなく、食券機に向かっていき、生姜焼き定食を頼む。

 トレーを持ちながら席を探す根本さんは、俺の隣のテーブルに座った。

「どうしたんですか。根本さん、こんな時間に」

 気まずさに耐え切れず、話しかけてしまった。時刻は、まだ七時半になったばかりだ。

「俺はもう早版の記事を書き終わったからな。遅版の作業が始まるまで、飯でも食おうと思って来ただけだ」

 事もなげに答えられる。必要最低限の会話に留めたいという思いが、ありありと伝わってきた。

「お前こそどうしたんだよ。今日はもう終わったんだろ。さっさと帰ればいいだろ」

 ぶっきらぼうな言い方だった。仕方なく聞いているような。

 心では少し反発しながらも、口調は穏やかになるように努める。

「俺は人を待ってるんです」

 一瞬、根本さんの目が見開いたのを、俺は見逃さなかった。ただ、その真意を考える暇もなく、ドアが開けられた。石川さんが入ってきたのだ。待ち人の登場に俺は安堵の息を漏らす。

 しかし、石川さんは根本さんのテーブルに座った。俺との約束は反故になったのだろうか。

 それでも、石川さんに促されて、根本さんの隣に座る。少し間隔を空けた。

「二人とも来てくれたんだな。ありがとな」

 言葉とは裏腹に。石川さんに笑顔はなかった。頬の筋肉が見たこともないくらい引きつっている。

「おい、石川。どうなってんだよ。俺とサシで話すんじゃなかったのか。なんで可児がいるんだよ」

「最初はそのつもりだったんだけど、なんか違うって思ってな。後輩の可児を交えた方が、話せると思ったんだ」

 二人の会話に入っていくのは勇気を要したが、俺は思い切って「二人はどんな関係なんですか」と聞いた。

 石川さんが言うには、根本とは同期入社らしい。研修を受けているうちに仲良くなったのだそうだ。

 しかし、二人の関係性を理解したところで、状況は変わらない。根本さんは口をつぐんでいるし、石川さんの表情は硬いままだった。やがて、根本さんが口を開く。

「で、今日は何の用なんだよ。俺たちを集めておいて、くだらない話するわけじゃないだろ」

「逆に何だと思う?」

「つまんねえこと言ってんじゃねぇよ。どうせ仕事のことだろ。じゃなきゃ社食を選ぶ理由がないからな」

「やっぱりごまかしはきかねぇか」

 社員食堂は相変わらず静かで、仄暗い照明が俺たちを責めるように感じる。

 だから、あまり人が寄り付かないのだと的外れに思う。

「今年いっぱいで仕事を辞めることにした」

「随分、急だな」

 石川さんは何も注文していなかった。ただ、水を飲むばかりである。一二月でも額に汗をかいていた。

「局長に言われたんだよ。四月から販売局に移ってみないかって。ほら、スポーツ東美が紙の新聞を辞めてデジタルに移行するだろ。こっちにも人員整理の波が来たんだよ。九年も勤めてるのに全く酷いよな」

 俺たちは何も言えなかった。曖昧な同意をして、場をやり過ごそうと失礼な態度を取った。

 石川さんは続ける。

「印刷局以外で自分が働いているイメージが浮かばなかったからな。好きなんだよ。新聞が刷り上がるのが。輪転機の音はやかましいけど、仕事してるって気分になる。それを失ってまで、俺は東美で働きたいとは思えなかった」

「佐津紀さんと、颯花ちゃんはどうすんだよ。食っていかせられんのか」

 根本さんが、こらえきれずに口を開いた。石川さんの妻子の名前は初めて聞いた。

「また別の新聞社の印刷局を見つけて働くつもりだ。既に試験の案内ももらってるし、何とかなんだろ」

「本当にもう決めたのか」

「ああ、辞表はもう出したよ」

 そう言って、石川さんはコップの水を全て飲み干した。向き直ると、細い目が少し潤んでいた。

「じゃあ、俺もう行くわ。毎日外食ってわけにはいかないからな。お前らも大変だろうとは思うけど、最後に決めるのは自分自身だから。悔いのない道を選べよ」

 巨体を揺らして、石川さんはテーブルを立ち、そのまま社員食堂から出て行った。

 残された俺たちはただ呆然とするだけだった。石川さんの言葉を、すぐに消化することはできなかった。隣の根本さんの箸も止まっている。

 俺は、逃げるように自分のテーブルへと戻った。蛍光灯が一本消えて、社員食堂はまた一つ暗くなった。

 悔いのない道を選べよ。

 石川さんの言葉が、ベッドに着くまでずっと頭を回って離れなかった。





 長峰への朝駆けは飽きずに続けられていた。とは言っても、高池の移籍については全く触れられない。成果がないまま一度家に戻る。

 最寄りのコンビニエンスストアに寄って、各紙の一面を眺めた。スポーツ新聞は話題の移り変わりが早い。今日はどこも有名選手のメジャー移籍が一面だった。

 今日は寝坊せずに出社できた。受付で社員証をかざす。あとどれくらい続くのだろう。かぶりを振って、顔を上げると、根本さんと徳永が歩いてくるのが見えた。徳永の大きな目に、思わず視線を逸らしてしまう。

「可児じゃん、おはよう。これから出社?」

 徳永は俺の顔をのぞき見る。避けられたとは全く思っていないようだった。

「そうだよ。見て分かるだろ。お前の方はこれから取材か」

「そうそう。スケートボードの大会が来週にあってさ。今日は有力選手に取材に行くの」

 それでも、雑談する時間はあるようだ。根本さんも何も言ってこない。

「そうそう、可児さ、いつも朝駆けしてるんでしょ。松谷さんから聞いてるよ。私も数回したことあるけど、朝早くて大変だよね」

「なに、それ嫌味?」

 ここ最近の苛立ちが、俺の言葉に棘を持たせた。しかし、徳永はそれを笑って無効化する。

「別にそう言うつもりで言ったんじゃないよ。可児も頑張ってるんだなって思っただけ」

 本人はきっと意識していないだろう。無自覚な上から目線だ。もう肩を書いているからって偉ぶるな。そう視線に込めたつもりだったが、徳永は気づかない。

「お前さ、この前の北方さんの話どう思った?」

 瞬間、根本さんの眉が少し吊り上がった気がした。

「そりゃショックだったよ。私もスポーツ新聞作りたくて、東美に入ってきたわけだしね」

 その言葉とは反対に、徳永の声はまだ明るい。「でも」と力強く続ける。

「今、スケートボードの選手の取材をしてるんだけど、どんなに小さな記事でも、載ったって喜んでくれるの。きっとネットになっても、それは変わらないと思う。相手の喜んだ顔が見れるんだから、これほど面白い仕事はないよ。私は記者を続けたいな」

 ああ、幸せそうだ。仕事にひたむきに取り組んでいる。きっと異動の話なんて来ていないのだろう。戦力になっているのだから当然だ。

 徳永がまた笑った。眩しくて直視できない。後ろの根本さんが少し恥ずかしそうにしていたのが、意外だった。

「おい、徳永、そろそろ行くぞ」

「はい! じゃあ可児、そういうことだから。また今度飲もうね」

 二人は横並びのまま、社外へ出ていった。俺はしばらくその場に立ち尽くした。受付係の視線をひしひしと感じる。

 唇を噛む。痛みを感じる。

 肩を叩かれた。振り向くと松谷さんが立っていた。

「可児、今日の朝駆けの成果がなかったこと気にしてんのか。いつまでも引きずってないで切り替えていけよ」

 そして、エレベーターへと消えていく。自己満足なアドバイスだと思った。きっと松谷さんは俺に異動の話が出ていることなんて知らないのだろう。

 俺は一つ息をついて、無理やり歩き出した。スニーカーの靴紐が片方ほどけかかっていた。



続く


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