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【小説】本当に死ねるその日まで(2)


※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。


前回:【小説】本当に死ねるその日まで(1)



 しばらくして警察が来ても、僕は落ち着くことも到底できずに、うまく事情を話せないでいた。

 昨日までは何も変わったところはなかった。ただ帰ったら亡くなっていた。それぐらいのことしか僕は言えなかった。

 警察は自殺と他殺の両方の線で調べていたが、一晩で真相が明らかになることはなく、僕は何も分からないまま、また新しい朝を迎えてしまう。

 お兄ちゃんにもう訪れることがない明日を過ごしていることに、大きな罪悪感を覚えた。

 それでも、たとえ昨日の今日でも、僕は再び学校に行くことを選んでいた。お兄ちゃんが死んだ家にいたら、気が狂ってしまいそうだったからだ。

 静かに教室に入る。すると、廊下ではあんなに騒がしく聞こえていた話し声が、一瞬止んだ。全員が僕のことを見てきていて、気まずいどころではない。

 僕が席に座っても、誰一人として話しかけてこなかった。隣の席の小出君も、後ろの席も堀内君もいつもは何気ない雑談をしてくれるのに、今日は何も言ってこない。教室も会話が戻っているけれど、ぎこちなさは隠せていない。

 きっともうお兄ちゃんのことは知れ渡っていて、僕に気を遣ってくれているのだろう。

 でも、それはいないように扱うことじゃない。

 僕は窓の外を見ることしかできなかった。チラチラと小さい雪が舞っていた。




「それは転校ということですか……?」

 そう言った僕に、関根先生は明らかに難しそうな表情を見せた。職員室の隣の相談室には、僕たち二人しかいない。朝、僕は先生に「休み時間になったら職員室に来なさい」と、呼び出しを受けていた。

「いや、そういうわけじゃないの。今回のことは本当にご愁傷様だと思ってる。だけれど、この先一人で暮らしていくのは少し難しいでしょ? だから、埼玉にいる叔母さんのもとでお世話になった方がいいんじゃないのって話をしてるわけで……」

「つまり転校するって話ですよね……?」

 関根先生の顔はつれない。言葉にしていなくても、「大変なことになった」と思っているのが透けて見えた。

「私は遠藤君のことを思って言ってるの。遠藤君の将来を考えると、一人で暮らすのは決していいことじゃない。遠藤君も分かってるでしょ?」

 そんなの自分が面倒事に巻き込まれたくないだけだろ。僕はとっさにそう思ったが、言葉に出せるはずもなく、ただ俯くことしかできない。

 僕にはちゃんと友達もいるし、昨日まではそれなりに学校生活を楽しんでもいた。なのに、それを全部取り上げるというのか。

 関根先生の言っていることは優しいようで、横暴に近い。でも、言っていることに分かることもあったから、僕は強く否定することもできなかった。

「まあ、この場で結論を出せる話でもないしね。ちゃんと叔母さんとも話して、最後は遠藤君自身で決めて。どんな選択をしても、私は受け入れるから」

 理解を示してくれるのは、単に先生という立場からだろうか。

 僕は小さく「はい」と呟いた。関根先生は、僕の立場には立っていない。でも、今の僕の横には誰一人として立てない。配慮に欠けた慰めの言葉にかえって傷つく。

 ストーブがぼうぼうと鳴る音が、やけにうるさかった。



 朝に舞っていた雪は、既に止んでいた。きっと見上げると、雲一つない晴れ間が広がっているのだろう。

 でも、今の僕は上を向けるような状態ではない。

 ただ、下を見つめる。中庭には多くの学生が行き交っていて、話し声も盛んに飛び交っている。

 だけれど、誰一人として僕に気づいている者はいなかった。もともと人はそんなに空を見ないとは分かっていたが、僕の存在が無になったようで、心が痛む。

 世界に一人ぼっちで取り残されたような感覚に、僕はもう耐えられなかった。

 手をかけて、一段高くなったところに上る。

 屋上の縁に立つと、誰かが気づいたのか、学生たちが僕を見つけて騒ぎ出した。驚きと戸惑いが聞こえる中、「やめろ」と言っている学生は、一人もいなかった。

 結局、他人事なんだ。僕が死んでも、この世界は何も変わらない。

 お兄ちゃんのところに行けるとは思っていなかったけれど、首を絞めつけられるような苦しみから、僕は解放されたかった。

「おい、やめとけ。自殺なんて」

 聞いたことがない声がして、僕はつい振り返ってしまう。

 すると、後ろには薄茶色のコートを着た男が立っていた。背が高く、顔には無精ひげが生えている。見た目から察するに三十代から四十代といったところか。こんな先生は学校にはいないし、そもそも僕が屋上にやってきたときには、誰もいなかったはずだ。

 疑問に思っていると、男は一つ息を吐いてから続けた。

「あのな、健全な青少年なら、誰もが一度は『死にたい』って思うんだよ。別にお前だけじゃない。一時の感情で人生を棒に振るのはやめた方がいい」

 分かったようなことをいう男。ずいぶんと上から目線だ。

 僕たちの距離は縮まらない。冷たい風が間を吹き抜けていく。

「それにな残念だけど、これくらいの高さから落ちても、人は死ねねぇぞ。頭や体を強く打って、重い後遺症を抱えたまま一生を過ごすのがオチだ。お前はそれでもいいのかよ」

 男は現実的なリスクを提示して、僕を説得してきた。

 だけれど、僕の頭には入らない。それどころか、偉そうに言う男に怒りが湧いてくる。

 自覚したら、それはますます大きさを増していき、僕は思わず声を出していた。

「なんだよ! 僕のことなんて何も知らないくせに! 僕にはもう何もないんだよ! 生きてる意味も価値も何にも! このまま生きてたって苦しいだけだ! だから、もうここで終わらせるんだよ!」

 そう言ったまま、僕は勢いに任せて身体を倒した。確実に死ねるように頭から。

 足が屋上から離れる。

 もうすぐ僕は死ねる。この辛く苦しい人生を終わらせることができる。

 僕は目を閉じた。学生たちの騒然とした声も全てが遠かった。

 すぐに地面に激突して、痛みと共に僕の人生は終わる。そのはずだったのに、まぶたの裏に映像が映し出された。

 僕たちの部屋。ソファに座る二人の人間。顔は見えないけれど、一人はお兄ちゃんだとすぐに分かる。

 テーブルの上には二つのマグカップ。上半身の動きだけで話をしていると気づく。

 去っていくもう一人の人間。見送るお兄ちゃん。

 再びソファに座ろうとした瞬間、お兄ちゃんは胸を押さえて膝をついた。そして、そのまま倒れる。うつぶせになった姿は、僕が昨日見たお兄ちゃんの最期の姿そのものだった……。

 目が開く。冬の冷たい乾いた風。

 僕は再び、屋上の縁に立っていた。訳の分からない事態に頭がパニックを起こす。

 確かに僕は今飛び降りたはずで……。だとしたら、ここは死後の世界?

「な、言っただろ。死ねねぇって」

 振り向くと先ほどの男が、コートのポケットに手を突っこんで立っていた。口元には小さく笑みが浮かんでいる。

 僕に何が起こったのか。そもそもこの男はいったい何者だ。

 僕は再び地面を見下ろす。だけれど、今度は足がすくんでしまって、もう一度飛び降りることはできなかった。

「いや、人が死ねねぇんじゃねぇな。正確にはお前が死ねねぇんだ」

 男は僕のもとに近づいてくる。逃げようとしても、混乱していてうまく足が動かなかった。

「えっ……、どういうこと……? 今僕は飛び降りたはずなのに……」

「それは時間が巻き戻ったんだよ。お前が死ぬ前の時間にな」

 男は僕の側で立ち止まった。突飛もない話に、僕の頭はますますこんがらがる。

「時間が巻き戻ったって本当に……? 僕は確かに死のうとしたのに……」

「だから、お前は死ねねぇんだよ。たとえどんなに死にたいと思っててもな」

 そんな非現実的な話、信じられるわけがない。

 でも、僕が今こうして生きているのも、紛れもない事実で……。

「えっ……、何でそんなこと言えるの……?」

「そりゃ、俺も死ねねぇからな」

 そう言うやいなや、男は駆け出して、屋上から飛び降りた。

 落下していく様を直視できずに、僕は目を背ける。

 騒然とする中庭。だけれど、悲鳴は聞こえてこない。

 おそるおそる覗きこむと、落ちたはずの場所に男の姿はなかった。

 何がどうなっているんだ。僕は確かに、男が飛び降りた瞬間を見たはずなのに……。

「だから言っただろ。俺たちはどう足掻こうと、死ねねぇんだよ」

 再び後ろから声がして、僕は引っ張られるように振り向く。

 声をかけられたときと全く同じ場所に、その男は立っていた。ちゃんと五体満足で、身体もピンピンしている。

「なぁ、これで信じてくれたか? 俺もお前も死ねねぇんだって」

 また僕の側まで来て、男が告げる。おそるおそる僕は男を見上げる。

 見せつけられた現実を信じることなんてできなかった。

「まだ疑ってるか。そりゃそうだよな。こんなこと急に言われて、信じろっていう方が難しいよな。でも、もし疑ってるなら、もう一度飛び降りてみてもいいぜ。まあ何度やっても結果は同じなんだけどな」

 下を見ても、そこには騒然としている学生たちがいるだけだった。

 そんなのもう一度飛び降りて、今度こそ死んだ方がいいに決まっている。

 だけれど、僕は男の言うことを信じ始めていた。屋上の縁から降りる。もしかしたらという思いが、口を開かせる。

「もしかして、本当に僕は死ねないの……?」

「ああ、本当だ。ごくまれにいるんだよな。俺やお前みたいな体質の人間が。大っぴらには知られてねぇんだけど」

「えっ、どうして僕はそういう体質なの……? ていうか、おじさんは何者なの……?」

「一つ目の質問の答えは俺には分んねぇけど、二つ目なら答えられるぜ」

 「俺はこういうもんだ」。そう言って男はポケットの中から、一枚の名刺を取り出した。ところどころが折れ曲がっているそれを、僕は素直に受け取る。

 名刺には「傘井探偵事務所 所長 傘井貴則」と書かれていた。

「探偵……? おじさん、探偵なの……?」

「一応な、一応。ほら、この世に生を受けたからには、何か人の役に立つことしてぇじゃんか」

 傘井は恥ずかしそうにはにかんでみせる。どこか人懐っこい笑みだった。

「まあ何かあったり、お前が自分の体質について知りたくなったら、裏に住所が書いてあるから、いつでも訪ねてくれや。ぶっちゃけ依頼全然なくて、クソ暇だからさ」

 名刺を捲ると確かに住所が書いてあった。ここからも近い。

 僕が再び見上げると、言いたいことは言い終わったのか、傘井は「じゃあな」と屋上から去っていった。

 一人取り残された僕は、名刺を見つめる。隅に描かれたフリー素材のイラストが、どこか滑稽だった。



 ドアを閉める。小さく「ただいま」と呟いてみる。

 返事はあるはずもない。

 外は音であふれているのに、この家だけが無音で、僕は胸の奥がかきむしられる思いがした。ここが帰る場所なのが、一日ですっかり信じられなくなっていた。

 リビングにいても自分の部屋にいても、どこにも居場所がない気がして、気がつけば僕はキッチンに立っていた。

 昨日までお兄ちゃんはここに立って、よくインスタント食品を作っていた。

 そのことを思い出すと、僕は磁石に吸いつけられたように動けなくなる。

 ふと、食器の側に置かれている包丁が目に入った。僕はそれをそっと持ち上げる。

 このまま手首を切ったり、お腹を刺したりして死んでしまおうか。

 でも傘井という男は、僕は死ねない体質だと言っていた。一思いに刺してみても、身体はまた刺す前の状態に巻き戻ってしまうかもしれない。

 もちろんそんなことはあるはずがない。でも、万が一の可能性を考えてしまって、僕は包丁を元の場所に戻した。

 いつの間にか、傘井の言ったことを信じている自分がいた。

 お兄ちゃんとの記憶を胸に抱えたまま、僕はリビングへと向かった。

 昨日警察が入って捜査が行われたけれど、今は何もかもが元通りになっている。お兄ちゃんがいない以外は。

 僕はゆっくりと本棚に近づいた。上にいくつかの写真がフレームに入って飾られていたからだ。

 お兄ちゃんと写っている写真。家族で写っている写真。どれだけ望んでも、もう戻ってこない日々。

 僕は一番手前にある写真を手に取る。僕が五歳のときの写真だ。

 赤いマントを羽織った僕に、黒い服を着たお兄ちゃん。その後ろで、お父さんとお母さんが微笑んでいる。

 大好きだったヒーローごっこをしなくなったのは、いつからだっただろう。あのときの僕はなんて言ってたっけ。

 僕はポケットに入れていた傘井の名刺を取り出す。裏に書いてある住所へは、ここから歩いて五分もかからなかった。


(続く)


次回:【小説】本当に死ねるその日まで(3)


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