【小説】本当に死ねるその日まで(1)
※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。
人は死ぬ間際に、今までの人生を思い返すという。
僕は死ぬときに何を思うんだろう。ふと考えると、一つの記憶に行き当たる。
あれは僕がまだ五歳の頃。よく晴れた春の日のことだった。
「はっはっはー! いずれこの俺様が世界を征服してやるのだー!」
近所の大きな公園の芝生広場で、黒い長袖のTシャツを着た男の子が、声高に笑っている。
近くには男性と女性が手を後ろに組んで座り、「誰か助けてー!」と真剣な顔で言っている。
でも、休日の和やかな公園の風景は崩れない。
これは単純なごっこ遊びだ。そう、僕を主人公にした。
「待てっ!」
そう言いながら、僕はしっかりと二本の足で立っていた。
お兄ちゃんが言葉を引き出すように、「何だ、貴様!」と言ってくれて、僕は誇らしげになる。
「弱きを助け、強きを挫く! 困っている人の心強い味方! ヒーローレッドだ!」
言ったのと同時に、僕はポーズを決める。もう何百回とテレビで見て、すっかり覚えてしまったポーズを。
「何ぃ? こしゃくな! 貴様ごとき、この俺様が倒してやる!」
お兄ちゃんが立ち向かってきたから、僕たちはバトルに突入した。
とはいっても、僕がおもちゃの剣を勝手に振り回しているだけだけれど、お兄ちゃんは上手くリアクションを取ってくれて、やがて膝をついた。
敵を倒した万能感そのままに、僕はお父さんとお母さんの手を縛っているロープを解くふりをする。口々に「助けてくださってありがとうございます!」とお礼を言う二人。僕はたまらず嬉しくなって、「ヒーローレッドは困っている人の味方ですから」という決め台詞を、にやけながら口にした。
もう何回もやっているやり取りなのに、三人は飽きずに僕に付き合ってくれる。そのことが手を振りたくなるくらい、喜ばしかった。
「陸。今日のヒーローレッドも見事だったぞ」
「本当!? 何点!?」
「もちろん百点満点だ」
お父さんはいつだって僕のことを褒めてくれる。その度に愛されていると僕は感じる。
「海もありがとね。陸に付き合ってくれて。もうごっこ遊びなんて年でもないでしょ」
「いや、俺だって好きでやってることだし。それに陸が喜んでいる顔を見るのは嬉しいから」
お母さんとお兄ちゃんが朗らかに話しているのを聞くと、僕まで嬉しくなってしまう。柔らかな芝生の感触が気持ちいい。
「ねぇ、陸。今度もまたこうして遊ぼうね」
「遊ぶ? お母さん、違うよ。僕は将来、ヒーローレッドのような立派なヒーローになるんだから! それで将来は困っている人をいっぱい助けるんだ!」
「そうか。それは頼もしいな。陸ならきっとなれるさ。お父さんたちも応援してるからな」
「うん! 僕、がんばるよ!」
僕たちは明るく笑い合う。
どこにでもある休日の風景。
それがどんなに貴重なものか知ったのは、しばらく後になってからだった。
お坊さんのお経が館内に響いている。きっととてもありがたいことを言っているのだろう。
だけれど、どんなに高尚な文句も、今の僕には耳をすり抜けていくだけだった。
目の前には黒い服を着た人々。
祭壇に飾られている写真は去年旅行に行ったときの、お父さんとお母さん、そのものだった。
一五歳の夏、僕は両親を交通事故で失っていた。高速道路でトラック横転事故に巻きこまれたらしい。
遺体の損傷も激しいらしく、僕は亡くなった二人の姿を未だに見られずにいた。
だから、こうして葬式をしている今も、僕は二人が亡くなったことを信じられない。
でも、隣でお兄ちゃんがぎゅっと袖を握り締めているのを見ると、現実として受け止めざるを得ない。逃げ場なんてどこにもなかった。
葬式の後の食事会場は、思っていたよりもみんな明るく、僕は違和感を覚えずにはいられなかった。
お父さんとお母さんは死んだのに。会いたくても、もう二度と会えないのに。
耐えきれずに、僕は思わず「ちょっとトイレ」と言って、会場から出ていた。トイレには行きたくなかったけれど、外の空気でも吸おうと思って斎場をうろつく。
すると、僕はお兄ちゃんと叔母さんが話しているところに遭遇してしまった。
とっさに身を隠す。二人は僕に気づいていないようで、会話を続けていた。
「本当に大丈夫なの? ウチに来なくて」
「ええ。俺ももう一八ですし、陸も立派な高校生です。気持ちはありがたいんですけど、俺たち二人でもなんとか生きていけると思います」
「本当に? 無理してない?」
「ええ、無理なんてしてません。ただ俺は陸と一緒にいたいんです。今じゃたった一人の俺の家族ですから」
二人の会話は僕のもとまで聞こえてきていた。お兄ちゃんが「たった一人の家族」と言ってくれて、胸に開いた穴が少しだけ塞がっていくようだった。
叔母さんは何度も僕たちを心配していたけれど、お兄ちゃんは全て受け流していた。
やがて叔母さんは折れたのか、「分かった。また話しましょう」と言って、お兄ちゃんのもとから離れていった。僕たちの将来に大きく関わる問題だから、簡単に結論を出すことはできなかったのだろう。
お兄ちゃんが「陸、いるんだろ」と、僕のいる方を向いて言う。やはり気づかれていたようだ。
僕はお兄ちゃんの前へ、改めて姿を現す。お兄ちゃんは僕に近づいてきて、こう言った。
「大丈夫だから。二人で一緒に暮らそうな」
もちろん不安はある。だけれど、気づけば僕は「うん」と頷いていた。
お兄ちゃんと一緒なら、何とかなる。そんな根拠のない確信が湧いてきていた。
「ねぇ、お兄ちゃん何作ってんの?」
キッチンから漂ってくるいい匂いに、僕はお兄ちゃんのもとへと向かっていた。
お兄ちゃんは、フライパンを振っている。中の具材が小さく跳ねた。
「ああ、今日はお前の好きな回鍋肉だ。せっかくの誕生日だから、いいものを食べないとな」
お兄ちゃんがそう得意げに言うから、僕も自然と笑顔になってしまう。
叔母さんを何とか説得して住み始めた家は、部屋が二つしかなかったけれど、それでも僕は何の不自由も感じていなかった。
「陸、改めて一六歳の誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう」
望んでいる返事をしたはずなのに、なぜかお兄ちゃんは少し表情を翳らせた。
回鍋肉が香ばしい音を立てて焼けていく。
「どうしたの?」
「いや、何か申し訳なくてな。だってせっかくの誕生日なのに回鍋肉って。プレゼントも何も買ってあげられてないし。もっといい誕生日をお前に過ごさせてあげたかったのにな……」
お兄ちゃんは少し俯きながらも、それでも回鍋肉を炒め続けている。
僕たちはお父さんとお母さんの遺産、お兄ちゃんのバイト代、それと叔母さんからの仕送りで生計を立てているものの、生活はいつもカツカツだった。食事もインスタント食品で済ませることが多く、こんな風にお兄ちゃんが手料理を振る舞ってくれるのは少し珍しい。
だけれど、この生活は僕たちが自分で選んだものだ。不満なんてあるはずがない。
「いいよ、謝らなくて。だって僕はお兄ちゃんとこうしているだけで幸せだから。たとえ何もなくても、それだけで最高の誕生日だよ」
お兄ちゃんはよほど嬉しかったのか、「こいつー」と言いながら、髪がしわくちゃになるほど僕の頭を撫でてきた。確かな手の感触に、僕もこれ以上ないほど嬉しくなる。たとえお金は少なくても、今の僕たちは十分に満ち足りていた。
「ちょっと、回鍋肉」と僕が注意すると、お兄ちゃんは「いっけね」と、またフライパンを振り始める。
こんな日常がずっと続けばいいのにと、僕は心の底から思っていた。
「ただいまー」
ある冬の日。部活をしていない僕は四時の下校時間になると、まっすぐ家に帰っていた。少し暗くなり始めた空に、家の電気が点いているのが見える。
ドアを開けるともわっとした暖房が僕の頬に触れてきて、お兄ちゃんがいるのは明らかだった。
でも、家の奥から返事は聞こえてこない。僕が帰ってきたことに気づかず、昼寝をしているのだろうか。
少し気になりつつも、僕はリビングへと向かう。
その光景を目にするまでに、時間はかからなかった。
お兄ちゃんが、床にうつぶせになっていたのだ。
いつも仰向けで寝るお兄ちゃんのその姿が珍しくて、僕はそっと近づく。起こそうとして肩に触れようとした瞬間、僕は気づいてしまった。
お兄ちゃんは息をしていなかった。
最初は悪い冗談かと思った。だって、ジャージ越しに触れたお兄ちゃんの肌は、まだ暖かかったから。
でも、仰向けにしてみても、お兄ちゃんは何の反応もなかった。口が、胸が、肌がピクリとも動いていない。
徐々に冗談ではないことが分かると、僕は膝を床につけてしまう。口元に耳を、胸に手を当ててみても何も聞こえない。
紛れもない現実であることを知ると、胸が苦しくなった。吐きそうな感覚が僕を襲った。
「ねぇ、お兄ちゃん、嘘でしょ……。いいから早く起きてよ……」
呼びかけたところで、奇跡は起こらなかった。お兄ちゃんは目を閉じたまま、少し辛そうな表情をしている。
きっと苦しみの中で、終わってしまったのだろう。命が果てる間際のことを思うと、目から涙がこぼれた。
一滴、二滴。最初は少しだった涙が、気づけばとめどなく溢れ出している。それはすぐに嗚咽に変わった。
僕は声の限りを上げて泣く。そうしてもお兄ちゃんが戻ってこないことは分かっていたけれど、そうでもしないと悲しさで、頭がどうにかなってしまいそうだった。
(続く)
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