嫌われる勇気 No28 共同体感覚への道
課題の分離から共同感覚へ進む具体的方法
青年が気にしているのは、その具体的方法でした。自分の課題と他者の課題を分離し、他者の課題には介入しない。それができたとして、どうやって共同体感覚を得れば良いのか。
そうですよね。課題の分離と共同体感覚とは一見別の概念のよう。自分は自分、他者は他者。そこを切り分けたとして、どうしてお互いが強調し合う、共同体感覚に繋がろうか…。
そこで、哲人は、横の関係という考え方を提唱します。わかりやすい例として、親子関係から説明しています。哲人に「あなたは叱ることとほめること、どちらを選ぶべきと思いますか?」と青年に問います。
あなたは、どう答えますか?
わたしが連想したのは、こんな感じ。山手線の隣を京浜東北線が颯爽と追い抜いていく。それを見て、山手線は、「ふっざけんな!!」とか言ってスピード上げたりしないですよね。あるいは、「すっげぇな京浜東北線は。速いなぁ。俺なんて…」とか思わないですよね。山手線は山手線。
ほめてはいけないし、叱ってもいけない
これがアドラー心理学の答え。そして、共同体感覚に至る具体的な方法になります。
哲人曰く「ほめるという行為には”能力がある人が、能力のない人に下す評価”という側面が含まれています。」。そして、衝撃的な言葉を…
「背景にある目的は操作です」
誰かにほめられたいと願うこと、そして、他者をほめてやろうとすること、これは、対人関係を縦の関係としてとらえている証拠と見るのです。よって…
アドラー心理学の根本原理
それは、「あらゆる”縦の関係”を否定し、すべての対人関係を”横の関係”とすること”」と哲人は言います。
もちろん、親と子は、体格や年齢、その他あらゆる部分で違います。それは、親子でなくても他者同士を見てみても一目瞭然。そんな対人関係を、アドラー心理学では、同じではないけど対等と考えるのです。そう、同じではないけど対等と考えれば、そこに劣等コンプレックスは生まれないのです。
いいですか、上司とわたし、先生とわたし、親とわたし、子どもとわたし、大統領とわたし…、あなたとわたし、それは、同じではないけど対等なのです。そう考えるのです。さもないと、縦の関係が生じ、劣等感が劣等コンプレックスや優越コンプレックスとなり、ひいては、人生の嘘をついて、可能性の中に生きることになる、というわけです。
では、横の関係を他者と築くにはどうしたら良いか。
それは、明日!!