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幼い頃の呼び名が意味するところは、実は深いんだ



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【幼い頃の呼び名は何ですか?】

hibiyaのエンディングノート用ガイドブックには、幼い頃のご自身の呼び名を書いておいてくださいという記載があります。

なぜなら、これは自分が認知症になってしまった時に、介護してくださる方々を助けるという意図があります。

女性の方は特に結婚して苗字が変わり、役割が変わっていく中で、幼い頃の記憶にはない名前で呼ばれたりする場面も、多くなりますね。

認知症が進むとこの結婚後の苗字で呼ばれても、残念ながら自分のことと認識できなくなって、反応出来なくなることがあるのです。

しかし、幼い頃に呼ばれていた呼び名で呼んでもらうと、
「私に話しかけられている?」と気づくことがあるのだそう。


認知症のレベルにもよるのかもしれません。

しかし、忘れちゃう自分もあるけど、残っている自分もあるのだとしたら、呼び名を変えることでコミュニケーションをとりやすくして、QOLを保てるかもしれません。


【幼い頃につけられたあだ名は、自分の分人?】

今日のブログは、
私が幼い頃の呼び名について思い返していたら、自分の「涙の変遷」と言うところに辿り着いたというお話です。


もはや私以外この呼び名で私が呼ばれていたことを、誰か憶えているかしら?



1つの呼び名に込められていた、私の分人。

呼び名からの「人生の棚卸し」です。


ここ四半世紀、私もたくさんの呼び名で呼ばれてきました。

妻としての自分、○○君のママとしての自分、仕事場での自分、〇〇家の自分、といった○○としての存在時間が長かったぁと思いました。


どれももちろん本物の自分。


基本偽物も裏表もなくて、ただ多面なのだと思っています。


しかし、幼い頃に前面に推し出ていた「私の分人」は、長い間息を潜めていた?ということにも気づきました。

近年そのことに気づかせてくれた人がいました。



みなさんにも、幼い頃に生息していた自分の「分人」は、まだ、いますか。

【自分って何?ここちょっとクリアにしない?】

本当の自分はひとつじゃない?!
分析が面白い!


自分とか  ないから。
しんめいPさんのご著書


【必ず人生に役に立つ2冊⬆️】

この2冊を読むと、「自分探し」とか「本当の自分」というものの概念が覆ります。


私を含め、みんなが言っているホントの自分って、実は『自分にとって最も愛しい自分のこと』なのかな?というのが、今の私のこたえです。



私がもし認知症になったら、どの分人が残っていくのだろう、、、どの呼び名に反応するのかな?などと、想像したりして。

その日までに、お気に入りの分人を一つでも増やしておきたいな、などと思いました( ˘͈ ᵕ ˘͈  )


ブログは【涙の変遷】と題して。
わたしの幼い頃のあだ名から形成されていった、私の涙のお話です。

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