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#4 「読みながら編む」

斎藤真理子さんインタビュー④ 

――再び「編む」と「読む」の話ですが、たとえば、あのセーターを編んだときにはこの本を読んでたな、とかっていう、制作物と読んだ本との記憶が結びついていることはないんですか?

斎藤:私の「読みながら編む」というのは、自分の欲望に最も沿った時間を作ろうとしてそうなったとしか言えないもので、そんなに情緒的で素敵な話じゃなく、もっと獰猛で野蛮な感じなんですよ。そもそも編むための本っていうのが何冊かあって、それをローテーションで回しているので、結局、同じ本を繰り返し読んでいるんです。「本の栞にぶら下がる」に詳しく書きましたが、私の「編み本」ベストは谷崎潤一郎の「細雪」ですね。あとは金井美恵子の生活描写が濃厚な小説や、田辺聖子のOLもの。衣食住の話が出てくる森茉莉のエッセイなんかもいいですね。心理描写と衣食住の精緻な描写みたいなものが合体していると脳が喜ぶんです。30冊ぐらい「編むための本」っていうのがあって、それはもう編み物道具の一部になってる。編みながら強く開くし、糸や針を入れておく袋に突っ込んでそのまま持って出かけるので、めちゃくちゃ傷んでて人に見せられないぐらい汚いんですけど。

――その30冊に、新作が加わることは?

斎藤:「図書」の連載時に編みながら読む話を書いたらすごく面白がってくれた方が何人かいらして、「保坂和志さんの小説なんかいいんじゃないですか?」って言われたんですよね。実は私もそう思って試してみたことがあるんですけど、本だけに没頭してしまうのでダメでした。いろいろ実験はしてるんですよ。「赤毛のアン」とか「あしながおじさん」とかはいいんです。少女が主人公で、やっぱり着るものとか、食べるもののことをしょっちゅう考えてるじゃないですか。それと同時に友情があって、恋があって物語が続いていく。でも「大草原の小さな家」になるとスケールが大きすぎてダメ。「ジェーン・エア」、「嵐が丘」のブロンテ姉妹もダメでしたね、波乱万丈すぎて。あんまりドラマが激しすぎない方がいいんですね。それでいうと、韓国文学は全部編めません。食べ物の話はいっぱい出てくるんですけどね。やっぱり、編むために読む本と自分の好きな本というのは、ぴったりイコールになるわけではないんです。自分にとって、ちょっと用途が違うんですよね。

――いわば編むための「古典」があるわけですね。誰々が選んだ日本の文芸ベスト100みたいなものではなくて、何度も何度も繰り返し読んでも色あせないマイフェイバリットな本も、自分にとっては「古典」ですもんね。そういう本は、誰にでもあるでしょうし、年末になったら毎年あの本が読みたくなるとか、この本を読むと精神が落ち着くとか、そういうことあると思うんですよね。

斎藤:そう。だからね、誰か偉い人があげてるブックリストの本がつまらなくても、全然恥ではないし、自分のブックリストには自信を持っていいんですよね。それは自分の磁力に吸いついてきた本たちだから、唯一無二なんですもの。そしてそうやって本を一冊読むと、その磁力にまた別の本がくっついてくるわけですよね。そうやって、なぜ私のところにこの本とこの本とこの本が集まったんだろうって考えていくと、自分がわかるんです。自分が何が好きで、どういうものを求めているのか。それを知るのはとても面白いし、大事なことじゃないかなと思います。「沈思黙読会」では、そんなことにも思いを馳せていけたら楽しいのではないでしょうか。1日、静かに本を読みながら、読書の自由さを味わうことができる場になれば嬉しいです。

沈思黙読会の詳細はこちらをご参照ください。

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