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愛しのノア

しばらくぶりの投稿です。この間、いろいろバタバタしてました。今日はペンネームについて書いてみます。亞乃は、昔実家で飼っていた愛犬の名前 ノア からもらいました。あれは僕が高校生の頃でした。母が捨て猫にエサをやっていたんですね、毎日。そうしたらある日ひょこっとその子は現れた。捨て犬(今は死語かもしれませんが、"野良犬")だったんです。翌朝、行くとまたエサをもらえると思ったのか同じ場所に来て待っていたのだそうです。それで母が感心して毎日エサをあげるようになりました。

ある時、突然姿を見せなくなりました。それで母は保健所に行きました。保護された犬がケージに入れられ飼い主を探してわんわん吠えていたのだそうです。そうして端からケージを眺めていったら、奥の方に1匹吠えもせずションボリとしていた犬がいた。あの子でした!母はいつものように口を鳴らして合図しました。そうしたらケージの一番手前まですっ飛んできたそうです。母は職員さんに言ってその子を引き取ることに決めました。職員さん曰く、あと2日で処分される運命だったとのこと。推定年齢は生後2、3歳、まだ小さかったんですね。

帰りの車の中でゲーゲー吐いたそうです。「これからどうなるんだろう?」と不安だったんでしょうね。1987年2月のことでした。真冬でしたがその日は晴れてとても暖かい日だったそうです。実家に着くとベランダで母はその子を洗ってあげました。そしてその子に「ノア」と名づけたのです。「ノアの方舟」からつけたといいます。ひとまずほっとした様子のノアでしたが、内心「これからどうなっちゃうんだろう」と不安だったんでしょう。当時の写真を見るとそんな表情をしています。

保健所から連れてきたばかりのノア。表情が不安そう。
1987年2月のある日、真冬なのに暖かい日でした
母に全身をゴシゴシ洗ってもらいました
泥だらけが石鹸だらけに(笑)

最初、父はノアを家の中に入れることに反対でした。だから玄関先のスペースがノアの居場所でした。ところが夜中に寂しくて「ヒーンヒーン」と鳴きました。多分心細かったんでしょう。ある日、父が何かの用事で数日間留守にすることがありました。その間に母はノアを家の中に入れてあげました。嬉しかったんでしょうね。それから次第にノアは家族の一員となって溶け込んでいきました。近所への買い物も、車で旅行する時も、祖父のお墓参りに行く時もいつでも一緒。たまに自分を置いて母が買い物に行くとシュンとなり、帰ってくると全身で喜びを表して飛びついていく。私は大学生、社会人となってからも時間があると遊んだり散歩に連れていってあげました。おしっこやうんちをした後、お風呂場で足やお尻を石鹸つけて洗ってシャワーで洗い流したり。絨毯の上に横になっている時や抱っこしながらマッサージしてあげると気持ちよくて、仰向けになってデーンみたいな。野良だった時は絶対にあり得ない仕草ですよね。長兄や次兄が結婚し子ども(僕の甥、姪ですね)ができると、ノアは幼い彼彼女らの遊び相手になってあげました。性格がおとなしいこともあって、ノアはみんなになついてなついて愛されていたんです。

まだ家の中に入れてもらう前、この玄関がノアのスペースでした。
家にあげてもらった後の写真
父の手を舐めるノア。
嬉しくて興奮してます(笑)
甘えん坊のノア
母とソファーで一緒にお昼寝
安心してお寝んね
祖父のお墓参りへ
お参りもちゃんと

そして1997年、僕は東南アジアのある国に赴任することになりました。ノアが我が家に来てから10年が経っていました。目は白内障で白くなっていました。夜のお散歩も以前は遠くまで出掛けていましたが、家の近所でおしっことうんちを済ませるとすぐに家に帰りました。家にいるのが好き、僕たち家族といるのが安心だったんでしょうね。出発の日、僕はノアを抱きしめてこう言いましたー「ノア。長生きしてね」ノアを代弁して母がこう言いましたー「オッケー」。

それから3年後に祖母が98歳で大往生し、49日の法要のため僕は一時帰国しました。家に上がるとノアが出迎えてくれました。随分と身体が太って声も昔に比べて張りがなくなっていました。なんか歳をとったなぁとその時は思いました。数日間日本に滞在して再び僕は赴任地に戻ることになったのですが、この一時帰国した時がノアを見た最後となりました。祖母の49日法要から2ヶ月後に2000年4月、ノアは天に召されました。具合が悪くなり病院に連れていったところ、全身ガンに冒され既に手遅れだったそうです。最期は命の恩人で最愛の人である、母に抱かれながら息を引き取りました。

月日は流れ2010年代の半ば、僕は病を発症して入院、3ヶ月の加療の後にデイケアのある病院に転りました。プログラムの一環でアートの時間があり、鉛筆で絵を描くことになったのです。他の人にはテーマが与えられましたが、初参加の僕には何でも自由に書いていいと言われました。僕は迷わずノアを描くことにしました。その時にモチーフにしたのが、noteのプロフィール写真です。

その後、診断名は変わり今も治療を続けながら日々を過ごしています。
夜、眠れない時があるといつもノアを思い浮かべます。抱き枕をノアに見立てて撫でてやったりすると、どんなに寝つきが悪くてもいつの間にか眠れるんですよね。姿は見えないけれど、いつもノアと一緒にいるような気がします。

ノア、幸せをいっぱいくれて本当にありがとう。
いつかまたお散歩、一緒に行こうね。
そしてこれからもずっと見守っていてね。


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