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学力と音楽

学力と音楽の関係。

東京大学で発表されたことだが、ピアノなど音楽に関する習い事をした人の方が学力が高いとよく言われてきた。

確かにその割合は音楽の習い事をしたこの方が学力は高い。

しかし音楽を習うと成績は上がるとは言えない、

上位の大学に進学した生徒は比較的経済的に余裕のある家庭が多い。これは明確な相関関係がある。
つまり裕福な家庭環境かつ、安定的な家庭であった場合に成績が高い相関があると文科省のデータなどで示されている。

では、経済力は成績に直接つながっている率は高いのはわかるが、音楽の場合どうであろう。

明確に断言できることは東京大学のレポートでは相関関係はほとんどないと、結論付けている。

それでは音楽の習い事ををしている生徒は学力が高いというデーターは捏造されたのか。それも違う。
音楽関係の習い事をさせられる家庭は比較的に家計が裕福である。
結局比較的に裕福な家庭は頭が良いとなる。

だがそれも違う。
家庭環境に成績は関係があると確実に思う。
最も大切な子供の性質を作るのは恐らく小学校四年生までであろう。ちょうどギャングエイジ末期で、自我の芽生が生まれた頃だ。自分にとって都合の良い方に流される年齢である。
逆に言えばこの時に家庭の方針に従う最後の年代である。最も放置してはいけない分岐点がこの年なのだ。
当然それまでにある程度長い年月をかけて種を仕込んでおく必要はあるが、種を仕込める最後の年でもあると、二人を子育てをして痛感はしている。
まず、四年生では、嘘を覚え始める。そして家庭より社会関係や友人関係に目を向ける。
そして得意不得意が明確化する。
手を抜き始める。
他にも様々な要因があるが、実際五年生になってから家庭以外でも嘘をつきだす。
当然その子その子でそうでもない子もいるが、大多数はそうである。
その嘘もかなり高度化し、よくわかる間柄でも見抜けなくなってくる。中学生になると反抗期も手伝い、嘘の代わりに伝えないという技術を身につける。
事が大きくなって親が他人から気付かされる。身内からは何をしているか不明確になるのだ。
高校ではさらに酷くなる、
親子の信頼関係は依存関係として辛うじて成立をする。実際私もそうであった。だから友達になろうと親が努力をする。親の力業ではなくスキルによって子供と同じ土俵で向かい合うのだ。

いずれ成人になり、子供が一社会人となるとまた、親子関係は、先輩後輩関係になる。
話はずれたが、頭の良いという定義はこの場合成績に限った話である。
頭が良いという(成績がいい)分岐点は、小学四年生までにタネを仕込めるかどうかに関わる。
なお、純粋に頭が良いというのはオックスフォードなどの研究で遺伝的な事も関係があるとの研究結果も出ているが、世界の頭が良いと言われている偉人達はその研究を支持していないのも歴史的事実である。

幼い子供は自分で物事を判断して決めさせるのは個人的であるが可哀想であると考えており、決められる範囲を親など保護者が狭めてあげてそこから補助をしながら誘導をし本人が決めたかのように導くテクニックを使う事が最も良い。幼い子供に大人と同じ土俵に立たせることは悲劇しか生まない。