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やわらかな自分で/父を見送った日

父が泣いた。
あんなのは、初めてだった。

梅雨明けの、7月某日。いつもの通り、父の病室へ向かう。
あの病室は天気のいい午後には、妙に白んだ部屋になる。その日もそうだったせいか、思い出す景色や会話の全てに、ぼんやりと白いベールがかかっている。

言い合いの内容は覚えていない。というより、わたしにはあの頃の毎日の詳細の記憶がない。自分の全てを追いやって、父に寄り添った。うちに母親がいたなら、それは母親の役目だったのかもしれない。

わたしは愚痴も言わなくなったし、遊びに行くこともなくなった。毎日のお見舞いと看病を、わたしはわたし以外の誰にも頼めなかった。
誰も頼れないから、誰にも期待をしなくなった。期待して断られるという、よけいな落ち込みや傷などは、当時、極力避けたかった。

つらいのは父だ。自分じゃない。
寄り添うということに不慣れなわたしは、必死だった。必死にひとりで、常に1対1で挑んだ。

あの日も、なにかで怒鳴られた。父はいつもイライラして、わたしに八つ当たる。当然だ。もうすぐ死ぬかもしれないと言われて、すでに4年。1週間後かも、来月かも、と毎日思いながら1460日を過ごしてきたのだ。心が壊れないわけがない。

父は日々、今ある命を確かめるかのように、大げさに笑ったり怒ったり黙ったりした。だけど、目の前で泣いたことは一度だってなかった。

思い出す。あの日はわたしが先に泣いたのだ。そう、わたしが先。
毎日の通院と看病、介護。くたくただった。そしてまた怒鳴られてつい、いくつか強く言い返して「わたしは誰にも頼れない、ひとりだ」と口にした。

口にした途端、涙が出た。止めようもない速度で、少しの前触れもなく、あっという間に。本当に一気に。思えば父の前であんな風になったのは、わたしも初めてだ。

―――しまった。と思った。
わたしが泣くわけにいかない。泣くもんかでここまできた。きたのに。
はっとして父を見ると、見たことのない真っ赤なしかめっ面で、

「いるじゃないか、お前には助けてくれる人が、いるじゃないか」

そう言いながら、親せきのおばさんやおじさんの名前を指折り挙げていく。
「なに言ってるんだ、馬鹿なこというな!」と、心底悔しそうに、漫画みたいに口をへしまげながら、真っ赤な顔をして一生懸命、ぽろぽろ涙を流しながら、名前をひとりずつ挙げていく。

そうだ、つらいのは父だ。もう誰も父の命を助けてくれない。
ごめんと思った。わたしなど全然大変じゃない。言葉にならずに、頷きながら「うん、そうだね、ごめん」とだけ、何度も伝えた。

父とわたしのケンカの声に、看護師さんが駆けつけたが、さすが緩和ケアの看護師さんだけあって、そこは慣れたものだった。
帰りにそっと呼ばれて「患者さんのご家族も、患者さんなのよ。あなたもつらいね」と言われた。
泣いた。大泣きしながら帰った。もうひとりだったから、我慢しなくてよかった。

本当はつらかった。父が一番つらいのを差し置いて、なぜわたしばかりと思った。
清潔な病院が怖かった。治らない病気も、誰にも頼れないのも、妙に暑い夏も、すれ違う笑顔の家族も、楽しそうな人達も、もう何もかもが嫌だった。

毎日なにかをぐっと押し込んで飲み込んで、目の前のことをこなすためだけに、ただひたすら何とか呼吸をした。

だからあの看護師さんの言葉は、今でもわたしの支えと教えになっている。
あの思いやりのおかげでやってこれたと、今でも思う。

「コーヒー、飲むか?」
翌日、父が言った。「うん、淹れるよ」と言って、わたしたちは普通に戻った。
時間がないのだ。いつもなら、まだうじうじ言い合いたいことでも、わたしたちはそれ以外のことを優先すべきだと知っていた。

あえて向かい合わずに、少し離れて、一緒にコーヒーを飲む。今日の数値はどうとか、どこが痛い、痛くないとか、いつもより体調がいいからあれをしようとか、いつものそんな話をする。

「昨日はごめんね」なるべくさりげなく、話の隙間に滑り込ませる。父も「別にもういい」とだけ言って、昨日の出来事はいつもの話題の中に紛れて、見えなくなっていった。
そのあと、これでいいのだとでもいうような、やわらかな沈黙が少し流れて、そっと消えた。

誰も悪くない。
悪くないんだ。父も、わたしも。

人は、コーヒーやお茶を目の前にすると少し素直になるらしいことを、わたしは父との病院の時間で知った。できれば、温かいものがいい。

うちは父子家庭で複雑な環境だったせいもあってか、お茶で一息をつくなどという習慣がなかった。それをわたしは、父の闘病の時間で学んだ。
学びの種はきっと、いろいろなところに埋まっていて、それぞれの場所で、それぞれのタイミングで芽吹くのだ。

***

あの日から2週間程たった夜、父は逝った。

ぽっかり穴があいて、なんにも残らなくて、少しだけほっとした。虚無感、悲壮感、罪悪感……どれも当てはまるけれど、どれも少しずつ違う。
言葉にならない体験を、最後に娘に与えて、世界でただ一人の親はいなくなった。

父を見送ってから、しばらくはよく分からない時間を過ごした。

あれから6年。
父との長い最期の時間を、たまに部分的に思い出す。
今になってようやく、あの頃の自分を労わる気持ちになれている。未熟なりに、分からないなりに、精一杯がんばっていたと思う。
あの毎日が終わってしまったとき、少しほっとしてしまった自分のことも、今は許せる。かたくなに、誰も頼ろうとしなかった自分のことも。

しばらくは後悔ばかりで、どうしようもなかった。それでも少しずつ、父との笑顔の時間も思い出せるようになった。たしかにあったんだ、そんな時間が。

手術後はじめて飲んだコーヒーに「ああ、うまい」と心底、何度も言っていた。
ガラケーからスマホに代えたいと、父が恥ずかしそうに打ち明けた。
車いすの操縦がうまいだろうと自慢されて、腕を鍛えるために二人で運動した。

なんでもないことで笑った。残された時間の中で、お互いに精一杯だった。

***

思い出す小さな出来事のあちこちに、今も種が埋まっていて、今になって、なにかに気付いたりすることがある。
時間差で芽吹いていくことがたしかにあって、ぼんやりと不思議な気持ちで、でも、大切に育てたいと思う。

かたくなだった心がほぐれていく。
ほぐれた心で、人を、自分をあらためて思う。
そんなふうにして芽生えた気持ちは、きっと人を豊かにする。

なにかを、誰かを大切に、労わる気持ちを持てることは、本当に豊かなことだと思う。きっとやわらかな心だから出来ること、気が付けること。

やわらかな自分でいたい。種のために、ほぐれた土壌でありたい。
今よりも、もっと。

これまで過ごしてきた時間と同じように、「今」にも、少し先の自分への種が埋まっていて、未来の自分への贈り物になるんだと思う。

より豊かな自分になるために、今がある。

とは、なかなかいつもは思えないかもしれないけれど。
せめて限られた時間を大切に、一生懸命、やっていこうと思う。

そしてこれからも、誰かと気まずいときやケンカになりそうなときは、ひとまずは温かい飲み物を淹れようと思う。


追伸
おとんがあの時「うまい」と心底言った、セブンイレブンのインスタントコーヒー、わたしもたまに飲むよ。



#ゆたかさって何だろう

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