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じぶんと向き合う時間を大切に。丁寧に「書く」。 珈琲と本、麦酒。/じぶん時間についてと…

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じぶんと向き合う時間を大切に。丁寧に「書く」。 珈琲と本、麦酒。/じぶん時間についてと、たまに毒抜き /心模様にあった本を紹介/創作はこちら → https://note.com/m_18/

最近の記事

雨と珈琲

「雨」と「珈琲」は、組み合わせることで、魅力が倍になる。 そこに「読書」が入ると、最強かもしれない。 普段はインスタントだけど、気分によってはドリップにする。 (といっても、一つずつ袋に入っているもの) それはだいたいが雨の日。家にいられる雨の日は、少し特別な気がする。 低気圧は自律神経を乱すことがあるけど、水の音は癒しにもなる。人はそんなふうに複雑なふりをする生き物で、たぶん結局は単純だ。 低気圧のせいで頭痛薬を飲んで、窓をあけて珈琲を楽しむわたしも、例外なくそういう生

    • 会えなくなる日を思わせる。 春、薄青の空、ソメイヨシノ。 めぐる。 循環の中に在れることが愛おしいのと、花びら歌う。 めぐる。 めぐる。 居心地のよさに沈みこまないようにいたい。

      • Dear もう会わない人

        縁を大切にしすぎて、自分が壊れた時期がある。 自分と違う意見でも受け入れすぎて、そのうちに自分の意見がぼやけて、世界がぼやけて、そして何も見えなくなった。 自分の「こうしたい」「こう思う」を見失うということは、船の帆を失うことに近い。目的地へ向かう力はなく、流されていく。あの頃のわたしはどこにも向かっていなかった。 「友達は大事」というコトバは、幼少期から青年期にかけて、あちこちから放たれる矢である。そして縁と友達の境界線は、なかなかに微妙だ。 すっかりその思考に支配された

        • 映画「ファーザー」人の還る場所を思う

          【第93回アカデミー賞:主演男優賞・脚色賞】 ※ノミネートは計6部門にも渡る。 「羊たちの沈黙」以来、この作品で2度目のアカデミー賞を受賞した、名優アンソニー・ホプキンスの最高傑作とも言われるこの作品。 認知症によって世界が崩れていく父親の視点から描かれた人間ドラマ。 確かなものが日毎ひとつ、またひとつと喪失されていく不安と恐怖の中で、揺るがないものとは一体なんであろう。 【あらすじ】​ ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配

        雨と珈琲

        • 会えなくなる日を思わせる。 春、薄青の空、ソメイヨシノ。 めぐる。 循環の中に在れることが愛おしいのと、花びら歌う。 めぐる。 めぐる。 居心地のよさに沈みこまないようにいたい。

        • Dear もう会わない人

        • 映画「ファーザー」人の還る場所を思う

          やわらかな自分で/父を見送った日

          父が泣いた。 あんなのは、初めてだった。 梅雨明けの、7月某日。いつもの通り、父の病室へ向かう。 あの病室は天気のいい午後には、妙に白んだ部屋になる。その日もそうだったせいか、思い出す景色や会話の全てに、ぼんやりと白いベールがかかっている。 言い合いの内容は覚えていない。というより、わたしにはあの頃の毎日の詳細の記憶がない。自分の全てを追いやって、父に寄り添った。うちに母親がいたなら、それは母親の役目だったのかもしれない。 わたしは愚痴も言わなくなったし、遊びに行くこと

          やわらかな自分で/父を見送った日

          「繋がらない」の本音

          好きな人ほど、繋がっていたくない。 正しくいうと、繋がりすぎていたくない。例えば、SNS。 「インスタやってる?」 「ツイッターやってますか?」 「繋がろうよ」 無邪気だなあと思う。素敵だなあと思う。そんなふうに自分も、20代の頃は躊躇なく口にした。 勢いの時代というものがあった。どんどん声をかけて、かけられて、たくさんの繋がりが当たり前の、きらきらの時期。 でも、実は「きらきら」って、光が見えたり見えなかったりすることで、それは安定した輝きとは違うもの。 そしてきれい

          「繋がらない」の本音

          【本の処方】「時間がたっていく寂しさ。道が別れてゆく寂しさ」

          ぼんやりと寂しいときがある。動けないほどではないけれど、しんみりしている。元気すぎるものとは少し距離を取りたい。そんな心におすすめしたい一冊。 ほのかな温もりと癒しが欲しいときの処方箋本です。 「ハードボイルド/ハードラック」(幻冬舎)著者:吉本ばなな 歪んだ時間の中で亡くした恋人を妙に思い出す「ハードボイルド」、脳死の姉を受け入れていく「ハードラック」の2つの物語。 身近な人の死をテーマに描くことが多い、よしもとばななさん。今回も小さな焚火のよう、消した後もしばらく

          【本の処方】「時間がたっていく寂しさ。道が別れてゆく寂しさ」

          「なにもしない」というギフト

          自分を労わることや癒すこと、整えることは、今だけでなく、未来の自分のためにも、出来たほうが断然いい。 でも、どうしても何もしたくない日がある。心がダメな日。 どうしても無理、横になったまま動けない、泥のようなとき。 ところで自分への「セルフケア」ってどんなことだろう。 例えば、身体が冷えそうなら、温める食材をとったり、座りっぱなしで疲れていそうなら軽く肩や腰を回したり、心が疲れていたらアロマを焚いたり。 簡単にいうと、「今の状態を見て、よいことや合うことを自分にしてあげ

          「なにもしない」というギフト

          「しあわせだなあ」と言うひと

          「ああ、しあわせだなあ」と言うひとがいる。ちなみによく言う。 目を閉じて、噛みしめるように、ときには溜息まじりで。使える感覚の全てで『心底しあわせだ』とでも発するように。 正直、大げさな人だなあと思っていた。 『幸せ』という言葉は自分にとって少し遠い言葉で、『憧れ』に近いものがある。どこかで、気軽に口にする言葉ではないと思っている節があった。 だから、そばで聞いていて少し気恥ずかしさを覚えた。 そんなことはお構いなしに、そのひとは「しあわせ」を噛みしめる。こんなことで? 

          「しあわせだなあ」と言うひと

          ニュートラルがいい

          お天気でいうと、ニュートラルは「曇り空」だと思う。 「心」のことを思うと、それこそきらきらの晴れ空がいいと思う人が多いだろうし、よく分かる。それに日によっては、どうしても晴れがいいときもある。 ところで、曇り空ってどんなイメージだろう。 どんより、灰色、暗い、湿っている……浮かぶのは地味な印象ばかり。わたしも昔はそういうイメージしか持てずに、むしろ曇りはきらいだった。 ある日ふと 「曇り空の日は、世界が正しい色で見えるのかもしれない」 と思い、そこからイメージが変わった

          ニュートラルがいい

          謙虚が癖になる

          「そういうところいいね」と言ってくれた人に、「そんなことないです」と答えるのって、よく考えたらやっぱりすごく失礼なことかもしれない。 やさしい気持ちだったり、気遣いだったり、何にしても褒めてもらうことは心をもらうこと。それをはねのけてしまうのは、謙虚とは違う。 なんなら、やわらかなふりをした傲慢かもしれない。 傲慢なのは、いやだ。 でも、謙虚が癖になる時期ってどうしてもある。たぶん誰にでも。 相手の心とは、そういう時期をこえて受け取ることができるようになる、重みのあるも

          謙虚が癖になる

          noteはじめました

          note、静かに始動します。 ゆるりと続けていけたらと思っています。 タイトル、名前、プロフ画などはしばらく(仮)で続けるつもり。 やりながらスタイルが出来てくると思います。 ……という具合で、心意気もゆるり。 よろしくお願いします。

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