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今月今夜のこの月を 尾崎紅葉『金色夜叉』 【青空文庫を読む】

 昔、母が祖母を連れて東京に遊びに来ることになった時、途中で熱海に一泊すると言うんですね。
 今の熱海は高級旅館やレジャー施設もできて、魅力的な温泉街になっていますが、その頃は何となくうらぶれ感がありました(ウィキによると、熱海市を訪れる観光客が増加に転じたのは、ここ十年ほどのことらしい)。途中で寄るなら、伊豆の方がいいのにと勧めると、母の答えは「おばあちゃんが、寛一お宮の像を見たがってんねん」。

 寛一お宮? その時、彼らが『金色夜叉』の登場人物だと知っていたのか、どうか。熱海にそんな像があるのは、間違いなく知りませんでした。『君の名は』(昔のラジオドラマ。『君の名は。』とは多分関係ない)や『人生劇場』などとごっちゃになって、どれがどれだかわからない状態でしたが、母に話を聞いて「恋より金を選ぶ女の話」らしいと理解しました。金を選んだ女に男が別れを告げるのが、熱海の海岸だということも(カバー写真は、熱海の海岸にある寛一お宮の像)。

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 『金色夜叉』の作者、尾崎紅葉は慶応3年の生まれです。慶応3年は文豪の当たり年で、紅葉以外にも夏目漱石・正岡子規・幸田露伴などが生まれています。漱石がわりとスロースターターなんですね、デビュー作の『吾輩は猫である』を書いた時には、親友の子規も紅葉も既に亡くなっていますから。

 二十五歳で代表作の『五重塔』を書いた露伴と、二十九歳で『金色夜叉』を書いた紅葉は、早熟の天才だったのでしょう。二人が活躍した明治二十年代を「紅露時代」と呼ぶそうです。
 もっとも、若いうちに活躍して、言文一致体が普及する前に亡くなってしまったので、現代の読者には『金色夜叉』を始めとする紅葉の小説は読みづらい。
 大正生まれの祖母が擬古文で書かれた『金色夜叉』を読めたのか不明ですが、そもそも祖母が読書をしていた覚えがないので、多分、映画かドラマで『金色夜叉』を観たのだと思います。ウィキに出ているだけでも、映画21本とTVドラマ8本があるようです(続編は除く)。特に1920年代〜日中戦争開始までは、一年に一本ぐらいのペースで映画が撮られています。無声映画の頃…しかも、最初の頃の作品では、女形俳優がお宮を演じているみたい(まだ、女優さんがいない時代だったのか?)。戦後は映画からTVに移り、1960年代には4本のドラマが撮られています。
 戦前のベストセラーというだけでなく、高度成長期に至るまで、人気の高いコンテンツだったんですね。

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 金色夜叉は、1897〜読売新聞に連載された小説です。あまりにも人気だったため、次々に続編が書かれますが、作者の死により、未完に終わりました。未完で終わる上に、読み続けても主人公二人のヨリが戻るわけでもなさそうなので、前編・中編・後編・続金色夜叉・続続金色夜叉・新続金色夜叉とあるうちの、前編だけを読むことにしました。前編のあらすじをウィキから借りると。

高等中学生の秀才間貫一と、寄寓先の鴫沢の美しい娘宮は許婚どうし。みなからその未来を羨望されている。宮は、銀行頭取の息子富山唯継にかるた会でみそめられ、美貌におごり、金に憧れ、求婚に応じて許婚をすてる。貫一は悲憤して、熱海の海岸で「一生を通して、一月十七日は僕の涙で必ず月を曇らして見せる。月が曇ったらば、貫一は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ」と言葉を投げて宮と別れ、学業を廃して、行方をくらます。

Wikipediaより

 熱愛中の二人が親の意向か何かで引き裂かれてしまうのかなと思っていたのですが、そういうわけではないんですね。保護者のいない寛一は、鴫沢の家に引き取られて育つ。非常に優秀で性格も良かったので、これなら娘の宮の婿として鴫沢家の戸主になってもらいたいと、宮の親たちが考えたようなのです(鴫沢家には、息子がいない)。二人の会話などを読んでも、友達、または兄妹という感じで、宮の方には恋愛感情はなさそうです。
 とはいえ、当時の感覚では許婚(婚約)の間柄なら、他の男に乗り換えるなんて許されざる行為だったのでしょうか。
 宮を略奪する富山の方は器量好みだったので、カルタ会で目をつけた宮との結婚を望む。この「金持ちが、少し身分の劣る家から美人を迎える」という形の結婚は、確か夏目漱石の『明暗』でも、主人公の妹が宮と同じ立場でした。当時の富裕層は家事使用人がいるので、妻に家事力を求めなくていいし、恋愛がしたければ、芸者遊びがある。ということで、自分の財力を人に見せつけるために、美貌の妻を求めたのかもしれません。
 宮はそれほど迷うことなく、富山の申し出を受け入れます。宮の家は裕福ではありませんでしたが、貧乏でもない。また、寛一も一高の学生なので、将来はエリートコースを歩むことが決まっていました。なので、宮は貧乏に耐えかねて、金持ちを選んだわけでもないし、寛一と一緒になれば、貧乏になってしまうわけでもない。
 特に寛一を愛していなかったとしても、あっさりお金を選ぶなんて、浅はかな娘だと今の感覚では思ってしまいますが、当時は、貧富の差が今の比ではないだけでなく、セーフティーネットが一切ない社会ですから、一度失敗すれば、すぐどん底に落ちてしまいます(例えば、東京府の役人の娘として生まれた樋口一葉は、父の事業失敗などで極貧に陥った)。そんな中で、寛一との未来よりも、豊かな富という現実を選んでしまったのか…。単に、富山の指に光る大きなダイヤモンドに目がくらんだだけかもしれませんが。
 祖母のように『金色夜叉』の映画やドラマに夢中になった人たちは、どこに感動したのだろう。さすがに、映像作品ではお宮の家がもっと貧しく、親の「金持ちと結婚しろ」圧ももっと強く描かれているのかな。

「吁、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。(中略)一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」

『金色夜叉』より

 これが寛一の有名なセリフ。この後、お宮を足蹴にして去る。これにみんな感動していたとは。

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