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[読書エッセイ] 近くて遠い作家だった村上春樹さん 前篇

 大学一年の時、語学のクラスで一緒だった子が、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を薦めてくれた。
 誰かに本を薦める、または薦めてもらうなどということがあったのは、大学時代だけだ。社会人になってからは、そもそも身近に小説を読んでいる人がいない。いや、読んでいるのかもしれないけど、お互いそんな素振りは見せない。
 しかし、大学時代にはそれが特別なことだとも思わずに、さほど親しくもない相手とも本の話をしていた。

 私自身、ゼミで一緒だった男子にサリンジャーの「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」を薦めたらしい。らしいというのは、自分では覚えていないからだ。サリンジャーは好きだが、『ナイン・ストーリーズ』や「フラニー」の方がより好きだし、「大工よ」は一応独立した作品ではあるものの、それ以前に書かれた作品と話がつながっているので、サリンジャー未体験の相手に薦めるにはふさわしくない。
 もしかすると「主人公が自殺したり、失神したりする小説を薦めるなんて、イタい奴と思われるのでは?」と逡巡した挙句、ストーリー的には穏やかな「大工よ」を薦めたのかもしれない。
 いずれにしても、私の方ではそんな話をしたことさえ忘れていたから、しばらく経ってその男子が「あの小説、良かったよ!!!」と感激した口調で電話をかけてきた時には、ちょっと驚いた。彼は欧米のアート系映画(カンヌで賞を獲るような)が好きだった。そして、お気に入りの映画の一つに、「大工よ」の引用があったのだという。
「それが引用だってことも知らなかったんだけどさ、いやー、これ、絶対、監督の愛読書だよ! 教えてくれてありがとう!」
 そう熱っぽく語っていた。

 「好きな小説がきっかけで誰かと急接近❤️」というのは、小説好きが一度は夢見るシチュエーションではないだろうか。まだ三冊しか読んでいないのだが、村上春樹さんの小説にも、『グレート・ギャツビイ』がきっかけで友達になるとか(これは多分サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』へのオマージュ)、お互いディケンズの『荒涼館』を読んでいたのがきっかけで話をするようになる、といったエピソードがあった。
 しかし、あの時、薦めた本を異性が気に入ってくれても、特に何とも思わなかった。若い頃というのは、他愛もなく感動するかと思えば、稀な事柄を平然と受け流したりもして、今思うと自分の歪さが哀しい。
 もっとも、知人が薦めてくれた映画のタイトルをAmazonで調べて即レンタルできる今とは違い、当時は、古い映画を観るにはレンタル店に行く必要があった。というか、私の場合、家にTVがないので、上映中の映画以外を観る手段がない(たまに友達の家で観るぐらいだ)。同じゼミに寅さんマニアの男子がいて、誰彼構わず寅さんシリーズを押し貸ししていた。私にも《男はつらいよ 寅次郎相合い傘》を貸してくれようとしたので、TVがない旨話すと、「平助んち、TVないんだってよ」と教室で触れ回られた(当時は、新選組のマイナー隊士、藤堂平助が好きなことから平助と呼ばれていたのだ)。それを聞いている筈なのに、こちらが観るあてもない大昔のアート映画の話を延々とするなんて‥‥とむしろ、苛立ったほどだ。
 それでなくても、当時の私は自分が好きな小説に感動してくれる相手より、自分が知らない世界を教えてくれる相手に憧れていたのだと思う。現国の授業で読んでさっぱり理解できなかった浅田彰の『逃走論』について、「あれは予言の書なんだよ」と説明してくれた男子を好きになりさえした(やれやれ)。

 話がズレたが、級友に薦めてもらってすぐ、『ノルウェイの森』を買った。
 大学に入るまで、現代小説を読んだことがなかった。小遣いが少なかったので本に回すお金がなく、学校の図書室にある古い小説を読み漁っていたからだ。1919年生まれのサリンジャーが、私にとって最も新しい作家だったのだ。
 だから、大学生になり多少お金に余裕ができると、人に薦められるままに現代小説を買った。村上龍、田中康夫、山田詠美、池澤夏樹。どれも古典小説とは違った良さがあったので、『ノルウェイの森』もすぐ買う気になった。むしろ、相当乗り気だった。何しろ、ビートルズの曲が題名だ。私にとってビートルズは好きなアーティストというより、恩人なのだ。ラジオでビートルズの〈ゲット・バック〉を聴いて覚醒したおかげで、例えば、親元を離れて東京の大学に通う勇気を持てたのだから。

 それに、題名だけで読む気になったので、詳しい話を聞きそびれたが、あの級友は『ノルウェイの森』が私達にとって特別な作品だと言いたかったのかもしれない。
 時代は違うが、私達は主人公のワタナベと同い年で、同じ場所にいた。小説に描かれる情景は、馴染のある場所ばかりだった。自伝的要素がどの程度あるのかはわからないが、作者もかつて、私達と同じ場所にいたのは確かだ。そんな読書体験ができるのは、稀有なことに違いない。

 それなのに、私は『ノルウェイの森』に感動できなかった。この人の小説はもう読めないと感じた。村上春樹さんが近くて遠い作家になった瞬間だった。
                   多分、つづく

 
 
 
 
 


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