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森鷗外の最高傑作『渋江抽斎』 その1 【読書感想文】

 『渋江抽斎』は、1916年の1月から5月にかけて新聞に連載された小説です。江戸末期に活躍した津軽藩の藩医にして書誌学者でもある渋江抽斎の生涯を描いた史伝小説ーー小説の雰囲気としては、現代の歴史小説家だと、吉村昭さんの作品に似ているかな。ただ、吉村さんの場合、抽斎の同時代人を取り上げるにしても、高野長英・川路聖謨・松本良順etc歴史に名を残した人たちを選んでいます。吉村さんの小説に限らず、歴史小説≒有名人が主人公というイメージが強く、無名人(架空の人物である場合も)が主人公だとしても、彼らを通して歴史上の重要事件や有名人を描く形が多いですよね(司馬遼太郎さんの『十一番目の志士』のように)。

 抽斎は、一応ウィキや人名辞典にも載っていますが、鷗外が取り上げたために有名になったのでしょう。江戸末期という激動の時代を描いた小説なのに、歴史的な事件は安政の大地震と戊辰戦争しか出てきませんし、抽斎が贔屓にしていた七代目市川團十郎を除くと、有名人の名前も登場しません。
 私自身、名前を聞いたこともない人、漢方医・書誌学者というどんな職業なのかもよくわからない人の話なんて面白いのかなぁと思っていたのですが、今では、森鷗外の小説の中でも、別格の作品だと考えています。

 小説を読む時に何を重視するかは人それぞれだと思いますが、私の場合は、登場人物に注目して読むことが多いです。若い頃から濃い人間関係が苦手だったので、読書を通じて様々な人たちと出会いたいのかもしれません。
 でも、小説の中には、登場人物への興味や共感といった次元を超えて、新しい世界を教えてくれる作品があるんですね。その物語と出会ったことにより、私自身の世界が広がるような小説とでもいうのでしょうか。フォークナー、ガルシア=マルケス、ドストエフスキーなどの小説。例えば、ドストエフスキーとよく比較されるトルストイの小説は、読むたびに登場人物たちの新たな側面を発見できます。人への理解が深まることで、日々の生活をより色鮮やかなものにしてくれる作品です。それに対して、ドストエフスキーを読むと、世界そのものの幅が広がる気がするんですね(ドストエフスキーがトルストイより優れた作家だと言いたいわけではありません。ジョン・レノンとポールのように、タイプが違うだけです)。

 『渋江抽斎』も、新しい世界を教えてくれた小説です。といっても、ドストエフスキーなどの小説世界が、現実の世界とリンクはしながらも、作者の想像の産物であるのとは違い、『渋江抽斎』は、基本的には「歴史其儘」です。

 歴史小説を書き始めるにあたり、鷗外は史料の中に現れる自然を尊重したいと考えて、過去の出来事をありのままに書こうとします(随筆『歴史其儘と歴史離れ』より)。ただし、大塩平八郎の乱や堺事件のような歴史上に残る出来事の場合、鷗外が参照した史料自体にバイアスがかかっていますから、それをもとにした小説も、鷗外の意図とは違って、「歴史其儘」ではなく、「史料作成者の意見其儘」になっています(私は、大学で日本史を学んだので、こういうタイプの小説にはシビアな評価をしてしまいます)。

 ところが、この「歴史其儘」という鷗外の創作哲学は、『渋江抽斎』を始めとする史伝小説とは非常に相性がいいんですね。鷗外は、抽斎を始めとする渋江家の人たちに愛情と敬意を示しながらも、作中人物と距離を置き、客観的な描写を心がけています。むしろ、あまりにも淡々とした文章が続くので、初めて読んだ時にはとっつきにくく感じたほどです。『渋江抽斎』の続編である『伊澤蘭軒』は読まずに済まそうかとも考えました(蘭軒は、抽斎の医学の師匠)。ところが、『伊澤蘭軒』を読み進め、作中に出てくる人名や事件について調べるうちに、抽斎や蘭軒を始めとする登場人物が、私の中で圧倒的な現実感を持ち始めたのです。「日本にこんな時代があったのか。文化的・精神的に、これほど豊かな時を生きた人たちがいたのか」という感慨を覚えました。そして、その感覚を補完するために、ほぼ同時代を舞台にしている中村真一郎さんの『頼山陽とその時代』を読んだり、抽斎の同時代人である渡辺崋山の絵を見学したりするうちに、江戸時代後期という時代を自分につながるものとして受けとめることができるようになったのです。

 小説を読むのに色々調べたりするのは面倒だと思われるかもしれませんが、岩波文庫版の『渋江抽斎』には注釈や解説も載っているので、それを参照しつつ、気になる用語や固有名詞をネットで調べていけば、作品の世界に入り込みやすいと思います。

 『渋江抽斎』については、もう少し書きたいので、二度に分けることにします。
 

*渋江抽斎は、家禄三百石以外に役料として二十五人扶持を得ています。それだけでも津軽藩十万石の家中ではかなり裕福な家だと思うのですが、それ以外にも、藩の秘薬である「一粒金丹」を売って、月百両の利益を得ていたと書いてありました。百両といえば、低く見積もっても今のお金で数百万円。そんなに儲かる薬って? と調べてみると、この薬の主成分はアヘン…。津軽藩内の弘前周辺ではケシの栽培が行われていたのだとか。国内でアヘン製造を行なっていたのはどうやら津軽藩だけらしく、そりゃ、アヘン入りなら、疲労回復などには効いたでしょうが、藩の医者が麻薬を売って利益を得ているというのも、なんかすごいですね。



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