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谷崎潤一郎『細雪』 時代の変化で読み方も変わる 【読書感想文】

 今、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでいる。ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』とともに、学生時代に繰り返し読んだ作品だ。あまりに何度も読みすぎたので、その後は手に取ることもなくなっていた。
 ところが、先日noteでフォローしている方が谷崎の『吉野葛』を紹介していらしてーーこれも大好きな作品なので、青空文庫で再読してみた。一度谷崎の世界に入ると、とまらなくなり、青空文庫にある作品を次々に拾い読みして、『細雪』にたどり着いた。

 『細雪』と『高慢と偏見』はどちらも、気軽に読める作品だ。気分が乗らない時や今のように暑さで思考力が低下している時でも、楽しめる。多分、文学全集に入っている小説の中で最も読みやすい部類に属するだろう。私が女だから特にそう感じるのかもしれないが、小説が苦手な夫もこの二作は完読している。

 若い娘の婚活が話の柱になっているのも、この二作品の共通点。その割に、恋愛小説を読んだ気がしないのも。
 『細雪』の世界では見合い結婚がデフォルトで、感情任せの恋愛はむしろ醜いものと見なされている。身分違いの恋愛などしようものなら、世界が崩壊したかのような騒ぎになってしまう。
 『高慢と偏見』の方も、ラブコメの古典と呼ばれている割に、夢見る少女が憧れる、情熱に満ちた愛や恋は見当たらない。不自由なく暮らしていけるだけの金があり、親や世間が認める相手なら、恋愛してもいいですよという世界なのだ。
 
 この二つの作品を、体裁や世間体ばかり気にする小市民のための小説だと感じる人もいるに違いない。
 でも、十代の私には、『細雪』と『高慢と偏見』は世界をありのままに写した小説に思えた。
 もちろん、『細雪』でさえも大昔の話だし、身分や暮らしぶりも、我が家とは全く違う。小説に出てくる綺麗で魅力的な娘達も、私とは共通点がほぼなかった。それなのに、小説の中の人々に親近感を覚えた。違う世界に暮らしていても、外側のあれやこれやは異なっていても、結局のところ、一皮剥けば人の本質は変わらない。そんな風に感じさせる作品だった。

 こどもの頃から夏目漱石が好きだったが、ジェーン・オースティンを評価していると知って、更に好感度が増した。最晩年に唱えた「則天去私」を表す作家として名前を挙げるほど、漱石はオースティンを評価していたのだ。

Jane Austenは写実の泰斗(大家)なり。平凡にして活躍せる文学を草して技神に入る。

夏目漱石『文学論』

 そして、谷崎潤一郎を「写実の大家」だと言えば笑われそうだけど、『細雪』にはこの言葉が当てはまるのではないだろうか。平凡な人々の平凡な暮らしの描写が文庫本三冊分延々と続くのに、全く退屈しないのだから。

 前置きが長くなってしまったけど、今回は、昔、あれほど繰り返し読んだ作品なのに、『細雪』の中に、全く印象に残らず、記憶にもない場面があったという話をするつもりだった。

 中巻に書かれる「阪神大水害」がその箇所だ。ーーWikipediaによると「阪神大水害は、1938(昭和13)年7月3日から7月5日にかけて、神戸市及び阪神地区で発生した水害」とのことで、梅雨時期の大豪雨で複数の河川が氾濫し、土石流による土砂災害も起きたという。神戸市の被害が最も大きかったが、作品の主な舞台である芦屋付近でも38人が亡くなり、家屋の全壊が253戸、半壊932戸、浸水家屋は22124戸に及んだ。
 作中では、主要な登場人物の一人が土石流に巻き込まれて、間一髪で家の屋根に逃げる様子が詳しく描写されているし、もう一人も、彼女の救出に向かう途中で洪水に道を阻まれ、電車の車両に逃げて、一命をとりとめている。
 谷崎本人に起きた話か、または実際に被災した人に相当詳しく話を聞いたとしか思えない、迫力のある災害譚だ。
 多分、今初めて『細雪』を読む人は、水や土砂が家に流れ込む様や山津波の描写に釘付けになるだろう。あまりにも臨場感があるので、水関連で怖い思いをした人は、読まない方がいいと思ってしまうほどだ。

 そんなシーンなのに、全く記憶に残っていなかったのは、当時の私にとって、「市街地を襲う水害」が完全に過去の出来事だったからだ。治水事業により、日本が水害に打ち勝ったと信じていた。『細雪』の描写を読んでも、「昔の人は大変だったんだなー」と軽く流していたに違いない。

 当時、夕立はあったが、ゲリラ豪雨とか線上降水帯といった概念はなかった。中高六年間淀川を渡って通学していたが、増水で電車が止まったことは一度もない。台風にしても、主に沖縄や九州にだけ関係する災害だと思っていた。年間降水量は今とさほど変わらないかもしれないが、一度に降る雨の量は、そこまで多くなかった。

 社会人になり、増水で電車が止まったり、近所の地下駐車場が浸水して車が全部ダメになったりといったことが続き、雨の降り方が変わったと感じるようになった。ただし、その頃はそうした現象は「異常気象」と呼ばれて、一時的なものだとみなされていたと思う。
 でも、今の日本では、「異常気象」という言葉はあまり見かけない。それが常態になったからだ。「市街地を襲う水害」は数年おきに発生している。『細雪』で描かれる水害を、昔話として読めた時代は終わってしまった。

  今回は、時代の変化によって読み方が変わった話を書きました。次回は、個人の体験によって読み方が変わった話を、夏目漱石の『行人』を例に挙げて書いてみたいと思います。

 
 
 
 
 
 


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