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ミシェル・ウエルベック『セロトニン』を読む 予言の書or中年男の愚痴垂れ流し?

 ミシェル・ウエルベックは、小説『服従』が2015年に起きたシャルリー・エブド襲撃事件(風刺新聞の編集者等12人が殺されたテロ事件)を予言したとして、日本でも有名になったフランス人作家です。

 『セロトニン』も、予言の書だと言われています。反政府デモ「黄色いベスト運動」を予言する話があるからです。ウィキによると、このデモには農村や都市周辺部の住民が参加して、燃料税の削減や最低賃金の引き上げ等を求めているとのことです。

 確かに小説内では、農民の抗議運動が描かれます。フランスといえば、農業国のイメージが強く、日本などと比べても農業や農民が保護されていると思っていたのですが、今ではEU内でも、世界的にも他国との競争に負け、農家の暮らしは非常に厳しいようです。生物学系の最高学府を卒業し、長年農業関係の仕事をしてきた主人公は、自国の農業の状況を憂い、自分が何もできないことに対して非常に苦しみます。

 ただ、正直なところ、現実世界の反映という意味では、小説に書かれたエピソードは、予言とまでは言えないと思います。抗議の規模や内容がかなり違いますし、いつもどこかでデモや抗議運動が起きている国ですから、それを小説に取り入れても、予言にはあたらないでしょう。

 フランスという国を支えてきた農家という職業が衰え、農家を支えるはずの自分の仕事が無意味であると自覚すること--それが、主人公の苦しみにつながっているのは確かですが。

 一方では、若い彼女との関係がうまくいかなくなり、生物学的な意味での男としての能力に自信が持てなくなる。
 同時に、職業人としても、ポジティブなことは何一つできず、抜け殻でしかない。公私共に崖っぷちにいる主人公の私小説と考えて読んだ方がよさそうです。

 未来が見えない状況で主人公は仕事を辞め、彼女と住んでいたマンションも解約して、彷徨の旅に出るのです。
 過去を思い出し、時には過去の交際相手や友人と会う。しかし、心は晴れない。投げやりで澱んだ主人公の自分語りが延々と続く小説です。

 現実の社会に踏み出せない男性、モラトリアムを過ごす男性の自分語り小説も多いですが、個人的には、現実世界に何とか適応し、世間的に見れば恵まれた人生を送っているようにも見えるのに、心に鬱屈を抱えた男性の話の方が好きです。 

 モラトリアム男性の場合は、一歩足を踏み出してみるという形で状況を変えることもできますが、この小説の主人公のような男たちには、現実の世界でも、精神的な意味でも逃げ場がありません。
 白人男性として、これまで優雅なエリート人生を送ってきたんだから、それで充分でしょうと端からは言いたくなるかもしれませんが、彼らにとっては、悩みはどこまでも深いのです。

 四十代後半の独身男性。村上春樹の短編小説「独立器官」を思い出しました。日本とフランス、国は違えど、あの短編小説に登場する男と、『セロトニン』の主人公には、響き合う部分がある気がします。贅沢な悩みといえば、その通りなのですが。日本では、四十代後半になっても恋愛の当事者である人はそんなにいないでしょうし、氷河期世代ゆえに、仕事のやりがいを感じるどころか、生きていくのに必死という人も多いと思うので。彼らには、仕事を辞めて、昔の恋人を訪ね歩く生活なんて、想像もできないでしょう。
 生きていくのに必死でものを考える余裕もない生活と、考えすぎて身動きが取れなくなってしまう生活、どちらが大変という話でもないのですが。
 女である私は、主人公の暴言や身勝手な思考に呆れつつも、なぜか自分のことのように思えてしまう部分もあり、主人公の歪んだ自分語りに浸るひとときを過ごしました。
 

 


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