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夏目漱石「吾輩は猫である」 文学散歩 羽二重団子篇
森鷗外の魅力を伝えたくて、noteに参加したというと、筋金入りの鷗外ファン? と思われそうですよね。でも、今年、没後100年のメモリアルイヤーを期に鷗外の小説を読んでみたところ、予想外に面白かったので、それを誰かに伝えたくなっただけです。
とても有名な割に、鴎外にはファンが少なそうなので。ネットで検索しても、鷗外の作品について書いているのは、文学部の教員や学生さんがほとんど。
それに比べると、夏目漱石については色んな人が色んな視点で書いていて、みんなに愛されている国民作家なのだなと感じます。
私も漱石は大好きなので、今回は「吾輩は猫である」について書いてみます。といっても、真正面から感想を書いている鷗外の作品とは違って、ちょっと斜めから。
「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云う。(中略)行き当りばったりの多々良君は無論逡巡する訳がない。
「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮ってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱へ下りる。
これは、苦沙味宅に泥棒が入った翌日の話です。苦沙味先生が訪ねて来た多々良三平君を散歩に誘うシーン。小学生の頃から「芋坂の団子って何だろう」とすごく気になっていたので、上京した後で友達にそれを話すと、「日暮里にある羽二重団子のことだよ」と教えてくれました。日暮の里と書いて「にっぽり」と読むとその時知りました。吾輩の時代には日暮里村といって東京の郊外だったので、名前の通り趣のある場所だったのでしょう。
JR日暮里駅の南改札を出て、駅前の道を上野方面に数分歩くと、店に到着しました。「芋坂も団子も月のゆかりかな」という正岡子規の句碑が店の前にありました。猫の吾輩が生まれる二年前まで、子規はこの店から数分のところに住んでいたのです(現在の子規庵です)。
店の横手にも道があり、それが芋坂。苦沙宅(「吾輩」執筆時の漱石の家)からは芋坂経由で店まで徒歩二十五分…というのがGoogleの計測ですが、アップダウンが多いので、もう少しかかる気がします。あまり活動的には見えない苦沙味先生ですが、結構健脚だったようです。
さて、羽二重団子という店名ですが、関西出身なので、福井土産によくもらう羽二重餅に似ているのかな? と想像していました。でも、実際には円盤状の団子を四つ串に刺したもので、こし餡と醤油、二種類ありました。多々良君は「安い」と言っていますが、贈答品に相応しい価格になっています。その分、こし餡のなめらかな食感も醤油の香ばしさも、普通の串団子とは一味違うものでしたが。団子のきめ細かさが羽二重という名前の由来ということなので、まさにその名前通りの味わいでした。
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今では日暮里駅内のエキナカ施設、エキュート日暮里に羽二重団子のショップがあるので、改札を出なくても団子を買うことができます。このショップには団子二つのミニ串があるので、自分用にも買いやすいです。
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あまり良い写真ではないのですが、上が羽二重団子の醤油味、下がしづくあんという団子です。苦沙味先生は甘党なので、こし餡団子を食べたのでしょうか。
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