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【創作】赤い傘と別れの季節 #シロクマ文芸部

 赤い傘を買った。確か、ヴィクトリアン風の淑女が描かれた傘だった。青やベージュの地味な傘ばかり持っていた私が赤い傘を買う気になったのは、気分が高揚していたせいだろう。
 薫が一浪の末、大学に合格した。良かったね、薫。長く苦しい道のりだったね。おめでとう。傘を選びながら、心の中で薫にそう呼びかけた。

    *

 目先の楽しさばかり追っていた私たちが変わったのは高二の夏だった。
 私たちというのは、中堅女子大の付属校に通う私と光留、由美、それから、お金持ちのお坊ちゃんが多い中高一貫男子校に通う宮地薫と坂脇通雄、大村剛の六人だ。男子三人が組んでいた音楽バンドに女子三人が加わり、週に二、三度一緒に練習するようになった。私と薫、光留と坂脇君、由美と大村君が付き合っていたが、別々に行動するよりは、六人一緒に過ごす方が多かった。

 私たちが変わったのは、ある日突然、大村剛が消えたからだ。剛の父親が経営する会社が潰れて、家族で夜逃げしたのだ。
 十数年後、光留の夫も、会社を潰して夜逃げする。でも、あの時は、光留も金策に走り回っていたし、小学校低学年だった娘の朱莉ちゃんまで「お父さんの会社、潰れちゃうのかな?」と事態を理解していた。
 でも、剛はいなくなる前日も、普段通りだった。何も知らなかったのか、隠していたのかはわからない。数日前に薫と坂脇君が自宅を訪ねた時には、母親がホテルメイドのケーキでもてなしてくれたって。
 剛の父親は、その週のロータリークラブの会合にも出席したそうだ。

 だから、剛の失踪は青天の霹靂だった。最初はわけもわからずに泣き、父親が借金まみれだったと聞いた後は何も知らずにいた自分たちを責めて泣いた。剛と付き合っていた由美は食事を摂れなくなり、男子が人前で涙を見せるのが珍しかったあの時代に、薫と坂脇君は声を出して泣いた。
 バンドの練習場だった坂脇邸の地下室に集まっても、何か演奏するどころか、音楽を聴くことさえできなかった。
「剛、今どこにいるんだろ」
「また、どこかで会えるよね」
「そのうち、ひょっこり現れるさ」
 そんなことを言い合ううちに由美か光留が泣き出し、それに釣られてみんなで泣く。その繰り返しだった。

 半月ほど経った時、坂脇君のお父さんが地下室に来て、私たちに語った。多分、友を失い泣く若者にかける言葉に独創性は必要ない。その人もかつて同じ苦しみを味わったのだとわかれば、素直に耳を傾ける気になれる。当時父親と仲違いしていた坂脇君さえ、皮肉なコメントも挟まずに父親の話を聞いた。ーー煎じ詰めれば、「さよならだけが人生だ」という意味の話を。
 
「おそらく、君らは二度と大村君には会えない。少なくとも、この地下室に大村君が現れて、『久しぶりだな』と笑うなんてことは絶対にないだろう。だが、君らには君らの人生があり、大村君もーー彼がどこかで、新しい生活を始めつつあると信じようじゃないか。想像もしなかった人生だけど、大村君はその人生を受け入れて生きるしかない。君らも同じだ。大村君のいない人生を受け入れて、前に進むんだ。手持ちのカードで勝負するしかないんだよ」

 坂脇君のお父さんは最後にそう語り、五人の若者と視線を交わした。

    *

 私と光留は現実を受け入れ、理解した。この世界は、想像していたよりも過酷な場所なのだと。
 今振り返れば、私たちが中学に入学した時には既にバブルが弾け、不況が始まっていたのだが、私たちはそれを知らずにいた。バンドの練習とおしゃべりに明け暮れ、未来のことなど考えたこともなかった。
 学校では、バブル期に就職した先輩たちのはなやかな逸話が話題になったものだ。証券会社に就職して、父親を凌ぐほどのボーナスをもらった、とか、メーカーの新人研修でフロリダのディズニーワールドに行った、などという話がそこら中に転がっていた。

「そんな時代はもう終わったんだよ。企業の倒産が増えてるって新聞に書いてあった。剛のところだけじゃないんだね」

 光留がそう言うと、私もうなずいて応じた。

「勉強もせずに遊んでばかりで、私たち、社会を舐めてたよね。剛は、私たちと違って、バンドやっても真面目に勉強もして、あんなに成績良かったのに……」

 剛の分まで勉強しなければと思った、なんて文字にしてみると、ずいぶん短絡的な思考だけど、あの時、私と光留は本気でそう考えて、勉強に身を入れるようになった。
 坂脇君も。彼の場合は、父親の話が響いたためでもある。父親が嫌いで、父親の会社を継ぎたくなくて、音楽ばかりやっていたけど、あの時、父親が私たちに本音で話していること、そして、その本音が父親の人生経験に裏打ちされたものであることがわかったのだと思う。
 地下室でバンドの練習をする代わりに、勉強をするようになった。東大を目指すと宣言した坂脇君に釣られて私と光留も受験を意識して、系列女子大への推薦は受けないと決めた。

 でも、由美と薫は、坂脇君のお父さんの話を理解はしたが、前を向くことはできなかった。
 由美にとって剛は彼氏だから、事情が違う。そして、薫は芸術家肌の繊細な少年だった。剛とは中学受験塾以来の仲だったし、穏やかな性格だった剛は、気分の波が激しい薫を支えた。二人は、剛の不在を常に意識し、時に乗り越えたように見えても、すぐに揺り戻しがきた。
 由美は、自分の世界に閉じこもるようになった。一緒にいても、由美の心がここにないのがわかった。
 薫は、私や坂脇君を真似て勉強しようとするのだが、すぐに気を散らして、中原中也やボードレールの詩を口ずさんだ。彼らの詩に影響を受けた歌詞を書き、フォークギターを爪弾いては、自作のメロディーに乗せた。
 
 私と光留は由美を心配した。鬱とか、少なくとも、拒食症と名前がつく状態に思えたからだ。由美の母親がもう少しフレンドリーな人なら、話をしてみたかもしれない。
 でも、薫の心配はしなかった。薫が剛を忘れられないのはわかったが、それはそれとして普通に話もできるし、芸術活動さえできている。勉強が手につかなくても、別にいいじゃんと思った。本当のところ、やましくもあったのだ。剛の分までと言いながら、勉強している自分たちが。友だちの失踪を養分にして、自分の人生を肥え太らせている。偽善者だよね、私たち。そんな気持ちがあったから、剛を忘れず、中原中也を暗唱する薫が眩しかった。

 でも、現実は、拒食症の由美よりも、薫に厳しかった。
 系列の女子大には、家政学部があった。付属校では、成績や素行の悪い生徒は、みんなそこへ行く(受験で家政学部に入った皆さん、ごめんなさい)。由美も早々と家政学部進学が決まったので、親が敷いたレールの上を歩けた。
 薫たちの学校は自由な校風だった。受験指導はなく、生徒は部活や趣味に打ち込む。とはいえ、水面下ではみんな多少は勉強していたはずだ。東大合格者こそ数えるほどしかいないが、六大学以上に行くのが当たり前という学校だったから。
 もっと厳しい校風なら、薫は否応なく受験勉強に追い立てられたかもしれない。でも、あの環境では、誰も勉強しろとは言わなかった。勉強しろとは言われないのに、受験で結果を出すことは求められる。薫の親も、息子が一流大学に進むものだと信じきっていた。今のままではいけない、と薫が思っているのがわかった。前に進まないと。勉強するんだ。でも、駄目だった。授業にも身が入らず、成績は下がる一方だった。

 とはいえ、今とは違い、特に男子の場合は、モラトリアム期間を肯定するような気分がまだ残る時代だった。薫と坂脇君は揃って浪人生活に入った。
 私と光留は、大学に通い始めた。授業とバイトとサークル、その合間を縫って、予備校のある代々木付近で薫と散歩した。勉強に付き合うこともあったし、焦燥感に駆られる薫を励ましもした。
 大学の最初の年ーー人生最大のモテ期とも呼ばれる時期に、私はまわりの男子には見向きもせずに、薫のことばかり考えて過ごした。あの忠誠心を思い出すたび、不思議な気分になる。自分のどこに、あんな強い気持ちがあったのだろう。

 薫は、もともと感情の波が激しい性格だったが、剛の失踪以降、その波が彼の全生活を呑み込むようになった。成績も、感情の波にあわせて乱高下した。調子が良い時は東大模試で成績優秀者リストに名を連ねたが、悪い時は、明治や中央の合格ラインにも届かなかった。
 今思えば、あれだけの才能に恵まれていたのだから、ミュージシャンを目指す道もあったと思うのだが、浪人生活を始めるにあたり、薫は音楽と読書を封印した。勉強での結果を出さずして、他の道に進むのが逃げに思えたのかもしれない。

    *

 あの日は、三ヶ月ぶりに薫に会うことになっていた。センター入試の一週間前に話したのが最後で、前日に電話がかかってくるまでは、連絡がなかった。
 坂脇君に聞いて、薫が東大と早稲田の法学部には落ちたが、第三志望だった明治の法学部以外にもいくつか合格したことを知っていた。

「薫は、早稲田の商学部にも合格したんでしょ?」

 出かける前に電話で話した時、光留は言った。

「みたいだね。商と社学にも」

「なら、明治はやめて、商学部に行けばいいのに」

「薫は法律が勉強したいんだよ」

「弁護士になりたいわけじゃないんだから、商学部でも法律の勉強はできるよ。瑞樹だって、彼氏が明治じゃ、嫌でしょ?」

「光留、あんた、俗物だよ」

 ムカついて、電話を切った。ひどいことを言うと思った。どこの大学に通おうが、薫は薫だ。
 馬鹿な私。自分と薫は、赤い糸で結ばれているのだから、別々の大学に通うぐらいで、関係が揺らぐわけがないと信じきっていたのだ。

 電話を切ってすぐ、家を出た。天気予報を確認していなかったので、駅に着く前に雨が降り出した。
 だから、駅前の丸井で赤い傘を買った。新宿まで一駅乗り、待ち合わせ場所だったアルタ前までの短い距離を、赤い傘をさして歩いた。
 先に来ていた薫は、さっぱりとした顔をしていた。

「同志社の法学部に行く」

 私が口を開く前に、薫は言った。

「そっか」

 悪くないかも、と思った。薫も坂脇君も京都に憧れがあり、坂脇君は、浪人の年には京大を受験したほどだ(不合格だったけど)。遠距離恋愛になるけど、大丈夫。携帯も、パソコンのメールもあるから、毎日連絡し合える。

「瑞樹とはもうやっていけない。別れよう」

 次の言葉がこれ。かわいそうな私。今思い出しても、十九歳の自分に同情してしまう。赤い糸で結ばれていると信じた相手にそんなことを言われるなんて。
 偉かったなとも思う。薫に泣きつきもせず、怒りを見せもしなかった。あまりにも呆然としたせいもあるけど、何を言っても無駄、薫の気持ちは決まっていると理解したせいでもあると思う。あの時、必死で食い下がったりしていたら、こんな風に思い出す気にもなれなかっただろう。
 あの日、薫が話したことはよく覚えていない。私がそばにいると、甘えすぎてしまうとかそんな話だったと思うが、どうでも良かった。高二の夏に剛が突然消えたように、薫も私の前から消えるのだ。大事なのは、それだけだった。

 坂脇君のお父さんが言ったように、さよならだけが人生なのだ。私たちは、それを受け入れて前に進むしかない。

 薫の話が終わる前に、その場を立ち去った。泣きながら歩いた。気付いた時は大学のキャンパスにいて、買ったばかりの赤い傘を失くしていた。雨はもうやんで、体も乾きつつあった。大隈重信の銅像前のベンチに座り、ポケットに入れていた携帯で光留に電話した。

 すぐに行くからね。そこにいなさい。光留は私に命令した。

「タクシーで行くから、ベンチに座っててよ」

「わかった」

「薫、死ねばいいのに」

「別に死ななくていいよ」

 そう言いながらも、私にとって薫は死んだも同然だと思った。あの日消えた剛も。どこかで暮らしていると信じたいけど、大村家の人たちは一家心中したのかもしれない。心の奥底にあったのに、決して認めようとしなかった可能性を、あの時、私は初めて意識に上らせた。

「光留?」

「なに、瑞樹?」

「さっき買ったばかりの傘、なくしちゃった。赤い傘だったのに」

「赤い傘? 珍しいね。気にしないで。私が新しいの買ってあげる」

「慣れない色を買ったせいで、こんなことになったのかも」

 そう言って、また泣き出してしまった。

「まあ、あんたに赤い傘は似合わないよ。伊勢丹で別の色の傘を買って、それから、カラオケでも行こ」

「だね。あのさ、光留は、ずっとそばにいてくれるよね?」

「何それ、当たり前じゃない。手持ちのカードで勝負するんだって、あの日、おじさんが言ってたでしょ。私はあんたの手持ちのカードだし、あんたもそう。二人で楽しくやっていこうよ」

 頭の中で薫の顔が描かれたカードと赤い傘のカードを捨てる。さよなら、面倒な彼氏。さよなら、私に似合わない赤い傘。小声でそうつぶやくと、雨に洗われた、ひと気のないキャンパスを眺めた。

【完】

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