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違ってよかったよかった

雨が降ったりやんだりの空模様には
出かけるにも都度窓の外を確かめる必要がある。
窓の外に生い茂る木々を見てもよくわからず
背伸びをし、なんなら足元にある窓枠に片足を引っかけ、
窓にへばりついてなんとか歩道を覗き込む。

道行く人が傘をさしていなかったからと
揚々と出かけてみれば、
ほんの霧雨などではなく
当たれば痛い程度の雨が降っていた。
それでも周りの人たちは
傘を手に持っていても差すことはない。
ちょうど降り始めたところだったのか、
はたまた傘をあまり差さない文化に
変わりつつあるのか。
いずれにしても出かけるんじゃなかったと
後悔するばかりだった。

台風がくるとのことで
先日の台風10号のことを思い出す。
気象庁があれほどにまでに
事前に注意を促したこともあって、
残念ながら被害はあったものの
想定程ではなかったという印象だ。

台風もそうだが、地震に関しても
事前にアラートが出るだなんて
すごい世の中になった。
しかし何度聞いても
緊急地震速報の音に慣れることはない。
東日本大震災後の余震で
毎日あの音が鳴り響く中、
小さな子を抱きしめて
震えながら不安とともに
過ごした日々を思い出してしまう。

だから私としては予報などの
事前の情報とその後の現実が
いい方向に違う結果に
なってしまったとしても
安堵でしかない。

——あぁ大地震が来なくてよかった
——あぁ台風がそれてよかった

もし悪い方向に違う結果になってしまったのであれば
——まだ未熟なサービスなのだから
——お披露目するには早過ぎたね
なんて冷ややかに思ってしまうかもしれない。
でも何もなかったのだからいいではないか。

あの誤報に対する謝罪会見とか
見ていて居た堪れなくなる。
自然相手に予測しようだなんて
無力な人間の大いなる挑戦じゃないか。
技術発展のために理由を解明して
それを共有してもらいたいとは思うが、
——お騒がせしました
程度でいいんじゃないかな。

なにもなかった時の私の脳内では
「今朝の速報の音で起こされちゃったよ。いやぁまいったまいった」
「本当に。びっくりしたけど、何もなくてよかったなぁ」
初老のおじいさんたちが困った困ったと言いながらも
笑顔でやり取りしている姿が浮かんでくる。

ちょっと息を吸って、吐いて。
ひと呼吸置けばおじいさんたちは
笑顔のまま去っていく。
雨が強くなったら傘を差し、
止んだら傘を閉じる。
私はよかったよかったと
随分と成長した子の
習い事の送迎に精を出す。

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